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ぽかぽか春庭「村野藤吾の33号館その他」

2013-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/22
ぽかぽか春庭アート散歩>建築さんぽ008-2013(3)村野藤吾の33号館その他

 内田祥三設計の東大校舎にはかすりもしなかったと書いたけれど、かすった方の学び舎は、残念ながら解体取り壊されてしまっています。
 村野藤吾設計の文学部33号館(1962年竣工)。村野藤吾が「出身校へのお礼の気持ちをこめて設計した」と言われる名建築でしたのに。

 今年2013年4月に新校舎ができて、新入生にとっては昔の学生たちが「国連ビル」なんて呼びつつ、行き交っていた時代は、歴史のかなたのことでしょう。学生運動真っ盛りのころ、椅子や机を積み上げてバリケード封鎖していた校舎。学生ストライキなしに4月からちゃんと授業があったのは、最終学年の4年生のときだけでした。

 4年生のときは単位取得はほとんど終わっていたので、卒論指導を受けに指導教官の研究室を訪れただけ(それも、2回だか3回だけ)でした。
 学生ストで授業ができないので、レポートを先生に郵送すると単位がもらえて、ほとんど教室に出ずに卒業できた時代でした。ぜんぜん勉強していないのに国語科教員免許を取得でき、中学校国語教師になって勉強不足を痛感しました。

 中学校国語教師をやめたあと、2年間、またこのキャンパスに通って、演劇学芸能学舞踊学などを学びました。このときのほうが頻繁にキャンパスに通い、文学部の門からスロープを登るにつけても、アジビラも落ちていないこと立て看板などはすっかり影をひそめてしまった様子に、なんという様変わりかとびっくりしました。しかし、スロープから見上げる33号館の姿は以前のままで、そのてっぺんまで登れば学問の高みが見渡せるような気分になる建物でした。

 それが、耐震性不足、耐震設備をほどこすよりは、取り壊して新しい建物を立てるほうがお金がかからない、という理由ですっぱりと解体されてしまいました。スクラップ&ビルドは近代都市の常態とはいえ、なんだか寂しいことです。いつでも見られる、いつまでもある、と思っていたので、写真を撮ったこともありませんでした。
(新33号館は、村野のデザインを踏襲し、耐震をほどこした村野そっくりさん新築にして、キャンパつの印象が変わらないよう配慮しているとのことですが、未見)

 村野藤吾設計の戸山キャンパス33号館は取り壊されてしまいましたが、村野藤吾設計の建物が都内に残っています。一番頻繁にでかけるのが、池袋駅ビルのパルコ(1957年、旧東京丸物デパート)。
 次は、有楽町のビッグカメラ(1957年、旧読売会館&そごう東京店)。年に何度か、電気製品を見にいきます。(普段は池袋の家電店を利用するのですが)。

 数年に一度出かけるのが、目黒区総合庁舎。1966年竣工、旧千代田生命保険本社ビル。同生命保険が2000年に破綻した後、目黒区が買い取り2003年から区庁舎となっています。
 結婚後の本籍地を、夫の実家がある区にしたので、戸籍抄本などが必要になると出かけていました。今では郵送やネットで戸籍請求もできるのに、わざわざ出かけるのは、区役所の建物に入りたいからです。

 (以下の写真は全部借り物)。
早稲田大学戸山キャンパス、中央の高層ビルが旧33号館。通称「国連ビル」


 現・池袋パルコとなった旧丸物デパート。改修前のこの村野の壁画「無題」を見たことないです。当初は、こんなふうだったのね。


 目黒区役所


 建物さんぽを始める前に取り壊されてしまったものは仕方ないことですが、建物を見はじめてから解体した建物だと、「ああ、見ておけばよかったのに」と、悔やまれます。これからも「○○が壊される」という情報をもっと調べなければと思います。

<おわり>
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