らんかみち

童話から老話まで

キクラゲらしきものを発見したけど

2011年10月21日 | 酒、食
 よそさまの庭の木にキクラゲらしきものを発見したんですが、所有者は何であるか不明だとおっしゃる。二週間前には確かにキクラゲだと思ったのに、一昨日見たら、なんじゃ~こりゃぁ? あのときよりずいぶん蔓延っているし、色も形状も当時の面影を残しておりません。

     

 この木(モミジ?)には他にも大きめのキノコが生えておりますが、サルノコシカケっぽくて食べられそうもありません。そもそも他人さまの家の庭木から食いもんを盗ろうという発想が間違っているようです。

百姓一揆のきっかけになるか

2011年10月20日 | 暮らしの落とし穴
 戦国時代に自衛隊がタイムスリップしたなら無敵だろう、と思う人は多いだろうしぼくもその一人でした。ところが「戦国自衛隊」という映画を観たら、そんな固定観念は無残にも崩れ去りました。数機のヘリコプターなんぞ、命知らずの足軽たちの前には何ほどの役にも立たないと知ってゾッとしたのです。

 ニューヨークのデモとか、ギリシャのゼネストとか、なんだか恐ろしいことになっているようですが、北朝鮮は「これが資本主義の成れの果てである」と、自国の独裁体制を喧伝しているようです。
 しかし、デモが社会を変革する力になり得る、と民衆が気づいたなら独裁体制そのものが揺らぐと思うのに、不思議だなあ。

 蕎麦打ちの練習で椎間板ヘルニアが百姓一揆を起こしそうなぼくですが、本日は「秋のバラとグルメ祭り」の会場設営に出仕しておりました。地域の活性化を標榜しての活動ではありますが、今をときめくB級グルメの出店を仰いだことにより「自分たちの祭りじゃないよな」といったネガティブな雰囲気が少しだけ漂ってきます。

 隣町の人たちにしてみれば、「あいつら、派手なことをやらかしてくれるじゃないか、俺たちも負けておれるか」と、起爆剤になっているかもしれません。ですが、既製のシステムやパワーを使うのは、地域の活性化にとっては諸刃の刃となりかねない懸念もあります。
「そんなことで良いのなら、芸能人も呼べよ」と、自助努力する機運を削ぎかねなないのです。そりゃあ我々だって金があるなら芸能人には来てもらいたい。しかしテレビなどのメディアで取り上げられたとしても、そんなのは一時力に過ぎないのでしょう。

 原発を誘致しての交付金を頼みに町おこしをしたのは間違いであった、そんな指摘も今なら出来るかも知れないけど、その当時に町の命運を委ねられた人たちに思いを馳せると、地域の活性化に腐心するぼくたちは身につまされます。
 といって、「じゃあどうすれば市民が豊かになれたというのだ」と問われ、返す言葉も思いつきません。

 ただ一つだけ思うのは、市民の心の底から湧き出る欲求。このままでは孫子の代に責任が持てるのか、という危機感。豊かになりたいからではなく、これからの高齢化社会をどう生きていくのかという命題。それは芸能人やB級グルメに頼って解決できるとは誰も思っていないけど、百姓一揆やデモみたいなもののきっかけになれば幸いなのかな。

新蕎麦が届きました

2011年10月19日 | 酒、食
     

 島の知り合いに信州人がいて、「ぼくは小諸の大西製粉で蕎麦粉を買ってました」と紹介したくれたので、「ほぅ奇遇ですね、ぼくは大阪の小西製粉で買ってましたよ」と返したことがあります。本当は小西というのは社長の名前で会社の名前ではないんですが、ついつい張り合ってしまったのです。

 あれ以来、「信州産」と謳っているのを買っておりますが、今回もまた届きました。春に買ったときもかなり美味しい蕎麦粉だと思いましたが、今回は新蕎麦ですからね、打つのが楽しみです。

 といっても実はこれ、自分の口に入れるためのもんじゃないんですなぁ。週末にバラ祭りがあるので、そこで島の蕎麦を打って振る舞うつもりだったんですが、夏蕎麦が天候の加減で実が入らなかったので、その代替粉というわけです。

 秋蕎麦も栽培してますが、ここ愛媛で10月に収穫するのは不可能に近いでしょう。試験的に盆前に播いておいたのはきっちり実っておりますが、それでも乾燥のことを考えると今月中に粉にすることは難しいかも知れません。

