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赤瀬那殿観世音(あかせなでんかんのん)

2015年11月23日 | インポート
5月に大杉谷の奥城山に登山してから何回か大杉谷に行っています、大杉神社、圓光寺跡、荒俣峡の紅葉見物と数えて四回になります、荒俣峡の帰りにブロ友のつとつとさんの記事で知った赤瀬那殿観世音に行って来ました。
赤瀬那殿観世音は赤瀬地区の山中にあります、大杉谷川に沿った県道を遡って、赤瀬ダムの手前から分岐して大杉谷川の支流に沿って山に入って行きます。

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しばらく行くと大きな看板に那殿観世音の案内が出ていました、車を止めて見ましたら、この道路は峠を越えて那谷町に抜ける閑道のようです、その途中に那殿観世音があるようです。
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看板のところには田畑や寺があって山里の風情ですが、その先の那殿大橋を渡ると鬱蒼と茂った杉林の中の細い山道に入ります、他に通る車のなく静かな杉林の道を登って行きました。
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しばらく進むと左手に自然石の上に神馬の像があって横に馬頭観音の祠がありました。
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先ほどの看板によると、ここから参道沿いに西国三十三か所の観世音が祀られているようです、神馬の前には河内の国の5番札所の藤井寺と彫られた千手観世音が柔和に微笑みかけていました。
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駐車場の先には大きな岩の上に石造りの三重塔が、高い岩の上にさらに高く建っていて見あげて威厳を感じました。
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赤瀬那殿観世音の入り口には開山した泰澄大師の像が建っていました、赤瀬那殿観世音は同じ小松市に有って巌谷を彩る紅葉で有名な古刹の真言宗那谷寺の奥の院になります。
養老元年 (717年)に泰澄大師が白山を開山して下山する際に持参していた黄金製の仏像をこの地に安置したことが始まりです。
ここには、その他に木造菩薩二体や泰澄大師座像などの多くの仏像が安置されております。
那谷寺と並んで、北陸には珍しい嶮しい岩山に建つ懸造り(がけつくり)と呼ばれる、岩山にはめ込むように造られた本殿は山岳信仰の原点にならうものです。

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本堂や奥の院に登る階段のわきに那殿観音山の案内図がありました、本堂までは214段、奥ノ院までが300段の階段を登ります。
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階段の参道わきに西国三十三か所の石の観音様が置かれています、十二番札所の近江の国(滋賀県)の岩間寺(正法寺)の千手観世音菩薩の石仏です。
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十三番札所の近江の国(滋賀県)の石山寺の如意輪観世音菩薩です。
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階段の先に志納所(社務所?)が見えてきました、早くも少し息が切れてきました、あそこまでで80段です。
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十四番札所の近江の国(滋賀県)の三井寺の如意輪観世音菩薩です。
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十五番札所の山城の国(京都南部)今熊野観音寺の十一面観世音菩薩です。
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参道の階段を登って行くと大きな岩の下に意味ありげな洞窟のようになっていて周辺に石仏があります、人が洞窟の中で業をしたのでしょうか?。
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十六番札所の山城の国(京都南部)清水寺の十一面千手観世音菩薩です。
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ここにも大きな岩がえぐれて洞穴のようになった所に石仏(地蔵)が並んでいました。
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階段の参道から横道にそれたところに細い流れがあります、祠の中には不動明王が祀られていて、龍の口から清水が出ています、説明によればこの水は「宝水」と言って万病に効くと伝えられているようです。
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宝水の前から上を観ると大きな岩が張り出した下に懸造りの本堂が見えます。
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本堂の回廊が崖からはみ出して下からの柱で支えられている、舞台造りになっていて那谷寺の本堂を思わせます。
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入母屋造りの本堂の上に岩が蔽うようにせり出していて、まるで本堂が岩の中に入り込んでいるようです。
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下から本堂までは石段で214段登ってきました、途中で景色を見て小休止をしながら登ってきましたが、本堂についてからも一息入れて回廊に入って正面に行きました。
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本堂の正面に架かる額には、経年により剥がれていますが金文字で「那殿山」と読めます。
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回廊から下を観るとかなりの高さです、崖の中腹に張り出した回廊にいる事を感じました、よく”清水の舞台から飛びる”の例えがありますがここからは見ているだけで怖くて例えの通りよほどの決断がなければ飛び降りる気にはなれませんね。
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本堂から細い石段の参道が山肌を回り込むように上に伸びています、本堂の突き出した崖の更に上に奥の院があり、そこまで石段が延びているようです。
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奥の院へ向かう参道脇にも西国三十三か所札所の観世音菩薩の石像が参拝者を見守っていました。
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参道の上の崖の洞穴にも石仏が祀ってありました。
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奥の院が見えてきました、下から奥の院までが300段の石段を登ってきました。
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鳥のくちばしのよう付き出た岩が奥の院の岩屋に覆いかぶさっています。
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泰澄大師が白山を開山した事もその表れですが、いつのころからか日本古来の神道の流れの中に山岳信仰がうまれ、山を信仰の対象として崇拝してきました、山で狩猟をする民族、山から流れる清らかな水で農耕や生活に必要な恩恵を受けている民族が自然環境に対しての畏敬の念が山を神聖な場所として崇め祀って来たことでしょう。
山岳信仰は伝来してきた佛教(特に天台宗や真言宗などの密教)への信仰と結びつき「修験道」とされる独自の宗教が生み出されました、修験道では山の霊力を吸収する為に、嶮しい岩山にこもり厳しい修行を積みました。
那殿観世音のような懸造りの神殿は山岳信仰の精神から精霊が宿る嶮しい岩山は修験道の場として長い歴史を経て来たのでしょう。
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奥の殿からさらに石段が延びています、掛っていた案内によるとこの上の「くもろ岩」に行けるようです。
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そこは岩屋になっていて奥の岩の壁が抜けていてその先の空が見えていました、穴の大きさは人がはいつくばってくぐる程度です。
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岩屋の中の木の札には、
くもるろ岩、親不孝者や心の正しくないものがくぐると耳が岩にくっつくとの言い伝えがある、と書かれていました、私は心当たりがあるのでくぐりませんでした。
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そこから上は参道もモミジが綺麗に紅葉していました。
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帰りは急な階段に落ち葉が散って滑りやすくなっています、手すりにつかまって慎重に降りてきました。
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下に降りたら二枚の額の中にどなたの書になるのか「ありがとう」の詩と、「人生出逢いの旅」の詩がかざられていました。
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この人生出逢いの旅の「ちょうど良い」を読んでいて見つけたのですが、良寛和尚の詩ですが、なるほどと感銘を受けたので紹介します。


お前はお前で丁度良い

顔も体も名前も性も、それはお前に丁度良い

貧も富も親も子も、息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度良い

幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度良い

歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度良い

地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところが丁度良い

うぬぼれることもなければ、卑下することも無い
上もなければ下もない、死ぬ月日さえも丁度良い

御仏と二人連れのこの人生が
丁度良くないはずが無い

お前にそれは丁度良い



つとつとさんの赤瀬那殿観世音の記事を紹介します、歴史的なことな が詳しく書かれています。
            http://72469241.at.webry.info/201507/article_3.html

駐車場に車を止めてから奥の院に行って帰ってくるまで大凡一時間半、その間1人参拝者や一台の車にも遭うことがありませんでした、それなのに那殿観音の印象は私の心にしっかりと焼き付きました。

長い記事をお終いまで読んで頂いて感謝します。