私の中の私と向き合う

乳がん再発、双極性障害と夢遊病、首下がり症と腰分離すべり症、起立性調節障害を抱えながらも、前向きに一緒懸命生きています😃

本気で関わる人

2024-08-09 17:26:42 | 日記
 私は、いつもいつも温かいコメントいただいているそらさんに、私に本気で関わってくれているなと心から感謝している。
 実の家族に「死ね!」と言われた経験と苦しみをわかっていただけていることに、シェアで来てることで、私は本当に救われている。

 私に本気で関わってくれた人で、最近よく思い出されるのが、私が40歳の時11か月半精神科の病院に入院した時の主治医の先生、矢花先生を思い出すようになってきた。

 私が病棟から走って逃げようとした時、矢花先生は本気で走って追いかけて止めてくれたり、私が外出して自助グループに出かけたとき、矢花先生は私を心配して、夜の9時半まで残業して、私の帰りを待ってくれていたり、「薬ください」と看護婦さんに私が絡んで困らせたのに、矢花先生は閉鎖病棟行のところ責任取ってくれたり、週2回認知行動療法してくれたりした。

 矢花先生が病院やめられたので、連絡先もわからないので、当時のお礼言えていないけれど、あの時私に本気で関わってくれた人がいたから、病気は治っていないけれど、今こうして生きているのだと思う。そのことをそらさんの存在とダブって思い出されると、私の人生も悪いことばかりではなかったように思う。

 多分、他にも多分私が自覚していないだけで、本気で関わってくれた人がいたから生き延びてきたのだと思う。そういう存在が,1人でも2人でもいることに深く感謝したい。
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自己肯定感

2024-08-08 19:37:19 | 日記
 ご存知の通り、私はものすごい自己肯定感が低い。(笑)
 私は、母親に「死ね。お前なんか一生恨んでやる。」父親には、「死ねしかないな。オーム真理教にでも入ってしまえ。」と言われたトラウマは、いまだもって感情、感覚麻痺している。

 やはり、「私は愛されない」「私はありのままでは愛されない」「私はダメなんだ」「私は生きていてはいけない」など、思いっきり自己否定が強く、自己肯定感も低かった。
 それで、その思い込みが強くて、「私は愛されないんだ」「私はありのままではいけないんだ」「私はダメなんだ」「私は生きていてはいけないんだ」という現実を無意識に引き寄せていた。そうでしょう?そうでしょう?と、次々と起こっていた。自分の強い思い込みから来ていることに気づいていなかった。

 このブログで「死ねという言葉①②」書いてみてそのことがドカンと腑に落ちた。

 両親のせいにしてきたけれど、私が強く思いこんで、それを証明する現実を自分から引き寄せていたのである。

 自己否定が強く、自己肯定感が低いのも、自分では何となく思っていたが、はっきりとはわからなかった。

 今は、「私は悪くない」「私は頑張ってきた」と自分に言って、セルフハグしている。
 今までは、そのこと気づかなかったけど、これからは自分で自分をよし、よしして、自己肯定感アップしていこうと思うこの頃である^ ^
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負の連鎖

2024-08-04 15:23:58 | 日記
  私の心の闇を綴って申し訳ないが、そらさんのコメントで、私は勇気をもらって、書いてみようと思う。

 私は子供がいない。子供を産む選択をしなかった。

 私は30歳に、アダルトチルドレンの本で「親から虐待された人が自分の子供に同じように虐待してしまう。」という記事を読んだ。
 その時、私は激しい身体的、精神的虐待を両親から受けて育ったので、私も子供を持ったら同じことしてしまうのかもしれないと思ってしまった。代々続く負の連鎖を私の代で終わらせなくてはいけないと思って、子どもを持たないと心に誓ってしまった。とても恐ろしかったのである。

 それと私も主人も精神科にかかっており、主治医の先生に「今飲んでいるお薬で、奇形児の生まれる可能性もある。」(そんな恐ろしい薬出すのか?)と言われていた。
 生まれてきた子が奇形児だったらと考えたらとても恐ろしく、かわいそうでとても産めないと思ってしまった。

 私が、子どもを産まなかった選択を取ったことを特に親のせい、主治医のせいだと思って恨みがかった気持ちで過ごしてきてしまった。

 2年前に、ある人と話をしていて、その話をした。私はずっと親のせいにしたけれど、親から虐待受けて育ってもちゃんと子供を産み育てている人もいることを知らされた。
 親のせいにしてきたけれど、そう思い込んだのは私だったのである。

 精神科も、私と主人が努力して薬を飲まないこともできたのかもしれない。それを理由にあきらめてしまったのである。

 私は、でも悲しいことにそれしか選択できなかった。それはもう変えられない事実である。本当に虐待のことも奇形児のことも可能性があるのなら、とても怖くて恐ろしくて、選択できなかった。