 さて、蕎麦を収穫するのは良いとして、水分計をどこかで調達しないといけません。水分の多い粉(15パーセント程度が好適)を粉屋さんは挽いてくれないのです。いやそれどころか、愛媛県内を探しても石臼で粉にしてくれる粉屋さんが見つからないのです。こうなったら小西社長にお願いに行くとしますか。

どこかに電波泥棒がいるはずだ

2011年10月18日 | 暮らしの落とし穴
 昨年の2月にお役人さんがやって来て「他府県のテレビを観ることは法的に許されておりません。愛媛の人は岡山のテレビを観ずに、愛媛の放送を観て下さい」と、大抵の人がひっくり返りそうなことを言ったものだから、地デジ説明会は紛糾しました(法的根拠は、ちゃんとある)。
 同じようなことだけど、とある地デジ説明会場では「他府県の放送を観るのは、余所の海に出かけて魚を獲るようなもの」と発言したとか、しないとか。あくまでも噂に過ぎませんが、あわや乱闘寸前になったとか、ならなかったとか。

 広島ナンバーや岡山ナンバーの車がうちの島に来て磯釣りをしていますが、お役人さんはあの人たちのことを念頭に言ったのでしょうか(。
 ゴミを出さないとか、からまった釣り糸の始末をちゃんとしてくれさえすれば、我々は彼らに対して目くじらを立てたりしません。網を引いて魚を盗って帰り、販売したなら密漁でしょうけど、アマチュアの釣り人が小魚を釣って帰るくらいなら文句を言うはずありません。

 村人から「門型クレーンが設置されて地デジが映りにくくなった」と、損長から企業にクレームを付けるよう促されました。少し前に映り具合のアンケートを実施してはいたんですが、勇み足ってケースもあったりするので少し様子を見たかったんですが、問答無用のようでした。
 企業側の担当者と電気屋さんの3人で話し合いした結果、「結論は出せない」という結論に達しました。どうして映らないのか、あるいは映るのか、電気屋さんにも不可解なことが多すぎるのです。

 クレーン設置の前から「電波障害が発生しますよ」と警告し、障害発生時には企業サイドで責任を持って対処してもらうことは約束ですから実行していただくとして、どうして地デジが映らなくなったのか、実は良くか分からないのです。
 素人考えでは、どこかに電波泥棒が潜んでいるとしか思えないのですが、それは地元企業でしょうか、それとも総務省でしょうか。今では他府県のテレビを盗み見ることすら出来なくなりました。
 

信州の新酒、しかも蕎麦など

2011年10月17日 | 酒、食
 2004年頃の日記に「不景気なのにワインが安くなって暮らしやすい」と書いた記憶があります。当時の対ドル円相場がいくらだったか覚えてませんが、100円は切っていなかったはず。それが今や77円40銭。とんでもない円高に日本は喘いでいるわけですが、なぜボージョレー・ヌーボーの予約金があの頃と同じ相場なのだ!

 いくら空輸しているからといって、1ドルが140円台の頃と比べりゃ半額近く値下がりしていてもおかしくないはず。3000円というカルテルを疑いたくなる予約金に、断じて買うか! 本当は欲しくてたまらんのだけど……。
 輸入商社に対する当てつけのように、生協で信州ヌーボーを注文しておいたのですが、今日届きました、998円。

     

 国産ワインというけど、大手ワイナリーはブドウを輸入して醸すのが普通だと聞いてます。しかし「長野県産ブドウ100パーセント使用」と明記しているからには正真正銘の国産ワインでしょうか。
 でもね、ブドウの産地に住んでいた経験からすると、地ワインって美味しくないんですよ。このワインだって……あらら、新酒の荒々しさは無いものの、想像してたよりイケる!

     

 信州ではとっくに収穫済みの蕎麦ですが、当地では満開を迎えております。といっても、わざと播種を遅らせたので背丈の低い蕎麦になりそうです。写真は信州大蕎麦と呼ばれる品種かと思うんですが、交雑が進んでいるかも。
 それにしても、虫たちが少なすぎて、これじゃあ受粉できないよ。来年は養蜂も視野に入れて蕎麦を作らないといけないのでしょうか……。

週末に備え、気力を温存したい

2011年10月16日 | 暮らしの落とし穴
 またもや村のお年寄りから用事を頼まれました。大したことではないので協力するのにやぶさかではないけれど、こう見えて損長は忙しいのです。分刻みのスケジュールなんてことはありませんが、未経験のシーンに直面することも少なくないし、お偉い方々との折衝で緊張することも少なくないのです。

