らんかみち

童話から老話まで

人間失格したいんだけど

2011年10月11日 | 暮らしの落とし穴
 祭りが終わって一息入れようと思っているところへ村人がやってきて「あれしてほしい、これをやったらどうか」と。でもそれ、損長に言うてるの、それともHALちゃんに言うてるの? 

 おばちゃんたちしてみたらは、「そんなんどっちでもええから、目の前の問題を解決せんかい」くらいにしか考えてないのかも。そのうち聞いているこちらも訳がわからない状態にさせられそうで怖い。

 このところ地元のスーパーで聴かされるているのは「人間失格」ですが、少しばかり上から目線してませんか。

 ♪「大事なことから逃げてませんか」って、逃げたいのはやまやまなんだよ。
 ♪「もうタバコはやめましたか」って、とっくにやめたよ! 
 ♪「ありがとうと言ってますか」って、誰かのために頭を下げる毎日なんだけどぅ。

 スーパーのBGMにまで説教されるので、写真に逃避してみました。

     

     

 ♪「明日は明日の風が吹く」って? あぁ、そう願いたいもんです。

キツネたちとの奇祭

2011年10月10日 | 暮らしの落とし穴
     

 昨日今日と、我が寒村は秋祭りに熱を上げており、損長も轟沈しておりますが、例大祭とはいうものの、近年は祭りの主役の座を物の怪に奪われておるのではと懸念しております。
 誰も彼もが酔っていることもあり、肉眼では確認できないけれど、写真を現像してみるとキツネが写っていたりします。この写真でも連中は巧妙に尻尾と耳を隠してますね。

「このままだと来年の祭りはどうなることやら」
「いや、キツネどもにむざむざ祭りを乗っ取られるくらいなら、来年は華々しく散ってやろうじゃないか」
「よっしゃ、それなら御神輿を投げて砕いてやるか」
「さんせい、さんせい」
「最後に目にもの見せてやるぞ!」

 本日の算用酒で、来年を村祭りの集大成と位置づけ、あらん限りの村人力を傾注しようじゃないかとなりました。当地の損長など何ほどの力もないので、村人たちの湧き出るパワーを結集し、物の怪たちとの最後の戦いに臨む所存にございます。

ジョブズ氏の「バカ」

2011年10月08日 | 暮らしの落とし穴
 アップル製品を一顧だにしてこなかったぼくでも、偉大な人を失ったなと悼んでおります。スティーブ・ジョブズ氏の訃報に接し、氏の残した「Stay Hungry, Stay Foolish」という言葉は、まさに自分に語りかけられたのだ、と受け止めた人も多かったのではないでしょうか。

 実際ぼくも、お腹を空かしてダイエットに励め、と解釈し……って、そんなわけない。ぼくは、真理を貪欲に追求したいという熱い思いも無いし、お利口な大人になって安穏とした人生を送りたいと考える、氏の戒めを切実に受け止めなければいけない人間の一人なのです。

 もう一つの残念なニュース。ロータリーエンジンの自動車が生産を終えるかも知れないと今朝の新聞に。子どものころ、フェラーリやランボルギーニといったスーパーカーより、世界で最初にロータリーエンジンを搭載したマツダのコスモスポーツに憧れてプラモデルを作ったものです。
 
 当時は船舶、オートバイなどはもちろん、チェーンソーにまでロータリーエンジンが使われ、白ろう病を懸念する林業などで歓迎されたのです。振動の少ない夢のエンジンだったわけですが、割と早く消耗するし、燃費が悪い分は熱に変わって排出されるので、チェーンソーだと相当熱かったはずです。

 大人になってからもロータリーエンジンへの思いは消えず、みんなに笑われながらもラジコンヘリにロータリーエンジンを搭載して飛ばしてました。多くの人が選択しないように、振動が2ストロークエンジンに比べて幾分か少ないのと始動性が良いくらいで、他にアドバンテージは無かったですね。それでもなお、チャンスがあれば別のメーカーのを使ってみたい情熱は、今でもあります。
 などと考えていたら、ぼくも意外とハングリーでバカやってる気がしてきました。自分を見つめ直すチャンスをくれた、ジョブズ氏の冥福を祈ります。

鎮守の森にて

2011年10月07日 | 暮らしの落とし穴
 村に少なからぬ寄付がありまして、あれって何て呼ぶのかな、「一金◯◯円だれそれ」と刻んだ石碑を氏神様に立てました。墓石屋さんが「滞りなくやらせていただくので、損長さんの立ち会いは不要です」とおっしゃるけど、そんなわけにいくか!

