虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

能勢にきた大坂浪人(能勢一揆2)

2005-11-11 | 一揆
天保8年7月1日早朝、大坂の町から5人の男が能勢にむけて旅立った。

山田屋大助。
大坂の斉藤町(今の西区。西船場か)で、薬種業を営むかたわら、対馬藩の蔵屋敷に道場を持っていて、大坂の与力や同心、また町人たちに柔剣術を教えている人物。その腕は鬼神のごとしだとか。住居も立派で、けっこう豊かな暮らしをしている。若い妻(後妻)と娘と息子がいる。能勢山田村の出身で、多田院御家人の子孫。この人物については、まだまだ書くべきことが多いけど、割愛して先をいそごう。

今井藤蔵。
三河出身の浪人。山田屋大助の住居に近い横堀に住み、そこで、書道と算術の塾を開き、大勢の弟子がいる。妻とまだ10歳にならない娘がいる。山田屋大助とは、義兄弟の仲で30年来の友。年齢も大助と同じくらいで、40代の後半。

佐藤四郎右衛門。若い。20代で独身。因州鳥取藩を浪人し、御堂筋河原町で、研ぎ屋をしている。

本橋岩次郎。若い。大坂城玉造口定番同心。前記の今井藤蔵の甥といわれる。

三津平。今井藤蔵に雇われた小者。

本橋(遠島)と三津平(牢死)は、現地に到着して騒動が始まると逃げ帰ってしまうので、主役は、山田屋大助、今井藤蔵、佐藤四郎右衛門の三匹の侍ということになる。

大助は、故郷の能勢山田村の父親の病気見舞いに、今井は、能勢妙見参りに、と言い残して長年住み暮らした大坂を旅立ちました。

3人とも、半年前の大塩の乱におおきなショックを受けた血の熱い男たちです。

ブログって、いったい何字まで書けるのだろう。わからないので、とりあえず、ここまで。


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