らんかみち

童話から老話まで

記憶は遺伝する

2012年09月19日 | 暮らしの落とし穴


 この長茄子の木だけ、ヘタが緑色でまん丸いのが実る。これで二つ目の発見だけど、他のは全て長いのに不思議だ。接ぎ木の元の性質が表れたと考えるのが自然なんだろうか。
 山に入ると種類の違う木同士がせめぎ合った末に絡み合い、ついには融合しているケースを見かける。すっかり癒着してしまっている部位では、どちらかが吸い上げた水や養分をやりとりしているんじゃなかろうか。そういった木に成る実はどういった性質になり、どんな風に次世代に引き継がれるのだろう。

「記憶は遺伝する」と主張する人がいる。そんな馬鹿なと最初は思っていたけど、本能というのは記憶が遺伝したものじゃないのだろうか。「だったら人はなぜ歩けることを忘れて生まれてくるのか」とかいわれるけど、新生児をだっこして立たせようとしたら歩く動作をするのだとか。
 母親のおなかの中で指しゃぶりするのは、学んだことではない、だとしたら受け継いだ記憶かもしれない。先日のドキュメンタリー番組でやっていたけど、赤ちゃんの能力は生まれたときがピークで、徐々に能力を失っていった後に学習する体制が整うらしい。

 日中韓のいがみ合いみたいなものも、最近の愛国教育とかの賜ではなく、実は古代より受け継がれてきた敵愾心の記憶がDNAに刻み込まれているからではなかろうか。だとしたら現代を生きる日中韓の人たち同士で領土問題を解決するのは困難で、DNAに文句を言うしかないではないか。
 いつの世にかDNA操作で記憶の遺伝も消したり入れ替えたりできるようになるかも知れない。まあそんなに待たなくても、山の木たちのように組んずほぐれつしていたら、いつの間にか何国人か分からなくなる日も来るに違いない。ぼくの生きているうちは無理な話だろうけど。

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