ここからは2023年6月10日取材分です
角館町東勝楽丁は、仙北市役所(角館庁舎)の北西約1.5kmのところ
仙北市役所(角館庁舎)から県道257号線を道成りに進みます
約600mで左(西)へ県道250号線です、約700mで右(北)へ武家屋敷通りに入ります
道路右(東)がわには「小田野家」「河原田家」と続いて、少し間を空けて「岩橋家」です
土曜日の観光地のなのですが、雨降りで時間が早かったので人影無し、前の道路脇に車を停車させて頂きました
北へ進むと間も無く右手に「岩橋家のカシワ」が見えて来ます
時間が早かったので屋敷内の拝観は出来ませんでしたので、幹の根元は見えませんでした
黒板塀越しに目的の「岩橋家のカシワ」です
岩橋家の薬医門です
北西側から見ました、推定樹齢300年、樹周 3.23m、樹高 22.5mの大木です
国選定重要伝統的建造物群保存地区
秋田県仙北市角館
歴史的環境を現代に伝える集落・町並みは、我が国の歴史と文化の理解に欠くことのできない貴重な文化遺産です。
本市の角館町表町・角館町東勝楽丁の武家屋敷の町並みは、城下町の歴史的環境を伝える価値の高い町並みとして、昭和51年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
仙北市角館町は中世以降の城下町ですが、1620年(元和6年)、当時の城主芦名氏が古城山北麓の城下町を現在地に移転しました。新しい城下町は、四囲を丘陵と河川に囲まれた要害の地に整然と縄張りされ、城下町のほぼ中央に広場(火除け)を設け、この北側を武士居住区域(内町)に、南側を町人居住区域(外町)として町割をしました。400年が経つ今も当時の町割をとどめています。
特に表町・東勝楽丁は、通りに面して黒板塀や生垣を回した屋敷が連続し、前庭の樹木が並木して閑静な環境を構成し、薬医門を構えた武家住宅とともに武家屋敷の町並を今に伝えています。
樹高30mものモミの大木、細枝をしなやかに垂らす優雅なシダレザクラ、色彩鮮やかなモミジが伝統的建造物と一体となって、他に類を見ない独特な景観を見せています。
では、次へ行きましょう
角館町東勝楽丁は、仙北市役所(角館庁舎)の北西約1.5kmのところ
仙北市役所(角館庁舎)から県道257号線を道成りに進みます
約600mで左(西)へ県道250号線です、約700mで右(北)へ武家屋敷通りに入ります
道路右(東)がわには「小田野家」「河原田家」と続いて、少し間を空けて「岩橋家」です
土曜日の観光地のなのですが、雨降りで時間が早かったので人影無し、前の道路脇に車を停車させて頂きました
北へ進むと間も無く右手に「岩橋家のカシワ」が見えて来ます
時間が早かったので屋敷内の拝観は出来ませんでしたので、幹の根元は見えませんでした
黒板塀越しに目的の「岩橋家のカシワ」です
岩橋家の薬医門です
北西側から見ました、推定樹齢300年、樹周 3.23m、樹高 22.5mの大木です
国選定重要伝統的建造物群保存地区
秋田県仙北市角館
歴史的環境を現代に伝える集落・町並みは、我が国の歴史と文化の理解に欠くことのできない貴重な文化遺産です。
本市の角館町表町・角館町東勝楽丁の武家屋敷の町並みは、城下町の歴史的環境を伝える価値の高い町並みとして、昭和51年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
仙北市角館町は中世以降の城下町ですが、1620年(元和6年)、当時の城主芦名氏が古城山北麓の城下町を現在地に移転しました。新しい城下町は、四囲を丘陵と河川に囲まれた要害の地に整然と縄張りされ、城下町のほぼ中央に広場(火除け)を設け、この北側を武士居住区域(内町)に、南側を町人居住区域(外町)として町割をしました。400年が経つ今も当時の町割をとどめています。
特に表町・東勝楽丁は、通りに面して黒板塀や生垣を回した屋敷が連続し、前庭の樹木が並木して閑静な環境を構成し、薬医門を構えた武家住宅とともに武家屋敷の町並を今に伝えています。
樹高30mものモミの大木、細枝をしなやかに垂らす優雅なシダレザクラ、色彩鮮やかなモミジが伝統的建造物と一体となって、他に類を見ない独特な景観を見せています。
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