北陸はこのところ不順な天候が続いていました、14日は久しぶりに青空がのぞき、最高温度も9度とこの季節としては動きやすい天候でした。
最近はショッピング以外はあまり外出をする機会がなかったのですがお天気が良くて少し温かくなるとどこかへドライブに出掛けたくなりました。
何処へ行くか決まらないままで、最近は北の方角へ出掛ける事が多かったので今日は南に向かって一時間以内で行ける場所でしばらく行っていない安宅の関に行く事にしました。
家を午前10時に出て、海岸線の旧道をゆっくり南下しておおよそ45分間で安宅の関に着きました。
安宅の関の駐車場は道路に沿っていて駐車がしやすくなっています、そのために駐車している車はほとんどが商用車です、この場所が格好の小休止の場所になっているようです。
駐車場の脇から関跡に向かう散策路が有ります、弁慶が大きな岩を持ち上げた石像が有ります。
松林の中の道をたどって関跡に向かいます、歌舞伎の勧進帳の舞台の背景には立派な松が描かれいていますがこの辺は海辺に近く松の林が続いています。
まず目に着くのが歌舞伎の勧進帳の場面の銅像です、正面に武蔵坊弁慶、右側に富樫左衛門泰家、左側に傘を冠って下を向いて顔を隠している九朗判官源義経の像です。
そばに銅像の由来が書いてありました、弁慶は七代目松本幸四郎、富樫が二代目市川左団次をモデルに作られたようです。
松林の中に関所跡の石碑が立っていました。
関の宮、右側の宮が、九朗半官 源 義経公
左側の宮が、関守 富樫左衛門泰家公を祀っています。
関跡の松林の先は海岸になっていて日本海が広がっています、義経一行は海岸線を通ってこの関に辿りついたのでしょうか。
浜辺からの関の門、脇に歌碑が有りました。
松たてる安宅の砂丘のその中に
清きは文治三年の関 与謝野晶子
勧進帳ものがたり館を見学しました、他に見学客がいませんでした、歌舞伎「勧進帳」シアターも見てきました。
歌舞伎の勧進帳の弁慶、富樫、義経の衣装が展示されていました。
勧進帳の文楽人形も、文楽人形は初めて実物を見ましたが想像以上の大きさに驚きました。
安宅の関に面した小高い所に安宅住吉神社が有ります、天応2年の創建の古寺で、創建当時は琴佩山に鎮座していましたが二度の遷宮ののちに天保4年(1647)に現在の二堂山に鎮座しました。
道路から長い参道の先に社が見えます、神社の敷地内の安宅の関が有るので義経師従が厳しい関所を突破した事にちなんで「難関突破」の御守りで知られ人気が有ります。
境内の稲荷神社の前に勧進帳を読みあげる弁慶の像が有ります。
亀の形をした神亀石、亀の形をした自然石で甲羅を撫ぜると長寿になると伝えられています。
写真を撮っていて撫ぜるのを忘れました、忘れるようでは長寿はむりかも。
参道に有る弁慶の逆植えの松、安宅の関を無事に通りぬけた弁慶が無事を喜んで松を逆さに植えた事から呼ばれているようです。
※安宅の関伝承(安宅住吉神社のHPから)
兄の源頼朝に謀反を疑われて追われる義経が奥州平泉へと落ちのびる途中の文治3年(1187)、山伏姿で 安宅の関にさしかかる。関を越えようとしたその時に、関守富樫泰家に見とがめられ、詮議の問答が始まる。
勧進帳とは寺院建立などの資金集めにその趣旨をしたためたもの。
弁慶は白紙の勧進帳を読みあげて、強力(ごうりき)に身をやつした義経をかばう。しかし顔が似ているという関守の前で義経に似た貴様が憎しと主人を打ちすえる。その忠義の心に感じた富樫は義経と知りながらも一行を解放し、関を通してしまう。
歌舞伎十八番の勧進帳で弁慶役を演じて来られた市川團十郎さんが二月の三日に惜しまれながら享年66歳の生涯を閉じました、歌舞伎に一生を捧げ、新装成った新歌舞伎座の将来に誰よりも情熱を燃やしていただけに誠に残念です。
二月二十七日に葬儀が営まれる予定になっています、ここに心よりご冥福をお祈り申し上げます。
あり日の市川團十郎さんを偲んでパリのオペラ座歌舞伎公演で演じた勧進帳をご覧ください。
弁慶を市川團十郎、富樫を市川海老蔵、義経を市川亀次郎が演じています、物語のストーリーが字幕で表示されるのでわかりやすくなっています。