 とりあえず今週末に予定している蕎麦打ちを終えるまでは体力を温存しておきたいんですが、すでに限界付近が見えてきております。に肉体的にも頑健というわけでもなく、むしろ爆弾を背負っているような状態なので、「大人は危うきに遊ぶ」より、「君子は危うきに近寄らず」で行きたいと思います。

芋煮会、もしくは猪煮会

2011年10月15日 | 酒、食
 山のあなたの空遠く、パンパン音のするという……独り寂しく窯詰めをしていた昨日、イノシシ猟と思われる発砲音が聞こえてきます。解禁日を迎えたとばかり思っていたところ、本焼きを始めた今朝になってすごいニュースが飛び込んできました。

「村のみなさま、お早うございます」
 昨日発砲音の聞こえた村の拡声器から、村内放送が聞こえてきます。
「本日は、恒例となりました芋煮会を催します」
 どうやら、その村の損長さんとおぼしき方の告知です。
「今回の芋煮は、イノシシ味をきかせて美味しく仕上げます」
 ほぅ、視点を変えればボタン鍋ですか!
「みなさまの畑の芋や蜜柑を食べて丸々と肥えたイノシシです。是非とも食べてやって下さい。繰り返します。みなさまの畑の芋やミカンを……」

 最後の決め台詞にすっかりほだされ、イノシシ食わずんば精を得ず! ああしかし、火を点けた窯の前を離れることはできんのだ。
 独り悶々と窯焚きをするうち、「窯の番をしておいてやるから食べてこい」と先輩が来ておっしゃる。しかし先輩を差し置いて自分だけ食えるわけがない。お気持ちだけいただき、ボタン鍋は諦めました。

 やがて昼時となり、用意していたパンを食うべきか、いや、誰か芋煮会に誘ってくれるかも、だけど窯を放ったらかして……。
 コーヒーとパンを前にためらっているところへ、「窯は主人に任せて、芋煮会に行きましょう」とのお誘いが、やったー!

     
 
「これは、イノシシと言われないと分からんよ。臭みもなくて美味しい。昨日撃ったやつですか」
 ボタン鍋というより、非常に上品な豚汁をいただきながら聞きましたら、「解禁日は来月じゃろ、冷凍しておいた肉よ」
 解禁日はまだのようでしたが、狩猟許可さえ更新していれば通年で撃てるんだそうです。

 ミカン猪(しし)をいただきながら、「シトラス・猪、シトラ・シシ、シトラッシー!」
 もはや猪なのか虎なのか分からない、実にいかがわしいネーミングがよぎったのは、窯焚きが失敗だという事実からの逃避と気がつきました。実に愚かなミスをやらかしていたのですが、猪に掬われた思いの神無月です。

毒キノコで村おこし

2011年10月14日 | 暮らしの落とし穴
 きのこ大好き人間なんだけど、今日スーパーで見かけたカナダ産マツタケは全身が真っ白でした。マツタケといえば茶色と白のツートンカラーだよな、こんなカナダ人みたいに生っ白いのって、なんだか不気味! 値段に目もくれないでエリンギに手をのばしてしまいました。

 子どものころは裏山に分け入り、マツタケ、チャタケ、ハッタケその他を兄と競いながら採ったものです。今となっては夢物語のようですが、マツタケよりその他のキノコ、謂わば雑茸のほうが美味しく感じたのはなぜでしょう。

「香りマツタケ味シメジのシメジとは、これのことです」と生協のカタログにあり、「信じる者は騙される」を実践してみたんですが、やや欲求不満の残る味でした。永谷園のマツタケ風味のお吸い物などに口が慣れてしまったんでしょうか。
 
 こうなったら毒キノコでも食うしか道は残されていないと思うのですが、神社の境内に顔を出した、おとぎの国に欠かせない赤い傘に白の水玉模様のキノコを採る気にはなれません。
 しかし中島らもさんの著書「アマニタ・パンセリナ」によれば、確か信州の方面だったと思うけど、毒キノコの毒を抜く方法があって、「それは非情に濃厚な味だった」と紹介してました。

