虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

伏見義民

2006-11-24 | 一揆
伏見義民のことがはじめて広く世に知られたのは、小室信介「東洋民権百家伝」(現在、岩波文庫)から。
小室信介は、「雨中の鑵子(かんす)」という実録物を要約して物語っている。話は、伏見奉行になった小堀政方の悪政に対して、3人の町人が江戸の寺社奉行に直訴し、小堀は改易、町人はお咎めなし(といっても、3人は病死)の町人側の勝利に終わる話。百姓一揆ではなくて、町人の政治闘争だ。天明5年の事件。詳しいことは、今度、「雨中の鑵子」というのを読んでから書いてみたいけど、今度、「民権百家伝」を読んで、直訴をした主役の文殊九助もさることながら、脇役や悪役側にも興味をおぼえた。

はじめて江戸に出て直訴しようとするとき、遠国の浪人で、虚無僧をしている中村靱負(ゆきえ)という男が、文筆も達者なので、同行しようと申し出る。一揆に味方する浪人、おお、珍しいではないか。1回目は、情報探索で伏見に戻り、2回目、いよいよ3人が直訴に出ようとするとき、この浪人も同行するはずが、今度はたくさんの金を要求、それなりの金をくれないと行けないという。金がなければ出発できないならば行かないでもいい、と町人は断ると、浪人は怒り、小堀に直訴のことをバラしてしまう。まったく不届きなヤツだ。

あとは、やはり、小堀政方の寵を一身に集めて、小堀に悪政に足を踏み入れさせる因となったといわれる側室お芳の方。(しかし、女性に原因があるわけがない)

江戸八丁堀の医師の娘で、江戸一の美人で、かつ一を聞いて十を知る才女。和歌連歌琴碁書画茶道香花ことごとく堪能。自由奔放で、親の意見などなんのその、いつも外出、飲酒、物見遊山、遊び放題。阪東米五郎という役者に一目ぼれして恋仲になる。
小堀政方は、駕籠の中からお芳さんを一目見るなり、心奪われ、側室にするが、ちゃっかり阪東米三郎も伏見に呼び寄せ、名前を変えて、侍にして交流を続ける。

直訴のあと、小堀政方は改易となり、お芳さんも門前払いとなるが、その後は、昔からの念願であった阪東米三郎とめでたく一緒になって暮らしたそうだ。おそるべき智謀の持ち主のお芳さん、まさかここまで読んで殿様に悪政をしかせたわけではなかろうが、わがままいっぱいにすき放題をして生きた女性。あの時代では毒婦と呼ばれるのだけど。

脇役だけど、はじめ3人は江戸で田沼家の祐筆千葉興七郎に依頼して訴えをしようとするが、千葉が仕える田沼は小堀家とは切っても切れない懇意な仲。そんな訴えを盛ってきたら即座に捕らえてもいいはずなのに、この武士は町人に同情して見逃している。千葉興三郎、いい武士だ。

というわけで、「伏見義民」の脇役をちょっと紹介してみました。
画像は、伏見義民碑。