ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県一関市、大東町大原川内「山吹城址の大銀杏」です!!

2024-09-26 12:46:47 | 巨樹・大木
 大東町大原川内地区は、一関市役所の東北東約29km、一関市役所大東支所のあるところです

 一関市役所大東支所の北側の丘の上に山吹城址があります、大東体育センターと春日グラウンドの間の道路を北へ坂道を上がります

 坂道を上った所が山吹城址入口に成っています

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 城跡まで150mです

 説明版です
   市指定史跡
     山吹城本丸跡
       所在地    一関市大東町大原字山吹
       所有・管理者 一関市・大東支所
       指定年月日  昭和54年3月20日
 山吹城は葛西七騎の一つ、東山旗頭と称された大原千葉氏の居城で、大原中学校北側の丘陵に位置し、高さ80m、東西400m、南北200mの東磐井地方を代表する中世の山城です。
 山吹城という名前は、路地に植えた八重山吹から付けられたといわれ、別名大原城ともいわれています。
 奥州藤原氏の滅亡後、寛喜2年(1230)奥州探題として関東から派遣された千葉頼胤の子、宗胤が築城したものと伝えられており、大原町誌には東西55間(約99m)、南北22間(約40m)の本丸と東西54間(約97m)南北22間(約40m)の二の丸があったと記されています。
 大原千葉氏は、第17代葛西晴信の弟である信茂が山吹城主となり、領内を固めました。
 また最後の城主である千代竹丸は、天正18年(1590)8月に1700騎の大将として神取(宮城県石巻市桃生町)に出陣し、豊臣秀吉の奥州仕置軍に抗したものの敗れ、ついには山吹城も落城しましたが、翌年の9月には石田三成によりこの地方の要地として山吹城は修復されました。
 菅江真澄は天明6年(1786)、二度にわたって大原の地を訪ねていますが、その日記「はしわのわか葉はしが記」には、山吹城も含めた大原の旅情を記しています。
 現在は散策路が整備されており、町並みなどの眺望を楽しむことができます。
     平成28年3月    一関市教育委員会
 
 案内図の中央部分の本丸に「大銀杏」が表示されています

 草だらけの坂道を上って行きます

 この辺に案内図に有った東側の曲輪が有るはずですが、雑草が伸び放題です

 空堀状の道路を進むと土塁が左から延びています

 本丸の丘に大きなイチョウが見えます

 ニの丸の堀切のような所です

 ニの丸の北側切岸です

 二の丸と東側の曲輪との間の堀切です

 二の丸へ上ります

 広い二の丸を南西へ進みます

 目的のイチョウは、一段高い本丸<の東斜面に立っています

 ズームアップしました

 北東側から、本丸側に切岸と二の丸の狼煙台のようです

 北側の本丸切岸です
 
 北側から、目通り幹囲7.0mの巨木です

 東側から見上げました

 足元に太いイチョウの枝が落ちています、先日の台風の被害でしょうか

 では、次へ行きましょう


 2024・9・11・06・00

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