浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

本の整理

2017-02-13 19:56:47 | その他
 本の整理をしていたら、昨年7月に出版された緊急復刊『朝日ジャーナル』を見つけた。買ったけれども読んでいない本は山のようにある。いくつか印象に残った文はあるが、そのなかで金平さんの筑紫哲也に関わる文について書いておこう。金平さんは「ある日、筑紫哲也さんとの会話」を書いた。沖縄で沖縄そばを食べ泡盛も飲んだら眠ってしまい、夢の中で筑紫さんと話した、というものだ。

 筑紫さんが“NewS23”の最後の「多事争論」で、こう語っていたことを、金平さんは記す。

 力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかく一つの方向に流れやすいこの国で、これはテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることをおそれないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと。それを、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意思を持つ番組であろうとは努めてまいりました。これからもその松明は受け継がれていきます。

 今、筑紫さんが「努めて」きたものは、テレビからはほとんど消えている。「その松明」は、もう消されてしまった。唯一、金平さんのTBS「報道特集」だけが残る。

 だから最近のわが家は、とても静かである。アマゾンプライムに入っているので、Amazon musicでクラシック音楽を流しながらこれを書いたり、本を読んだりしている。テレビは、よほどよいものでないと見ない。ということは、ほとんどつけないということだ。

 

 筑紫さんとは、直接話したことがある。

 『週刊金曜日』発刊の前後、初代編集長の和多田さんに依頼されて、その発刊を記念して、浜松で本多勝一、筑紫哲也の講演会をやった。私が、主催者代表であった。残念ながら、私は当日、本多さんや筑紫さんが何を話したかは聴いていない。本多さんを襲うという噂が流され、やむなく警察に警護を依頼して、私はホールの入り口付近で警察署の警備課長といざというときに備えて待機していたから、である。

 その後、会場を離れて、懇親会をもった。そこでは、本多さんや筑紫さんと話した。しかし、どんな話をしたかは記憶にない。写真と、お二人がサインした色紙が残っているだけだ。そこで本多さんの生の顔をはじめて見た。筑紫さんはあの柔和な顔でいろいろな質問に答えていたことを思い出す。

 懇親会終了後、本多さんらは、タクシーで翌日の講演会場・甲府へ出発した。

 『週刊金曜日』の発刊は、1993年。それからもう20年以上も経った。それからの変化は、想像をこえる。

 昔からずっと「少数派」である。

 だが、幸徳秋水や大杉栄らが生きた時代は、もっともっと「少数派」であった。だから今、私は、彼らの生き方から学ぼうとしている。彼らは権力に虐殺されたが、そういう時代がまた来るのではないか。

 幸徳も大杉も、そして野枝も、「少数派であることをおそれない」生き方をした。

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