ウイアードでギークなブログ Weird and Geek Blog

気が向いたことを日記として。

私が弁護士になるまで

2012年01月15日 23時30分59秒 | ビジネス / Business

私が弁護士になるまで
菊間 千乃
文藝春秋




内容紹介
2001年に、菊間さんは『私がアナウンサー』という本を出版しています。「めざましテレビ」の生放送中に五階建てのビルから転落、腰椎などを骨折、三日以内にしびれがくれば一生下半身不随という重傷から一年かけてブラウン管までカムバックするまでを綴った手記でした。手記は、アナウンサーという仕事の奥深さも伝えるものでした。
その菊間さんが、なぜ弁護士をめざすようになったか。
最初はアナウンサーの仕事の幅を広げられればといった気持ちからでした。知り合いの弁護士の勧めもあって、新しくスタートした制度である新司法試験制度に対応した社会人向けの法科大学院に通いだします。
そうした中、全番組を降番というアクシデントに見舞われます。
 次第に菊間さんのなかで、人生の選択は、二つに一つしかないことがはっきりしてきます。すなわちフジテレビを退社して、背水の陣を敷き、新司法試験に挑むか。このままアナウンサーの仕事を続けていくか。謹慎期間もとけブラウン管に復帰するようにはなりましたが、二足のわらじでは絶対の受からないという現実に菊間さんはつきあたります。また、弁護士という仕事にどんどん惹かれる自分も感じていました。
 新司法試験は法科大学院を卒業後5年以内に三回しか受験のチャンスはありません。三回不合格になれば、一生弁護士にはなれません。会社もやめれば何者でもなくなってしまいます。
 それでも、と考えます。40歳までには結論はでる。全力を尽くして挑むべきだ、と。
 こうしてフジテレビを退社し、同じように社会人から新司法試験をめざす3人の女性の仲間とともに最難関の試験に挑みます。ぎりぎりの状況のなかの切磋琢磨のなかでこそ生まれた友情、一年目の不合格、そして二年目の合格。一年間の司法研修の実際、そしてその一貫のプログラムとして昔の職場であるフジテレビでの研修。
 30代で人生を変える! 挑戦の熱い一冊。
内容(「BOOK」データベースより)
三十代で人生を変える。アナウンサーという仕事に迷い選択をせまられた私はフジテレビを退社、退路を絶って司法試験に挑戦することを決意する。ロースクール卒業後、五年以内に三回しかチャンスはない。一年目の不合格。そして―。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
菊間 千乃
1972年生まれ。早稲田大学法学部から1995年にアナウンサー職でフジテレビ入社。入社四年目、「めざましテレビ」の中継中に五階建てのビルから転落、腰椎圧迫骨折の重傷をおう。その事故からブラウン管にカムバックするまでの経緯は『私がアナウンサー』(2001年)にまとめられた。2005年から「とくダネ!」などテレビの仕事の傍ら、大宮法科大学院大学に通いだす。2007年、背水の陣を敷いて、新司法試験に挑戦することを決意、その年の12月にフジテレビを退社する。2010年、二度目の挑戦で合格。一年間の司法修習をへて、2011年12月弁護士になった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次
プロローグ 私はアナウンサーだった
アナウンサーという仕事に迷う
伝えるだけではあきたらなくなっていた
ロースクール制度
会社と学校の二重生活
謹慎で全番組を降板する
退社を決める
退路を絶つ
試験本番、不安で手が震える
短答の結果が発表される〔ほか〕













コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。