安宅の関を訪ねてこの地に伝わる物語に歴史のロマンを感じました、今から826年前に有った出来事を文化として歌舞伎や文楽などで現在に語り継がれていることは歴史を知る上で意義深いものが有ると思いました。
御訪問ありがとうございます。
最近はショッピング以外はあまり外出をする機会がなかったのですがお天気が良くて少し温かくなるとどこかへドライブに出掛けたくなりました。
何処へ行くか決まらないままで、最近は北の方角へ出掛ける事が多かったので今日は南に向かって一時間以内で行ける場所でしばらく行っていない安宅の関に行く事にしました。
家を午前10時に出て、海岸線の旧道をゆっくり南下しておおよそ45分間で安宅の関に着きました。
安宅の関の駐車場は道路に沿っていて駐車がしやすくなっています、そのために駐車している車はほとんどが商用車です、この場所が格好の小休止の場所になっているようです。
駐車場の脇から関跡に向かう散策路が有ります、弁慶が大きな岩を持ち上げた石像が有ります。
松林の中の道をたどって関跡に向かいます、歌舞伎の勧進帳の舞台の背景には立派な松が描かれいていますがこの辺は海辺に近く松の林が続いています。
まず目に着くのが歌舞伎の勧進帳の場面の銅像です、正面に武蔵坊弁慶、右側に富樫左衛門泰家、左側に傘を冠って下を向いて顔を隠している九朗判官源義経の像です。
そばに銅像の由来が書いてありました、弁慶は七代目松本幸四郎、富樫が二代目市川左団次をモデルに作られたようです。
松林の中に関所跡の石碑が立っていました。
関の宮、右側の宮が、九朗半官 源 義経公
左側の宮が、関守 富樫左衛門泰家公を祀っています。
関跡の松林の先は海岸になっていて日本海が広がっています、義経一行は海岸線を通ってこの関に辿りついたのでしょうか。
浜辺からの関の門、脇に歌碑が有りました。
松たてる安宅の砂丘のその中に
清きは文治三年の関 与謝野晶子
勧進帳ものがたり館を見学しました、他に見学客がいませんでした、歌舞伎「勧進帳」シアターも見てきました。
歌舞伎の勧進帳の弁慶、富樫、義経の衣装が展示されていました。
勧進帳の文楽人形も、文楽人形は初めて実物を見ましたが想像以上の大きさに驚きました。
安宅の関に面した小高い所に安宅住吉神社が有ります、天応2年の創建の古寺で、創建当時は琴佩山に鎮座していましたが二度の遷宮ののちに天保4年(1647)に現在の二堂山に鎮座しました。
道路から長い参道の先に社が見えます、神社の敷地内の安宅の関が有るので義経師従が厳しい関所を突破した事にちなんで「難関突破」の御守りで知られ人気が有ります。
境内の稲荷神社の前に勧進帳を読みあげる弁慶の像が有ります。
亀の形をした神亀石、亀の形をした自然石で甲羅を撫ぜると長寿になると伝えられています。
写真を撮っていて撫ぜるのを忘れました、忘れるようでは長寿はむりかも。
参道に有る弁慶の逆植えの松、安宅の関を無事に通りぬけた弁慶が無事を喜んで松を逆さに植えた事から呼ばれているようです。
※安宅の関伝承(安宅住吉神社のHPから)
兄の源頼朝に謀反を疑われて追われる義経が奥州平泉へと落ちのびる途中の文治3年(1187)、山伏姿で 安宅の関にさしかかる。関を越えようとしたその時に、関守富樫泰家に見とがめられ、詮議の問答が始まる。
勧進帳とは寺院建立などの資金集めにその趣旨をしたためたもの。
弁慶は白紙の勧進帳を読みあげて、強力(ごうりき)に身をやつした義経をかばう。しかし顔が似ているという関守の前で義経に似た貴様が憎しと主人を打ちすえる。その忠義の心に感じた富樫は義経と知りながらも一行を解放し、関を通してしまう。
歌舞伎十八番の勧進帳で弁慶役を演じて来られた市川團十郎さんが二月の三日に惜しまれながら享年66歳の生涯を閉じました、歌舞伎に一生を捧げ、新装成った新歌舞伎座の将来に誰よりも情熱を燃やしていただけに誠に残念です。
二月二十七日に葬儀が営まれる予定になっています、ここに心よりご冥福をお祈り申し上げます。
あり日の市川團十郎さんを偲んでパリのオペラ座歌舞伎公演で演じた勧進帳をご覧ください。
弁慶を市川團十郎、富樫を市川海老蔵、義経を市川亀次郎が演じています、物語のストーリーが字幕で表示されるのでわかりやすくなっています。
