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瑞泉寺、門前町と井波物産展示館

2016年02月14日 | インポート
先日、お隣の富山県の井波という所の瑞泉寺に行って来ました、瑞泉寺には以前に二度行ったことが有りましたが、門前町の街並みを見たかったのが今回の主な目的でした。
平日でしたので駐車場はガラ空きでした、駐車場の端には彫刻の街にふさわしいモニュメントが建っていました。

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八日町通りの門前町の入り口には手水鉢の様な大きな石の水槽に綺麗な水が注がれていて井波の街の水の豊さが分かりました。
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瑞泉寺建立の縁起を欄間に彫刻して展示されていました、昔から語り継がれた話の場面を欄間に彫刻されていましたが、下にその物語が記されていました。
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本願寺五代綽如(しやくにょ)上人 乗馬の蹄(ひずめ)後から泉がわき 瑞泉寺建立を発願
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あわや山門が類焼か! その時彫刻の龍が抜け出し水を吐き 一挙に火を消す
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綽如上人 大風に悩む里人の願いをいれ 風神を穴深くに封じ込め
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信仰と木彫りの里、八日町通り門前町の入り口です。
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瑞泉寺の門に向って真っ直ぐに石敷きの道が延びています、両側には古い時代を感じさせる町家や店舗が並んでいます。
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門前町を始めこの地方の主な産業として有名な木彫りを製作する店舗が多く並んでいました、店舗の奥からは木彫りをするノミの音が聞こえていました。
どうして井波の彫刻が盛んになったか、井波彫刻協同組合によると、瑞泉寺は創設されてからいく度か焼失し、その都度再建されましたが、特に江戸時代中頃の瑞泉寺本堂再建に際し、本山である京都本願寺の御用彫刻師である、前川三四朗が派遣されました、この時に地元の大工である番匠屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、前川三四郎について彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりである。
昭和に入ってからも、寺社彫刻は盛んで、東本願寺、東京築地本願寺、日光東照宮など全国各地の寺社、仏閣の彫刻を数多く手がけ、それと並行して一般住宅の欄間や獅子頭などの置物も製作しています。
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通りの街灯の柱に彫刻の作品が飾られていましたので幾つか写してきました、彫刻には彫った人の銘が彫られていました、木彫りの街らしい雰囲気でした。
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店舗の柱や壁にも彫刻が飾られていました。
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造り酒屋の看板も年代を感じます。
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門前町の通りは瑞泉寺に向かってわずかに傾斜になっていて、傾斜を登って突き当りが瑞泉寺の入口になっています。
井波別院あるいは瑞泉寺と呼ばれていますが、正式名称は「真宗大谷派井波別院瑞泉寺」です、山号は杉谷山で、真宗本廟「東本願寺」を本山と仰いでいます。
明徳元年(1390)に、本願寺の第五世綽如(しゃくにょ)上人が、後小松天皇の勅許(ちょっきょ、天皇から命令が下ること)により井波別院を創設しました。
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石段を登ると大きな山門が有ります、案内の看板によると山門は、高さが17.4mの総欅造りで、江戸時代の大火の後に天明5年(1785)に再建の工事が始まって、京都の本山(東本願寺)から肝煎方大工柴田新八郎が派遣されて工事を進めていましたが、その工事中に本山が全焼し、その再建に本山派遣の大工が引き揚げてしまった、しかし、地元の井波大工松井角平が棟梁を受け継いで文化6年(1809)に完成した。
全体的に見事な彫刻が施されていて、富山県の指定文化財として価値のある立派な山門です。
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「波に龍」の彫刻は、京都の本願寺御用彫り師である前川三四郎の作で、山門が類焼に及んだ時に、水を吐いて火災を防いだとの逸話が有ります。
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山門からは正面に本堂が、左には太子堂が見えました、今日はここまでで中に入って参拝はしませんでした。
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「瑞泉寺式台門」唐破風造りの式台門は、門扉に菊の御紋が有り、勅使参向の際に出入りに使われるため、勅使門(ちょくしもん)、菊の門とも呼ばれているそうです、見事な彫刻が施されていますが、井波彫刻の祖である、番匠屋九代七衛門が彫ったとされています。
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「瑞泉寺司晨楼」(ししんろう)、太鼓を鳴らす太鼓堂の様です、漆喰の海鼠壁が綺麗でした。
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瑞泉寺の敷地に入ると堅牢な石垣に囲まれています、これは文明11年(1479)~天正4年(1576)にかけて瑞泉寺と土山御坊門徒らが中心となって戦った、越中一向一揆の時の名残の石垣で瑞泉寺が一向宗の砦になっていた時代があったようです。
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瑞泉寺の門前町を歩いてから、もう一つの目的であった今は井波物産展示館となって保存されている(旧)井波駅舎を見てきました、かって当時の国鉄の石動駅から庄川を結んだ、加越能鉄道の井波駅舎として、昭和9(1934)年に井波を代表する宮大工の松井角平によって、瑞泉寺への玄関口としてふさわしい駅舎に造られた。
飛騨産の総檜作りで、正面と背面に千鳥破風(ちどりはふ)の小屋根を重ねた入母屋造りになっています。

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昭和47(1972)年に鉄道が廃止になり、現在は物産展示館となって保存されています、右の半分には井波観光協会の事務所になっているようです。
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高欄をめぐらせた宝形造り(ほうぎょつくり)の楼閣を乗せて駅舎というより神社か寺院の様な感じがします。
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バスの待合所も兼ねている内部は、長ベンチが置かれ、瑞泉寺の参拝客でにぎわった当時の鉄道駅待合室の面影を色濃く残しています。
壁面のショーケースには地元の木彫の飾り物などが展示されていました。
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この旧の井波駅舎は登録有形文化財の指定を受けて保護されています。
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今日はお天気も良くて古い街並みの門前町の散策や、旧井波駅舎を見たり充実した時間を過ごすことが出来ました、私は歴史的な建物や古い街並みを見ることに興味がわきます、近くに未だ行って事が無いところが沢山あるあるので順次訪ねてみたいと思います。


御訪問ありがとうございます。