虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

秘密保護法案 衆院可決

2013-11-26 | 新聞・テレビから
NHKの国会中継。秘密保護法案の審議の中継は今日が初めて。成立する日だけ中継するのがNHKの国会中継のようだ。夕方から、本会議に送られ、そこでも可決したそうだが、本会議も中継はなし。

「知る権利」に資する報道機関の取材の自由は保障する、と政府はいうが、今の報道機関が「知る権利」に資するものになっているのか。特にテレビは、もはや報道機関としての使命は捨ててしまった感すらある。第一、報道番組などないではないか。

こんな悪法が成立したのも、自民、公明、民主、みんな、維新の議員に投票した国民が多いからだろう。この5党の支持者を合わせると、投票した国民の半分以上になるのではないか。
これらの党を支持する人達は、地域や職場では、善良で、紳士、淑女、あるいは、良きおっちゃん、おばちゃんたちだと思う。この人々のおしゃべりの中ではおそらく、秘密保護法案が話題になることはまずないにちがいない。日本は、こういう国になった。

半世紀前には、今とちがってSF小説がはやり、近未来小説もよく書かれた。今、まさに、その近未来社会になっていると愕然とする。

大昔の近未来SFのひとつに、ブラッドベリの「華氏451度」という小説があった。本の存在を許さない社会で、華氏451度とは本が燃える温度だ。主人公は本を焼く仕事をしていた。

その中で、「海の貝」という耳にあてる器具が出てくる。人を慰安する音楽が流れて、人々はただ、「海の貝」を耳にあてて、憩いの時を過ごす。また、部屋には壁テレビという大きなテレビが設置され、そこから絶えず一方的な情報が流される。テレビと「海の貝」が人々の情報源で、本を持つことは犯罪。人々は、おしゃべりはするが、しかし、何も話していないのと変わらない。話すことといえば、スポーツか料理か旅かテレビの話。みんな、同じ会話をする。

先日、喫茶店に入った時、違う席に女性が二人座っていたが、二人はおしゃべるするかと思いきや、二人ともそれぞれ、ケータイ(スマホか?)を持ち出し、互いにその器具をじっとみていた。これも、ちっとも珍しくない光景なのだろう。あの近未来社会だ、と思った。

一方で、テレビなどでくりかえされる、北朝鮮や中国非難の言葉を聞くと、昭和前期の過去世に戻った感じもする。かつて、鬼畜米英といった。その前は、中国非難がかまびすかったではないか。

テレビのニュースでは、「本日、賛成多数で特定秘密保護法案は衆院を通過しました」と伝えるのみ。せいぜい、「慎重な審議が必要ではなかったか、という疑念は残る」とコメントするのみで(たぶん)、「では、次のニュースです」と話を変える。

未来社会であれ、過去世であれ、恐るべき世界にいる。