安宅の関を訪ねてこの地に伝わる物語に歴史のロマンを感じました、今から826年前に有った出来事を文化として歌舞伎や文楽などで現在に語り継がれていることは歴史を知る上で意義深いものが有ると思いました。
御訪問ありがとうございます。
歴史に疎い私ですが勧進帳だけは知っています。ただ安宅の関もほかの関と同じように海岸の断崖絶壁の山に有るのかと思っていたのが海水浴場のある海岸線とは知りませんでした。最後の勧進帳見させて頂きましたが字幕が入り分かり易いでした。
当時、この付近の松林が台風に傷められ、少し茶色っぽくなっており、また松くい虫の被害が石川県あたりまで北上していましたので、安宅の関の景観もどうなるのかと心配したことがありました。
お写真を拝見していますと、安宅の関の松林は元のままのように見えましたので、安心しました。
松林と広がる海を見て、天橋立を思い出しました(*^_^*)歴史に疎いのですが、ここは歩いているだけでも気持ちが開放しリフレッシュできますね。歴史を少し調べてから足を運ぶと、さらに楽しめる場所でしょう。弁慶の石像が迫力ありますね。
こんにちは、勧進帳の物語は有名で皆さんご存知ですね、実話は詳しくは知りませんが、歌舞伎などの演劇になると脚色されて孝行や忠義といった日本人独特のストーリーになって人気が出るようですね。
関跡があるあたりは遠浅の海で海水浴場として夏は賑やかです。関所は一般的に考えて箱根の関のように断崖絶壁の道で回り道のない所を想像しますがここは海岸線の街道です、一説には船で落ち延びたという説もあります。能登の磯に義経の舟隠し岩という地名が有ります。
コメントをありがとうございます。
こんにちは、そうですね、30年ほど前には石川県の海岸線の松が松くい虫の被害で多くの松が赤く枯れた時期が有りました。
県でも黒松の苗木を植林したりヘリで消毒して最近になって元の松林の光景が何とか取り戻してきました、写真をご覧になってお分かりのように細くて若い松が多く大木は少ないです。
一度壊れた自然を取り戻すには長い年月が必要になるようです、それを考えると自然を大切に守っていかなくてはいけませんね。
コメントをありがとうございます。
こんにちは、この辺の海岸線には天橋立ほど立派な松林ではありませんが松林の中の道を散策するとリフレッシュ出来ますよ。
関所の歴史を少しわかると興味深い所です、私の記事では紹介できなかったのですが昔の有名な歌人の詠んだ歌の石碑があちこちに建っていて興味を引きます。
弁慶は伝説では義経に仕え、怪力無双の力持ちとゆことになっています、その伝説通りの力強い弁慶ですね。
コメントをありがとうございます。
若い頃は人を寄せ付けない雰囲気でしたが、ニュースで流れる子供たちへ向ける眼の優しさは印象的でした。
僕の歴史好きは元を辿ると、子供の頃、TVで歌舞伎の「勧進帳」を観たあたりからだと思うんですよ。団十郎(襲名前だからが新之助か海老蔵の頃)が富樫を演じていました^^ 亡くなった報には本当に寂しく思いました。
ご紹介いただいた動画を拝見しました。長いこと歌舞伎はよく分からないと思い込んでおりましたが、今更ながら動画を観てみますと、まことに見事なものだと感心してばかりです。無駄な動きがなく、ひとうひとつのポーズがきまっていて、歌や演奏も非の打ち所がない。今まで敬遠しておりましたが、これは観ておかないともったいないなと思いました。そうなると団十郎さんが亡くなられて、なんと悲しいことよ。(T_T) 日本国の宝でいらしたのですね。
こんにちは、市川團十郎さんは後進の指導や子供歌舞伎の指導など将来の歌舞伎界を背負った立つ人でした、惜しい方を亡くしました、歌舞伎界にとって大きな損失だと思います。
安宅の関は近くに有りながら中々行く機会がなかったのですが好天にさそわれて何十年ぶりかで行って来ました。
安宅の関や住吉神社の歴史についてはつとつとさんは良くご存じでいらっしゃいますので孔子に論語を申す様なもので恥ずかしいです。
北陸には倶梨伽羅峠や旧街道沿いに埋もれた歴史の遺産がたくさんある様でつとつとさんの記事を楽しみにしています、コメントをありがとうございます。