らんかみち

童話から老話まで

病院の大物とは

2015年02月25日 | 暮らしの落とし穴
 入院していた病院、というかぼくが入院していた病棟では、動かせないほど重篤な患者さんのことを「大物」という隠語で呼んでいたかもしれない。
 オペ直後のぼくも、導尿こそしていなかったけど酸素マスクをかぶせられ、6本ほどの点滴が終了する翌朝までベッドから下ろしてもらえない大物だった。つまりトイレに行かせてもらえず、尿瓶で用を足していたということ。

 俳人の金子兜太さんが「俳句王国」というテレビ番組で、ご自身が尿瓶を使っていることを告白していた。告白どころか、「あれは気持ち良いもんだ」と尿瓶を推奨していたけど、達観しているからこその言葉ではなかろうか。
 カーテンで仕切られただけの6人部屋で初めて尿瓶を使うのは、夢の中で小用を足すような危うさがあり少なからず困難が伴った。
 これは夢であって、目が覚めたらオネショをしでかしているんだから、やめておけ、という声がどこからともなく聞こえてきた気がする。

 そういった未知の体験を乗り越え、いびきの合奏のも耐え、さまざまな苦痛に抗いながら一夜を明かしたら、いつしかぼくは大物から小物に成り下がっていた。翌朝のオシッコは、そりゃあ気持ちよかった。入院していながらこんな幸せを感じて良いのか知らん、というくらいの快感だった。人って、探そうと思えば至る所に幸せが転がっているんだねぇ、小物で良かったよ。