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最後の頭取 北海道拓殖銀行破綻20年後の真実

2019年02月09日 17時19分27秒 | ビジネス / Business

融資経験者が行内に少ないのが、
最初から問題であった。
鈴木頭取とかは、認識していたはず。

不動産は具体的な結果。

スイスの本格的な保守金融を見習うべきであった。



最後の頭取 北海道拓殖銀行破綻20年後の真実
河谷 禎昌
ダイヤモンド社





内容紹介
◎標的となった拓銀と私

「特別背任罪」で実刑判決
1年7ヵ月間、刑務所へ

大手銀行トップで収監された唯一の男が
ついに明かすバブル経済の真実

1997年、北海道拓殖銀行は経営破綻した。
その「最後の頭取」となった著者は特別背任罪で実刑となり、
1年7か月を刑務所で過ごした。
大手銀行の経営トップで収監された例は、他にない。
バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。
20年にわたり沈黙を保ってきた最後の頭取が、
明かしてこなかった拓銀破綻の真相を赤裸々に綴る。
後世に伝えるバブルの教訓をすべて残す、日本金融史としても価値ある書。
出版社からのコメント
「私は無実だ」

1997年11月17日、北海道拓殖銀行は巨額の不良債権を抱えて経営破綻。
13代目頭取の著者は、図らずも「最後の頭取」となりました。
都市銀行の経営破綻は国内初で、当時としては日本金融史上最大の破綻でした。

バブル崩壊後、多くの破綻した金融機関の経営トップが、
不正融資や不良貸し付けにからみ、相次いで刑事責任を問われましたが、著者もその一人となったのです。
リゾート開発グループ向けの追加融資について、
「回収の見込みがないのに自己の保身を目的に融資を続けた」とされ、
特別背任罪に問われました。

1999年7月の初公判で、著者は無罪を主張しました。
すべての融資は、銀行の損失を最小化するための経営判断として行ったこと。
自己保身という意識はかけらもなかったのです。

しかしながら、10年におよぶ法廷闘争の末、最高裁で有罪が確定。
2009年から約1年7カ月、70代半ばにして刑務所で服役しました。
刑事責任を問われた金融機関の経営トップの大半は執行猶予がついたり、無罪になったりしており、
大手銀行のトップで刑務所に収監されたのは結局、著者だけでした。

著者をずっと支えてきたのは、元拓銀の行員でもある5歳年上の姉さん女房の節子さんでした。
「上にへつらってまで出世する必要はない」といつも言ってくれていたことで、
著者は信念を貫くことができたといいます。
破綻してから20年にも渡り、マスコミの取材を断ってきたのは、節子さんが強く反対したためです。
当時の嫌な思いが忘れられなかったからでしょう。
破綻前後は昼夜を問わず、マスコミが自宅に押しかけましたが、
節子さんは体を張って守ってくれたそうです。

その節子さんが、2017年5月に逝去されました。
ご夫婦には、お子さんはおりません。
破綻から20年が過ぎて、著者は自分にけじめをつけるため、この本を書きました。

銀行員という職業を通じて、著者は昨日までの常識やルールが一夜にして変わる場面に何度も遭遇しました。
そして、心臓が凍るような修羅場も経験し、多くの失敗も重ねました。
これから読者の皆さんも、形は違えど、時代の転換期に直面するかもしれません。

そんな時、どうすればいいのか。
著者の体験記から、何かしらの教訓を見つけて、自らの人生に生かしていただければ幸いです。

著者について
[著者]
河谷禎昌(かわたに・さだまさ)
1935年神戸市生まれ。北海道大学法学部卒業。57年に北海道拓殖銀行入行。祖父と兄は
弁護士、父は裁判官の法曹一家。 94年6月から97年11月の経営破綻まで頭取を務めた。
破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定。2009年12月から1年7カ月服役した。

[構成]
日浦統(ひうら・おさむ)
朝日新聞オピニオン編集部記者。1970年東京生まれ、北海道育ち。北海道大学法学部
卒業。93年に朝日新聞社入社。経済部で日銀、財務省、金融庁、証券会社など金融関
連を広く担当したほか、小売・流通、総務省、厚労省なども担当。2017年9月から現職




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