 もしあの話が真実だとしたら、これはもうB級グルメにうつつを抜かしているどころじゃない。信州方面に親戚も友だちもないぼくですが、わざわざ食べに行きます。蕎麦なんて打ってる場合じゃない、毒キノコの毒抜きに勤しまねば!
 実は当地にも似たような話があって、近いうちに真偽を確かめに行くつもりなんですが、毒キノコの毒抜き販売が食品衛生法とかに抵触しないか、それが不安。

祭りを終わらせるのは難しい

2011年10月13日 | 暮らしの落とし穴
     

 旧暦の長月17日、今宵は段原神社の宵宮祭が執り行われました。つい4日前に氏神様の例大祭だったというのに、まぁた祭りかい! 氏神様の祭りは新暦で行い、今回の段原神社の祭りは旧暦で行うので、祭り同士が惑星直列のように急接近することもあるようです。

 この狭い村に神社が二つ、お稲荷さんが一つ、金比羅神社(厳密にはお寺?)が一つ、お大師さん(番外含む)が三つあるので、年中行事が凄まじい勢いで回ってくるように感じます。

 氏神である海神社と金比羅神社は海上交通の安全を祈願するため、海運業で栄えた当地には不可欠なのですが、陸にに残された者たちが五穀豊穣を祈願するため段原神社をどこからか頂いてきた、ということのようです。

 諸説あって軽々しいことは言えないんですが、先ずは海上交通の安全ありきの村です。しかし、かつては20杯を数えた椀船も今は無く、こんな祭りは必要ないと胸の中では思っていても、止めてしまおうと言う人はだれもいません。
 でもこれらの祭り、実は出会い系、あるいは見合いの場として機能していたと考えるのが自然だと思います。

「港々に女を作るのも大概にして、そろそろ村の娘でも娶ったらどうか」みたいなことをいわれたお兄さん、祭りに帰ってみると、めんこい娘が! こんな可愛い娘がいたのかと見初めたところ、なんと隣の家の娘が大きくなったと知ってビックリ。
「嫁入りは、そりゃ楽で楽で」と、嫁に行ったお婆ちゃんが述懐していたのは事実です。

 村人が高齢化した今、祭りに集うのは爺ちゃん婆ちゃんばかり。お見合いどころか一触即発の危うい雰囲気が漂うこともあり、こんな祭りは疲れるだけじゃないのか。
「戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは困難だ」と聞きます。戦争を引き合いに出すのはどうかと思うけど、一度始めた祭りを終わらせるのは難しい。祭りの幕引きをしたいわけじゃないけど、どうしても維持できなくなり、「もう十分じゃないのか?」と村人が自然発生的に言い出すまでは、祭りを続けましょう。

ジャングル農法の果てに

2011年10月12日 | 暮らしの落とし穴
 近所の偉い先生がうちの隣に畑を作っていらっしゃる。一見すると耕作放棄地と勘違いしそうなのですが、こういった農法もどこかで聞いたことがあります。木の下も自然に任せて雑草の生えたいようにさせながら土を肥やす、いわば「ありのまま農法」でしょうか。

 人の力で雑草や作物をコントロールできているうちは良いですよ、でも先生の畑はコントロールされているのかどうか、微妙に怪しく茂っております。
「先生のジャングル畑は色んな花が咲いていて楽しいですね」
 嫌みというスパイスをふりかけてないといえば嘘になりますが、ある程度本気で褒めたところ、「たくさんの種類を植えるのが好きなんです」と返ってきました。

 あの日からぼくは先生の畑有り様を「ジャングル農法」と呼んで愛でておりますが、写真はそのジャングル畑の名も知らぬ花。スモモかなんかの木の下で、野良生えなのかどうか微妙だけど、あでやかに咲いておりました。

     

「やられました、またやられました!」
 先生が畑で叫んでいるので見ると、ジャングル畑のあちらこちらに浅いバスタブほどの穴が掘られているではありませんか。イノシシが畑に住むミミズ目当てに掘り返したのは間違いありません。うちの畑もそば畑もイノシシは来ませんが、流石はジャングル畑です。

 思い出すのは「桃李不言下自成蹊=桃李もの言わざれど、下自ずから小径成す」のことわざ。桃や李は美しい花を咲かせ美味しい実をつけるので、木の下には多くの人が通るようになり、やがて自然に小道ができるという意味でしょうか。
 この木の下に咲く花のように、先生の元にはその名声と人柄に惹かれて大勢の門下生が通うようですが、ジャングル畑にはイノシシも通うようで、怖いです。