 車の入れる神社ではないので、石碑を担いで石段を登るのが昔流ですが、石屋さんも高齢化しているのでそれはできません。機械に乗せて石段を登る手もあるんですが、機械の重さプラス石碑160㎏に石段が耐えられるのかどうか、損長のぼくに判断できないのでウィンチを使ってもらいました。つまり石段ではなく、山の斜面をソリのようなものに石碑を載せて引き上げてもらったのです。

「昔は石を担いで上がったもんじゃ」と長老はおっしゃるけど、青年団など既に解散してしまってます。元屈強な青年も、今じゃ神社の階段を登るだけで膝が笑う体たらくなら、「業者に任せておけ」となるわけです。
 ではあるけど、高額な寄付をいただいておりながら、損長が石碑の設置に立ち会いもしないわけにはいかないでしょう。午前中はこれにかかりっきりでした。

 午後からは祭りの準備ですが、昔からのしきたりには全て意味があって、それらを理解しながら祭りをとりおこなうのは勉強になります。自分の生まれ育った土地が200年前はどんなだったか、言い伝えを聞きながら郷土愛を育みました。
「立派な神社は数あれど、自分が育った村の氏神様ほどありがたいものは無い」
 寄付を下さった方の言葉ですが、どんなにささやかな神社であろうと慎ましい神社であろうと、最後は鎮守の神さまに安らぎを求めたい、そんな気持ちが理解できた一日でした。

 写真はミントの葉っぱを歩くテントウ虫です。蓼食う虫も好き好きというけれど、ミントのような刺激の強い葉を歩けるんだね!

     

 

 

狂い咲きも堂々とやればいい

2011年10月06日 | 暮らしの落とし穴
     

 これって桜ですよね。とある神社の敷地内で撮影したんですが、一年中咲いている気がするんです。

「狂い咲き」という言葉もあるけど一年中咲いていたら、もはや狂っているとはいえませんよね。

「出る杭は打たれる」といいますが、出過ぎてしまった杭は打つことも出来なくなる。それでもなお打ってやろうと試みる御仁は必ず現れるから、小沢一郎さんが打たれているのかな。

 この桜もわりとヒッソリ咲いてまして、年中咲いているからといって四季の移ろいからやっかまれることもないようで、なによりです。

 

焼き鯖そうめんならぬ、鯖缶そうめん

2011年10月05日 | 酒、食
   

「焼き鯖そうめん」で自分のブログ内を検索すると、2007年4月16日の日記に「長浜曳山まつりを観に出かけ、焼き鯖そうめんを食った」と書いてました。あのときは正直、どうでもええなぁと思ったんですが、この夏に姪が長浜土産に携えて来たではありませんか。
 今日まで食べなかったのは、そのう……素麺とはいうものの、真夏に食いたいモンじゃないんですな、これが。

 あのとき食べたのは観光地の有名店で、我々はすんなり入店できたんですが、直後に行列をなして観光客が押し寄せました。そんな中、「オレはネットで予約してある」と言い張る方がいて、「当店は予約を受け付けておりません」と断る店員さんに捨て台詞を吐いて出て行ったのが印象に残ってます。
 だけど当日は結構な陽気で、冷た~い素麺にありつけると期待していたぼくとしては、あの方は食わなくて正解だと思いましたね。温かくて汁気のない甘辛い味付けの素麺の上に、これまた甘辛く煮た温々の鯖の切り身がトッピングされていたからです。

 作り方ですが、素麺は一度ゆでて冷水で締めた後、鯖を煮込むための出汁醤油で再度煮込みます。なので「炊き鯖そうめん」とでも命名するのがむしろ正しいと思われますが、焼き鯖寿司との相性を考えてのネーミングでしょうか。
 なぜ鯖なんだ? だれしもそういぶかるのですが、「鯖街道だから」とシンプルな返答をされて得心するでしょう。

 老舗鯖そうめん屋さんの暖簾を汚すつもりはないのですが、鯖缶しょうゆ味をトッピングしても悪くないと思います。というより、缶詰のように骨まで食べられる煮方が分からない。

     

 写真はそれ、つまり鯖缶そうめんです。本物は鯖の表面を焼いてはいるんだけど、骨まできっちり火が通っているのにもかかわらず、煮崩れしてなくてサバサバ食べられるんです。自作のこれも、味的には大きくかけ離れたものではなかったです。
 秋霖そぼ降る旧暦の長月、とっくに熱燗とおでんを並べているぼくとしては、ススキなんぞに思いを馳せながらの焼き鯖そうめんも、ありかな。

Nikon D80にて心の平穏を

2011年10月04日 | 暮らしの落とし穴
    

 祭りを週末に控えていながら母が入院しているので困難な日が続いております。ものにはベロシティーというものがある、施設にはキャパシティーというのがある、人にはアビリティーというものがある。それらのどれも、田舎の病院医に期待してはいけないのだと思い知らされました。
 まあた看護婦が薬を飲ませすぎて母が粗相をしでかし、「家に連れて帰って風呂に入らせろ」とは、どういう了見でぃ、自分たちの責任を放棄するな!

