らんかみち

童話から老話まで

神事はお婆ちゃんたちに委ね

2012年10月12日 | 暮らしの落とし穴
 アーティチョークの芽が出始めた、よっしゃよっしゃ。だけどジフィーに蒔いたのは全く芽が出ていない。思うに、フィジーはポットに入っておらず丸裸なので、気化熱を奪われて苗床が冷たいんじゃなかろうか。ハーブバーバに確かめてみたいけど、いかにも素人丸出しで恥ずかしいぞ。

 スーパーで同級生の姑さんに会った。スーパーでなくても色んなコミュニティーで会う人なんだけど、400坪ほどの畑を一人で耕作されているらしい。猪対策も三重の垣根を巡らせて今のところ被害は無いという。う~ん、83歳の所行とは思えないなぁ! 

 うちの島は年寄りの力によって保たれていると言って過言ではない。造船所のような大きい産業もあるけど、外部から島に来ている人がほとんどだ。彼らの一部でも村祭りに参加してくれるなら憂いは無いけれど、地元に関心のある人はいないと思う。

 仮に企業が祭りのために人材を供出してくれたとして、それが地元の祭りなのかどうか……。そんなことをしてまで祭りを続ける意味を問われたら、ぼくも答えに窮する。
 誰のためにする、なんのための祭りかってことなわけだけど、五穀豊穣や海上交通の安全祈願などという動機は失われて久しい。「神は死んだ、我々が殺したのだ」などとニーチェを引き合いに出すまでもなく、神は人と共に滅んでいくのだろう。

 畑の作物は年と共に変化しているし、神様にお供えにする野菜や果物も昔とは違ってきている。そういうことが許されるのなら、隣村の神様とうちの村の神様を一緒に祀って許されないはずはないと思う。
 そもそも神社というのは村人がこしらえたもので、神様がこしらえたものでもなく、ましてや宮司が建立したものではない。だからといって神社と縁を切るというのは村人が許さないだろう。ここはひとつ、元気なお婆ちゃんたちの手によって祭りを続けてもらうとしようか、そうだそれがベター!だ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