小池真理子著作品の長編小説を読む機械を得たことに感謝しています。
いつも本当にありがとう。
久しぶりに、完璧に仕上がった、まぁ私基準ですが、1冊に出会えたと思います。
図書館司書である主人公、青田類子。彼女の思慕の相手、秋葉正巳。正巳の思慕の相手、阿佐緒。阿佐緒の夫、袴田。
世界の中に埋没しがちな‘その他大勢’のような世界の中に在る彼らの数奇な運命。
人物描写、感情表現、心情、行間の空気。時空間の流れ、流れた時の長さ。
喜び、悲しみ、愛情、欲望。
これら全てが完璧な筆で描かれていると思える1冊でした。
阿佐緒は、肉感ある純粋奔放な永遠の少女の様に描かれつつも、正巳が「全身が性器」と表した様なエロティズムの象徴の様としても描かれている。
それは、思考を軌道としない彼女の言動、人生全てが本能のままであり、それを入れた器=肉体、が更にそうさせているのだろうと。
‘阿佐緒’という名に、まるで遊女の男名の如き感覚を私は覚えました。
主人公、類子は、そんな奔放で野生的な彼女の全てを受け入れていましたが、私はそんな‘人種’を傍に置く友と出来るだろうか、などと無駄な思考も巡りました。
類子の中で、肉体と精神のバランスを保つ為に、それらの欲望は別々の箇所に置かれつつも、本当は全てが一体でありたいと願っていたのだろうと思うと、
自分自身の感情のままに死を選んだ阿佐緒や、生きる欲望を失った結果の導きの死に至った正巳に比べて、
果たして彼女は幸せだったのだろうかと考えてしまいます。
もちろん彼らの幸不幸を比較するのは愚の骨頂だと思いますが。
多くの望む死、望まざる死が世の中に溢れています。
長崎市長選挙の際、銃弾の前に志半ばで倒れた前市長の報道を見聞した時、望まざる死を他人に求める罪の深さと愚かさを痛感しました。
ちょうどこの時期に、この本を読んでいたのですが、望む死、とは自分自身の事由であるものであるがずなのに、その根源は自分自身に無い事が多いのでは、と。
絶望から成る望む死は、例えば病気や貧困などが要因のものと、欲望を失った時に訪れるものと、大きく二つに分かれるのでしょうか。
もちろんそんなに簡単に線引きできるものではなく、複雑に絡み合う様々な環境、感情の終焉であるとは思いますが。
いつも本当にありがとう。
久しぶりに、完璧に仕上がった、まぁ私基準ですが、1冊に出会えたと思います。
図書館司書である主人公、青田類子。彼女の思慕の相手、秋葉正巳。正巳の思慕の相手、阿佐緒。阿佐緒の夫、袴田。
世界の中に埋没しがちな‘その他大勢’のような世界の中に在る彼らの数奇な運命。
人物描写、感情表現、心情、行間の空気。時空間の流れ、流れた時の長さ。
喜び、悲しみ、愛情、欲望。
これら全てが完璧な筆で描かれていると思える1冊でした。
阿佐緒は、肉感ある純粋奔放な永遠の少女の様に描かれつつも、正巳が「全身が性器」と表した様なエロティズムの象徴の様としても描かれている。
それは、思考を軌道としない彼女の言動、人生全てが本能のままであり、それを入れた器=肉体、が更にそうさせているのだろうと。
‘阿佐緒’という名に、まるで遊女の男名の如き感覚を私は覚えました。
主人公、類子は、そんな奔放で野生的な彼女の全てを受け入れていましたが、私はそんな‘人種’を傍に置く友と出来るだろうか、などと無駄な思考も巡りました。
類子の中で、肉体と精神のバランスを保つ為に、それらの欲望は別々の箇所に置かれつつも、本当は全てが一体でありたいと願っていたのだろうと思うと、
自分自身の感情のままに死を選んだ阿佐緒や、生きる欲望を失った結果の導きの死に至った正巳に比べて、
果たして彼女は幸せだったのだろうかと考えてしまいます。
もちろん彼らの幸不幸を比較するのは愚の骨頂だと思いますが。
多くの望む死、望まざる死が世の中に溢れています。
長崎市長選挙の際、銃弾の前に志半ばで倒れた前市長の報道を見聞した時、望まざる死を他人に求める罪の深さと愚かさを痛感しました。
ちょうどこの時期に、この本を読んでいたのですが、望む死、とは自分自身の事由であるものであるがずなのに、その根源は自分自身に無い事が多いのでは、と。
絶望から成る望む死は、例えば病気や貧困などが要因のものと、欲望を失った時に訪れるものと、大きく二つに分かれるのでしょうか。
もちろんそんなに簡単に線引きできるものではなく、複雑に絡み合う様々な環境、感情の終焉であるとは思いますが。