 でも、子どものいない夫婦はそれなりに楽しいものである。お金に余裕あったり、旅行にたくさん行けたり、ペット飼ったり、子育ての苦労もないわけで、子どもがいない生活に慣れてしまって、当たり前になってしまっている。

 私は、結果的に子供がいなくてよかったと思っている。私も病気でパンパンで余裕なかったと思う。人生何が災いするかわからないものである。

 あと私にできるのは、子どものいない人生、生活、夫婦を謳歌することである。
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「死ね!」と言う言葉②

2024-08-03 13:11:03 | 日記
「死ね」と言う言葉①で、私の両親に、私が「死ね」と言われたことがあるエピソードはお話しした。

 母親には、高2の時、「死ね。お前なんか一生恨んでやる。」
 父親には30才のうつ病で入院している時に、「死ぬしかないな。オーム真理教にでも入ってしまえ。」と、真面目に真顔で言われたことがある。

 母親は、病気だったと今は思う。父親は、私がずっと後になって聞いたら「口が悪かった。」と言っていた。私に至らない点があったとしても、どんな理由があろうとも、子どもに、人に「死ね!」と言ってはいけないことだと私は思う。

 その影響で私はその後、保健室登校になったり、うつ病を繰り返していた。
 自分が親に「死ね!」と言われたことは、あまりにもショッキングで誰にも言えなかった。先生にも、友達にも、主治医にも、家族にも、カウンセラーにも言えなかった。そのことを話せるようになったのは、カウンセリングを重ねた40代過ぎてから言語化できるようになった。ものすごい自分の中ではくすぶって秘めていた。

 最近になって、父親の介護問題、実家処理問題で父や兄に関わることが多くなって思い出されてくる。(母は一昨年になくなっている)

 私はものすごい自己肯定感が低い。何かあると悪い考えが浮かんで、「私はダメだ」「私は幸せになってはいけない」「死にたい」「親に死ねと言われていたので死ぬしかないんだ」「私は生まれてきてはいけない子だったんだ。」と、ものすごい絶望感に襲われてくる。不安感も大きい。

 なんで私がこんなに自己肯定感が低く、すぐに「死にたい」と思うのか、「私は幸せになれない」と確信しているのか、ものすごい絶望感と不安に襲われるのか、最近になって、やっぱり親に「死ね!」と言われたこととつながっているのだと自分の中でわかってきた。

 きっとこんなこと書いて気分を悪くされる方もいるかもしれない。(ごめんなさい。)
 だけど、ここが私にとって原点というか、病んでいる私を救うところというか、病気(がん、精神疾患など)から良くなる大事なところのように思う。私の根底に触れる部分を書き記すことが、私という人を理解してもらうのに必要というか、何でこんな「私の中の私と向き合う」ブログ綴っているのか少しだけ知ってほしい気持ちもある。

 多分、独りよがりなことを綴っていて、場違いな気もするが、本当のことを書くことで私の病気を緩解・治癒するための必要なプロセスに思って、書いてみた。
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自分を守る^ ^

2024-08-02 23:08:20 | 日記
 明日は、父の退院だが、私は午前中に行く予定、明後日から泊まる予定だったが、体調崩しているので、思い切って断った。兄が対応してくれるので、私が行かなくても何とかなると思う。今は自分、家庭を守らなくてはいけない。

 父の特養もインシュリン可、看取り可のところを、横浜の特養申し込みセンターまで、先週1人で相談に行ったが、待機者が多くてすぐに入れらところはなかった。あちこち電話してみたが、対応できるところもなかった。

 私の自宅近くで、良さそうな特養あったが、待機者200人で2年待ちで私の力ではどうにもならなくて、あきらめらしかなかった。

   父の特養入所は、看取りのできない施設しか今は入れない。兄が、様子を見ると言ったので、申し込み保留にしている。でも、そこしか特養は入れないのにぐずぐずしていたら、入れ損ねるかもしれまい。

 父の入所先探すより、7月27日に実家処分の不動産との面談、売買成立でに、9月30にまでに退去しないといけなくなってしまった。兄の何が何でも実家売るという考えになし崩しになったしまった。

 私としては父の特養の入所先も決まらないし、実家も9月30日までに撤去しなくてはいけないので時間がない。心配が絶えないが、何とかなるだろうし、何とかしないといけない。

 もう兄の判断にゆだねるしかない。私は口出しできない。

 でも、入院中にも拘らず、退所後の施設決めることと、実家処分の話を同時に進めていたので、色々な落ち度や遅れたことで、しわ寄せがきている。

 兄には頑張ってもらいたい。







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