昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

君達がいて僕がいた 4 「 北の新地は想い出ばかり 」

2021年05月13日 05時21分16秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

一同が集うたる МA会
『 一堂に集う 』 ・・との想いに 一番勢いのあった二十歳。
斯の 『 水阪のアパーで宴会 』 に、集まったのは、
私、平野、呉津、水阪、山下、大土、西村、寺内、梶の九人。
斯の九人が、МA会創設メンバーである。
・・・リンク→仲 間 達
呉津はМA会野球部には参加しなかった。 さもあらん。


                                                                                                      待合せ場所 ↑  アメリカン ↑
アメリカン前の横断歩道で待合せの為に佇む私の側に、
カジュアルなジャケットにハンチング帽を被った若者が立った。

「 はてな ? 」 ・・と、改めて見なおせば、
『 ヤングオーオー 』 や、『 プロポーズ大作戦 』 に出演して売り出し中の、桂きん枝であった。
京橋での いくよ くるよ  亦 然り、この頃の彼等に対する吾々の評価 ・想いは、
テレビで顔を出す有名人であっても、
そんなことよりなにより、彼等は吾々と同じ大阪人、
だから、吾々にとっては身近な存在であると そう想っていた。

親近感を持って 同じ大阪人の仲間として、応援していたのである。
一同 亦、想いは一つである。


昭和52年 (1977年)、京橋 から 北 ( 梅田 ) にシフト変えをした。
「 ♪
京橋はええとこ だっせ
グランシャトー・・は、あっても、吾々には物足りなかったのだ。
盛場として規模が小さかった所為もある。
だから、途中から、定例 ・一次会を京橋で行い、
二次会は梅田に足を伸ばすようになった。
それならと、集合場所を北 ( 梅田 ) に変えたのだ。
昭和51年 (1976年) には高田も参加して、この頃にはすっかりメンバーの一員であった。

曽根崎新地
大阪・北の盛場と謂えば、『 北の新地 』 と、『 曽根崎新地 』
北の新地は、出世してから行く処・・・給料袋の薄い吾々若者が行ける処ではない。
吾々は、うめだ花月・喫茶アメリカン前を待合せ場所とした。
そして 此処を起点に、曽根崎界隈に青春を展開させたのである。

↑ アメリカン  ( クリック )

昭和51年 ( 1976年 ) 2月28日 <画像の書込みは誤り>
春一番が吹いた此の日、阪急東通り 商店街の店で中学三年生の同窓会を行った。


一期一会の美人
昭和52年 (1977年) 2月5日 (土) のこと
МA会・二次会をと、通りすがりに入った スナック・キングジョージ (名は潤覚)
そこで、二人連れの美人女性を認めた。
一人は誰あらん、中学三年生の同級生・峰さん。 
こんな偶然もある。これもひとつの縁えにし と、謂うのであらう。
もう一人は、これがまあ 頗る美人、会社の後輩だと言っていた。
しかし、なんのドラマも起きなかった。 それ以上の縁は無かったのである。

МA会で盛上げた披露宴
魁て、
独り住まいをしたのも水阪ならば、
いの一番に結婚を決めたのも水阪であった。
昭和52年 (1977年)、
水阪が、伴侶となる女性を仲間に紹介すると云う。
そこで、МA会でそれを演出することにした。
一同、曽根崎通りの 「 ニューミュンヘン 」 に、期待を込めて集合したのである。
そこには、「 水阪のアパートで宴会 」 以来、皆とは御無沙汰していた呉津の顔もあった。
一同の前に現れた彼女。
髪型が変っていた。・・そう判るのは、私のみである。
二次会のカラオケで、皆に促されて二人は 「 銀座の恋の物語 」 を、デュエット した。
「 嗚呼、こんな時は やっぱり 『 銀恋 』 なのか 」 ・・・そう、想った。
何せ 23歳。
誰もが皆 若い。 勢い、水阪の結婚で涌いた。
そして、結婚式には吾々МA会の仲間全員で以て参加することになったのである。

私の後ろで、
司会の準備をする寺内 (左) と 西村 (右)


寺内が披露宴の司会を、西村がお祝いのスピーチを、私がカメラマンをした。
「花田が司会か、スピーチするべきやで」
さもあらん
水阪と私の関係からすると、全て私が行って然りであろう。
リンク→叶うものであれは゛ 叶えて欲しい・・
しかし、どちらも苦手と、彼らに押し付けたのである。

結婚式が終ると、
西村が手配した千林の店で、仲間だけの二次会をした。
これに、新婦側の友人も参加したから、もう・・どうしよう。 
こうして 宴は、一段と盛り上がったのである。

水阪結婚式後の二次会
左から・・高田、水阪、梶

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君達がいて僕がいた 5 「 スマン スマン 」 に 続く


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