 看護婦が同じ過ちを何度も繰り返すので、さすがに堪えることはできませんでした。かといって、これからも付き合わないといけないので叱責するわけにもかず、容赦をするしか無いのでしょうか。
 とりあえず軟便剤を調整を加減してみろとサジェッションしたけど、素人に指摘される体たらくでどうする。今度やったら厳しく糾弾するつもりです。あまりにも責任感を欠いていると思えるから。
 
 腹立たしいことが毎日、夜露のように降り注ぐので夢見の悪いこと。酒でも飲まないとやってられんのですが、救いの手のごとく一眼レフが届きました。NikonD80で、この前もらったD70の後継機みたいですが、とても使いやすい!
 ファインダーは明るくて広いし、画素数だって十分な上にコンパクトで少しだけ軽いのです。というわけでコスモス。しばしの安らぎです。

山里に秋の訪れを告げられ

2011年10月02日 | 暮らしの落とし穴
 3日前、何人かの人と会って話をしたけど思うように事が運ばず、気分転換にと山里に出かけました。
 日中でもバイクを駆ると体感温度は初冬を偲ばせるそれで、もしかしたらと期待したけどさすがに紅葉は臨むべくもありませんでした。しかし彼岸花は最盛期を迎えているらしく、遍路に旅立った2003年の秋を思い出させてくれます。

     

 クモの巣に引っかかるのも枯れ葉。一眼レフを携えて遍路道を歩くのは大変ですが、もしそれが可能なら写真の質はコンデジよりずっと良いものが撮れそう。といっても、自分のセンスの無さを道具で補うってことで、目の付け所が変わるわけではないのが辛いか。

     

再入院はお目出度い

2011年10月01日 | 暮らしの落とし穴
 昨日再入院となった母の病室を訪れました。硬膜外神経ブロックの注射は効果があったらしく、入院前よりも快活な様子で、血圧を測定に来た看護婦さんと話しています。
「うちのお婆ちゃんは今日が誕生日」と、母を後回しにして他の患者さんたちにショートケーキを配り、最後に母にケーキを渡すや、
「これはこれはご苦労様で」と、ベッドの上で正座に座り直して頭を下げるではありませんか。息子の顔が分からなくなったのかと、一瞬固まってしまったんですが、自分の誕生日もちゃんと思い出したようです。

 今回の入院で始めた神経ブロックという治療は、腰椎の神経の近くに麻酔薬を注射する、やや危険を伴う手技で、オペというほどではないにしろ難しい処置のようです。
 色んな人に聞いても一様に顔をしかめ、「本当にするつもり?」と、様々な意味で懐疑的な答えしか返ってこなかったのが不安でした。

 そして入院した当日のこと、「神経ブロックは成功しました。息子さん、これ見て。こういう治療なんです」と、先生は絵を見せながら説明してくれました。
「こ、これは、なかなかに難しそうな注射で……」
「そうなんよ、難しいんよ。でもね、ぼくって認証医だから上手なんよ。ほら、この認定証見てよ。この分野では知る人ぞ知るドクターってね」
 せ、先生ぇ、もしかして素人相手に自慢なさって……?
「てへへぇ、ちょっと自慢しちゃったぁ!」

 病室は以前と同じ部屋の上に同じ顔ぶれで、「あれまあ、お婆ちゃん帰って来れたの、良かった良かった」と歓迎され、「いや、あんまり良くはないと思うんですけど……」みたいなリアクションしか出来ませんでした。
 彼女たちはいうなれば同窓生ですから、同じ釜の飯を食った者同士にしか理解できない連帯感というのもあるのでしょう。母も上機嫌で、「戻ってきたよ」と挨拶を返してましたが、定住してもらってもなぁ……。

 夕方だったので、病室に長居して患者さんたちを興奮させてもいけないので、早めにケーキを食べるように告げて病室を出たんですが、なんだか異常な盛り上がりようです。
「◯◯さん、お婆ちゃんに誕生日の歌を歌ってあげてよ」と看護婦さんがいうや大爆笑がおき、続いて「♪ハッピバースディ……」みたいな賑やかなノリでした。再入院、めでたしめでたし。