Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

安全~自主憲法制定への道程

2005-05-11 23:27:00 | インポート
前回の続きです。

今夜、前回分へコメントをされたある交信仲間のお言葉にもありましたが、JR福知山線の列車事故を初めとする国内に於ける交通機関の一連の不祥事、そして郵政民営化論議に気を取られている間に戦乱のイラクにて、又しても邦人が拉致されてしまいました。
被害者の男性は英国の警備関連会社勤務で近年まで仏軍の外国人部隊に所属していた由。軍事活動のご経験もあった様で、戦地での危機管理にかけてはエキスパートだった事でしょう。それ程の人物が連れ去られてしまうのですから、現地武装勢力がいんに手強く、油断ならない存在であるか、例え漠然としてでも想像がつく様な気がします。被害者は深手を負っている様です。
速やかなる適切な治療と、確実な生還を切に祈りたいものです。
さて、先述の事件も我国の安全にとり、決して無関係ではありません。昔の様にアジアの1ローカル国家では最早たり得ず、国際社会の有力な一員となった我国には、それなりの国際貢献が求められて然るべきでしょう。
ご存知の様にイラクへは今、陸・海・空の3自衛隊の精鋭が復興支援の為、派遣されています。派遣の決定当初は随分論議を呼んだものでしたが、現状では止むを得ないのではと思います。気象条件の過酷な現地では、自衛隊でなければ出来ない任務も多くある事でしょうから。
ただ、将来同じ事態に対応しなければならない場合は自衛隊をそのまま派遣するのではなく、海外支援の専門部隊を組織する事を考えても良いのでは、とも思いますね。
現地では昨年来、邦人の拉致がしばしば起こり、内1名は残念ながら落命の憂き目となりました。恐れながら率直に申せば、我々日本人は海外の危険な地域にあっても、今1つ危機感に欠ける所があるのではないでしょうか。そしてそれはやはり、緊張感が薄い弛緩した国内の雰囲気から来ているのではとも思います。これだけ事件事故が多発しているにも関わらず、どうも今1つ締まらない様です。
もう1つ、近年まで北朝鮮に拉致されていた方々の事も忘れてはならないでしょう。
特に拉致被害者支援活動の先頭に立つ横田ご夫妻は、未だに拉致された令嬢と生き別れになったまま。北朝鮮当局は死亡の発表をしていますが、実は生存の可能性も否定できないのです。事実なら1日も早い帰国を切望したいもの。又、生還の方々も、失われた四半世紀を取り戻す事は完全には不可能でしょう。こうした国家の主権侵害に対応すべく、憲法の平和条項の必要部分見直しを否定すべきではないと私は考えます。
拉致被害者のお1人、蓮池 薫氏の「俺もまだ、夢を見ていたいんだ」の一言は今も、我が心に深く突き刺さったままでいます。*(日本)*



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平和~自主憲法制定への道程

2005-05-09 00:06:00 | インポート
今夜から、憲法改正問題に於ける最大のポイント、第9条について触れて参りたく思います。
同条の主題は「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」であり
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。
国の交戦権はこれを認めない。
の2項により構成されています。
第1項は同条の精神であるとされ、本項が今日まで保持された事が主にアジアの周辺諸国の信頼を得て、それにより我国の長きに亘る平和と安定に大きく寄与して参ったのは厳然たる事実であり、我国の国是として恒久的に存続するのは私も異議のない所です。
ただし、第2項の「戦力及び交戦権の否認」については「諸国家に固有の権利である自衛力までも否定するものではないのでは?」との議論が日本国憲法の発足当時より存在し、同憲法の制定に指導的役割を果たしたGHQ=連合国進駐軍よりも、1950=昭和25年の朝鮮動乱の勃発を機に、我国自衛組織の結成を要請。これに基づき後に自衛隊となる組織、警察予備隊が発足しています。1954=同29年に現在の組織に改組、今や陸海空を合わせれば20数万人と言われる大組織に発展した自衛隊が、本当に我国の安全を守るのに必要最低限の自衛組織と言えるのか、との疑問がある事も理解はしておりますが、私もやはり、最低限の自衛力までも否定している訳ではないとの視点を支持したく思います。
戦後長く続いた東西冷戦の頃は、とかく米合衆国の軍事戦略と関連づけて論議された我国の自衛力問題でしたが、やはり必要最低限とする、第9条1項による歯止めは必要でしょう。外国の戦地にまで赴く「集団的自衛権」の是非も取り沙汰されますが、一定限度以上に認めるのは危険だと思います。
又、昨年の読売新聞紙上で紹介された、平和の為に当事国双方が武力を放棄し合うシステム「不戦共同体」構築への模索と取り組みへの努力も引き続き求めたい所です。*(地球)*



