春兆さんが萬緑に参加されたのが唱和29年、以来、萬緑の終刊号まで
俳句を投稿され続けられました。なかでも、平成28年7月号には、
春兆さんの「生ひ立ち」30句が萬緑冒頭を飾りました。
ぜひ、ご覧ください。
国際障害者年を期して国際障害者年日本推進協議会が出来、
JDへと繋がっていきます。その副代表として活躍されてきた春兆さん。
IYDPの合本も展示。
そうした政治面を背景にしつつ、それを映し鏡のようにして(?)、
描いた物語が南北朝時代の琵琶法師明石覚一検校の『殿上の杖』。
このたび、新装新たに、『殿上の杖』が伏流社より蘇りました!
森繁と加藤道子によるNHKラジオ日曜名作座でも流された、
『殿上の杖』の感動が再び。。。
港区の主、として、ずっと港区で活躍されてきた春兆さんの
原点は、光明学校。その碑が今も麻布の絶江児童遊園に残されています。
光明の結城初代校長の伝記には、春兆さんの本の引用が多数見られます。
港区では、1981年よりこんにちに至るまで、春兆さんをトップとして、
共に生きるみんなの歌と踊りのつどい、が催されてきました。
まさに、草の根から、政策まで、関わられてきた春兆さんは、
『殿上の杖』の明石覚一を描くにあたり何を託されていたのでしょう。
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