乙訓寺・・(真言宗)
聖徳太創建と伝えられている乙訓寺、この地は、二千年前の弥生時代から人々が住んでいたそうで、僅か10年間の長岡京時代は、京都随一の大寺として名をはせ、弘法大師(空海)別当にする隆盛を極めた時代も有ったのですが、現代では京・花の寺「ボタン寺」として親しまれて居ります。
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山門の赤門を入ると参道の両脇には、見事な「ボタン」が・・・其の奥に有る本堂前直ぐ横の牡丹園にも沢山のお花が咲きもだれていました。色々なボタンを「サムネイル」にまとめてみましたのでご覧下さい。
昭和15年頃、本山「長谷寺」から2株のボタンを寄贈されその後、歴代ご住職のご尽力により境内の牡丹園には、現在約2000株の色とりどりの品種のお花が見事な花姿を見せ咲き誇っていました・・
タグは、Sakuraさまとnon_nonさまにお借り致しました。
聖徳太創建と伝えられている乙訓寺、この地は、二千年前の弥生時代から人々が住んでいたそうで、僅か10年間の長岡京時代は、京都随一の大寺として名をはせ、弘法大師(空海)別当にする隆盛を極めた時代も有ったのですが、現代では京・花の寺「ボタン寺」として親しまれて居ります。
山門の赤門を入ると参道の両脇には、見事な「ボタン」が・・・其の奥に有る本堂前直ぐ横の牡丹園にも沢山のお花が咲きもだれていました。色々なボタンを「サムネイル」にまとめてみましたのでご覧下さい。
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昭和15年頃、本山「長谷寺」から2株のボタンを寄贈されその後、歴代ご住職のご尽力により境内の牡丹園には、現在約2000株の色とりどりの品種のお花が見事な花姿を見せ咲き誇っていました・・