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希望~自主憲法制定への道程

2005-05-05 21:52:00 | インポート
本日5/5は「子供の日」。1948=昭和23年施行の「国民の祝日に関する法律」によればこの日は「子供の人格を重んじ、子供の幸福を図ると共に母に感謝する」との意義が謳われています。現実はと言うと、どうもこの条文通りではない様です。
まず親による児童虐待の多発。今日の新聞の社説によれば、2003=平成15年度の都道府県と政令市の児童相談所に寄せられた相談件数は26000件超、前年度より1割以上も増えています。相談所が虐待の情報を得ていたにも関わらず、継続的な家庭指導まで手が出せず、虐待死を防げなかったケースも少なからずある模様です。
遺憾な事ですが、どうも親の資質に著しく欠ける大人が増えている気が致します。今春よりは児童福祉法が改正され、市町村も虐待に対する相談活動を開始しました。
薄まる人間関係の中で、虐待対策をも含めた家庭支援策が地域社会や自治体に期待されていると言う事でしょう。大人に対する家庭教育も改めて必要なのかも知れません。
こうした問題は現行憲法第24条「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」、第25条「生存権」、第26条「教育を受ける権利、教育の義務」に当然大きく抵触し、将来の良き国民としての子供の育成にとり、大きな障害となるのは当然の事でありましょう。ただでさえ我国の出生率、そして子供人口は世界でも有数の長期低落傾向にあり、これの歯止めが大きな課題となっています。未婚の私に大きな事が申せないのは承知していますが、こうした問題を少しでも解消し、子供の将来、そして子育てがもっと希望を持って取組める様にする為にも、現行憲法第13条「個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利、公共の福祉」の規定だけでは不十分だと思います。新しい憲法では将来へ向けた子供と子育てに関する規定を加筆修正して、こうした問題を支援する法制度の整備を促す方向性を強く打ち出してもらいたい所です。

P.S 先般のJR福知山線の列車事故においては、前途有望な多くの若い方々が犠牲となりました。我国の将来にとり、極めて大きな痛手です。改めて各位のご冥福を心よりお祈り致します。*(日本)*



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回顧~自主憲法制定への道程

2005-05-04 19:57:00 | インポート
かなり以前、1993=平成5年頃だと思いますが経済学者、大前研一さんの「平成維新」を読んだ事があります。丁度愛読紙「読売新聞」が新時代の憲法像を模索し、同社独自の憲法改正試案を初めて発表する少し前の事だったと思います。
この中で大前さんも、憲法のあり方について触れていらっしゃいました。特に「日本国憲法は、高度成長の頃までは優れた法典として機能した」とのご指摘には私も唸らされたものでした。又ノンフィクション作家、落合信彦さんは「憲法は時代と共に変わって行く決まり事である」とのコメントをなされています。
どちらも正論だと思います。1950年代終盤、昭和30年代より十数年に亘る驚異的な高度経済成長は、日本国憲法に支えられた日本人の努力と研鑽あったればこそであり、第23条「学問の自由」、第28条「労働基本権」や第29条「財産権」の意義は大きかったと思います。
低成長となった現在は、当時とは社会の状況も違い、法制度の対応も異なるものが求められる事でしょう。これに以前より問題となっている我国の安全保障、国際貢献等も絡んで憲法改正への論議が生じている訳ですね。
今年中には自由民主党、来年初めには民主党の各憲法改正草案が我々の前に姿を現す見込みですが、その前に極めて崇高かつ秀逸と言われた現行憲法の前文に謳われた理念を我々国民はこれまで責任をもって誠実に希求し実行して来たか、検証してみる必要もあるかと思います。以下、日本国憲法前文をご紹介して本日の記述を終わりますが、なかんずく最後の第4項につき、この誓約が実行されたのか、皆様のご判断をも仰ぎたく思います。

①日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、我らと我らの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる事のないやうにする事を決意し、ここに主権が国民に存する事を宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。我らはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

②日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。我らは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。我らは全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有する事を確認する。

③我らは、いづれの国家も自国の事のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふ事は、自国の権利を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

④日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する事を誓ふ。*(日本)*



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告知~自主憲法制定への道程

2005-05-03 23:49:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

今日は「憲法記念日」。我国の法制度の根幹を成す基本法、日本国憲法が施行された日に当ります。それは今から半世紀以上前、1947=昭和22年のこの日の事でした。
日本国憲法は、当時第2次大戦に敗北した我国を統治していたGHQ=連合国進駐軍の強い影響下で制定され、発効した経緯があるとされ、我国の正統な歴史や伝統文化、それに民族の特性を反映していないのではないか?との疑問が当時より投げかけられていました。一部の国粋主義勢力による「占領憲法」や元国会議員、浜田幸一さんによる「統治憲法」なる呼称はこの様な状況を背景に生まれたのでしょう。
その一方でこの憲法は、少なくとも我国の対外侵攻が未来永劫にない事を約した第9条に象徴される「平和憲法」の趣をも強く有しています。その事が主にアジアの周辺諸国、そして多くの諸外国の信頼を勝ち得て来た事実はやはり率直に認め、評価すべきだと思います。
その上で、最近の我国の平和と安全を脅かす周辺事態や国内の安寧を蝕む色んな病理に対処する為に、やはり憲法を見直す必要があるとの観点より、今月の特集日記を進めて参りたく思います。
明日は日本国憲法の序文を読みながら、日本国民は果たしてこの文言通りの努力をして参ったのか、少し検証して見たいと思います。*(日本)*


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