暮らしをもっとシンプルにする方法を考えています。
最近、自分ちのゴミの量にもうんざりしています。
旅行などで、1、2日家をあけたりすると、
ゴミ収集の日のゴミの少なさに驚きます。
義母一人分だと、捨てるものが本当に少なくて軽いのです。
引っ越して少し不便になり、前ほど物を購入することが
減ってきたように思うのですが、
今度は、インターネットや通販で何かしら買っているので、
(特に夫!) そのダンボールや梱包材料の多さに
辟易したりします。
リサイクルということも、そろそろマジで
考えようと思っています。
たとえば、ペットボトルのふた。
あれは、箸置きに使えます。お水を入れて、
雑草系などをちょびっとさしてあげ、お箸を置きますと、
なかなか可愛いです。(それ以前に、ペットボトルなど
買わなければいい話ですけれど・・・)
みかんの皮を乾燥させて、お風呂に入れたり、
お茶ガラを乾燥させて、カレーに入れてみたり、
靴下に穴があいたら、ちくちく繕ってみるとか。
「何かしら出来ないか」捨てる前に一度ちゃんと考えてから、
ゴミにするなり、生き返らせるなりしてあげたい・・・
実は今、それをここに宣言したくさえなっちゃっています。
うずうず・・・。
少し前まで、そうゆうなことはお年寄りのすることであって、
この年で ( いい年なんですけど・・・) やってしまうと、
ぬかみそ臭い、地味なオンナになりそうで、
自分から若さや華やかさ(そんなモンあった?)が
失われるような気がして、時間もないし、
義母がそうゆうことをしていても、知らん顔していました。
そこまでしなくても、少しのお金さえあれば、
いくらでも買えるわけでしょ?
しかしながら、アンティークなるものに出会ったり、
大量生産じゃない、職人の手によって
心を込めて作られたものを見たり、
それを流通させる人のセレクト眼やこだわりに触れたり、
そんな機会の中で、
ものにも実は、いろいろなレベルのあること、
心と連動させていくことで、命が吹き込まれること、
それ以前に、ものに対して、いかに敬意を払ってなかったか
という自分のゴーマンとも言うべき態度も見えてきたというか。
そう。「精神に比べると、ものは下」と思っていたわけです。
無意識に見下していたのです。
もちろん、上ではないでしょう。
でも、それは実は同格なのかもしれないと思い始めたのです。
買う時も、使っている時も、リサイクルする時も、捨てる時も
ものに敬意を払い、大切にするということは、
自分を大切にすることだったり、
人を大切にすることだったり、
自然を大切にすることだったり、
感謝することだったり、
とすごくつながっていて、ものと心は実は表裏一体。
エネルギーの背中合わせ状態にすぎないのかも。
だからこそ、もっともっとシンプルになって、
つくりものではない、
ホンモノのあたいを育てていきたいデス。
最近、自分ちのゴミの量にもうんざりしています。
旅行などで、1、2日家をあけたりすると、
ゴミ収集の日のゴミの少なさに驚きます。
義母一人分だと、捨てるものが本当に少なくて軽いのです。
引っ越して少し不便になり、前ほど物を購入することが
減ってきたように思うのですが、
今度は、インターネットや通販で何かしら買っているので、
(特に夫!) そのダンボールや梱包材料の多さに
辟易したりします。
リサイクルということも、そろそろマジで
考えようと思っています。
たとえば、ペットボトルのふた。
あれは、箸置きに使えます。お水を入れて、
雑草系などをちょびっとさしてあげ、お箸を置きますと、
なかなか可愛いです。(それ以前に、ペットボトルなど
買わなければいい話ですけれど・・・)
みかんの皮を乾燥させて、お風呂に入れたり、
お茶ガラを乾燥させて、カレーに入れてみたり、
靴下に穴があいたら、ちくちく繕ってみるとか。
「何かしら出来ないか」捨てる前に一度ちゃんと考えてから、
ゴミにするなり、生き返らせるなりしてあげたい・・・
実は今、それをここに宣言したくさえなっちゃっています。
うずうず・・・。
少し前まで、そうゆうなことはお年寄りのすることであって、
この年で ( いい年なんですけど・・・) やってしまうと、
ぬかみそ臭い、地味なオンナになりそうで、
自分から若さや華やかさ(そんなモンあった?)が
失われるような気がして、時間もないし、
義母がそうゆうことをしていても、知らん顔していました。
そこまでしなくても、少しのお金さえあれば、
いくらでも買えるわけでしょ?
しかしながら、アンティークなるものに出会ったり、
大量生産じゃない、職人の手によって
心を込めて作られたものを見たり、
それを流通させる人のセレクト眼やこだわりに触れたり、
そんな機会の中で、
ものにも実は、いろいろなレベルのあること、
心と連動させていくことで、命が吹き込まれること、
それ以前に、ものに対して、いかに敬意を払ってなかったか
という自分のゴーマンとも言うべき態度も見えてきたというか。
そう。「精神に比べると、ものは下」と思っていたわけです。
無意識に見下していたのです。
もちろん、上ではないでしょう。
でも、それは実は同格なのかもしれないと思い始めたのです。
買う時も、使っている時も、リサイクルする時も、捨てる時も
ものに敬意を払い、大切にするということは、
自分を大切にすることだったり、
人を大切にすることだったり、
自然を大切にすることだったり、
感謝することだったり、
とすごくつながっていて、ものと心は実は表裏一体。
エネルギーの背中合わせ状態にすぎないのかも。
だからこそ、もっともっとシンプルになって、
つくりものではない、
ホンモノのあたいを育てていきたいデス。