銃撃の悲命に斃れた 安倍元総理国葬の方針が固まり、今日以降準備が進められる見通しだ。訃報に際し、某国を除く全地球レベルと申せる 259の国・地域より 1700件ともいわれる弔意が届き、従一位に叙せられ、我国最高の勲章を得た大人物。人は正に一枚のカードに似た表裏を有するものであり、負の軌跡も小さからぬはあるも 功は正しく国葬に相応しいと拙者などは信じる者だ。
野党側の反応は予想通り別れる事に。国民民主と日本維新の各党会派は基本賛成、立憲民主は疑問を表しながらも党姿勢は保留という所か。明らさまに反対の意を表したのは日共、社民、れいわ新撰の各左傾党会派でこれも予想の範囲内。しかしながらこの事象を「安倍元総理国葬に、野党の反対相次ぐ」などとの記事で、さも「反対」が国民の多数意見の如き偽装報道の挙に出た記事が散見されるのは指摘しておかなければなるまい。
その左派容共勢力の今後は 決して楽観できぬものがあり、我々保守側としてはその方が望ましいといえるのだが、左傾メインの既成メディアはその辺りも「報道しない自由」行使で真っ当に伝える意思はないらしい。それらの中から 比較的まともな印象の、先日の時事通信ネット記事を引用して、みて参りたい。
「野党共闘路線、道険し=進む組織弱体化、7/15 結党 100年」
日本共産党が結党してから 7/15で 100年を迎える。反戦平和を堅持しつつ、天皇制や自衛隊を容認するなど 現実路線にかじを切ってきた。だが党勢はふるわず、組織の弱体化は進む。活路を求めた野党共闘路線の手詰まり感も否めず、展望は開けていない。
志位和夫・党委員長は 7/14、結党 100年を前に記者会見し「どんな困難も乗り越え、国民の共同の力で社会変革を進める」と強調。次期衆院選をにらみ「日本の政治を変える道は共闘しかない」と語り、引き続き野党共闘路線を進める考えを示した。
同党は 1922(大正 11)年 7/15に非合法政党として結党。思想弾圧を受けたが、戦後に党を主導した 宮本顕治・元議長は国会で過半数を得ることで変革を目指す「平和革命路線」を打ち立て、定着させてきた。後を継いだ「党の理論的支柱」の 不破哲三・前議長は志位氏とともに、党綱領の全面改定に取り組むなど「現実、柔軟路線」を推し進めた。
2000(平成 12)年大会の規約改正では「前衛政党」の表現を削除。2004( 平成 16)年の党大会では綱領を改正し、これまで否定してきた天皇制と自衛隊を当面容認する姿勢に転じた。路線修正は 無党派層の支持拡大を図る狙いもあったが、党勢は低迷。党員数は 1990(平成 2)年の約 50万人をピークに減少し、2020(令和 2)年には 約 27万人まで落ち込んだ。政党交付金を受け取っていない同党の活動資金を支えるのは機関紙「しんぶん赤旗」。その購読者数は 1980(昭和 55)年に(約) 355万人だったが、2020(令和 2)年には約 100万人に転落した。
同党は 大型国政選での野党共闘に活路を求めるが、昨年の衆院選では実を結ばなかった。敗北した立憲民主党は 共産党との全面的な共闘をちゅうちょし、先の参院選では限定的な協力にとどまった。志位氏は会見で「課題を残した」と認めた。共産党は 昨年の衆院選に続いて議席を減らしており、今後は野党内での発言力が低下するのは避けられない。党勢回復に正念場を迎えている。(引用ここまで)
日共結党 100年の史実は尊重するも、どうも祝意までは申す気になれない。その上で「まだ言ってるの?野党共闘」の趣だ。既に国民民主党などは「対決より解決」の政見姿勢を掲げ、与党側や日本維新の会との「必要な限度」の協力や連携の模索に入っている。その全てが正論とは言い難いも、これまでの「初めに批判、対決ありき」の左派野党にありがちな「同じ愚」を繰り返すまいとしている真摯な姿勢は評価できる。それは野党としての新しい行き方かも知れないし、必要な場面での理解や協力の姿勢は、保守側の我々も 一定は真摯に向き合うべきと心得る。
「それに引き替え、左傾党会派は・・」である。「反戦平和姿勢の堅持」の下りは 必ずしも武力による革命意思を捨てていないとされる日共の歴史的姿勢から疑問符のつくもの。我国の公安当局が、破壊活動防止法による要監視団体から日共を外していないのも、この為だろう。
途中から変更されたとされる 天皇制や自衛隊の当面容認も、随分ブレた様な姿勢で出されたとの印象を受ける。こうした方針が表されようと「今までが今まで」の印象を拭う事はできず、反って国民の疑念を招いたという所ではないのか。「既に退潮」といえば 日共と共に安倍元総理国葬に反対の意向の社会民主党が挙がる。大元の日本社会党は 1906=明治 39年の結党で、歴史的には長くも、前世紀末の現党名に替わってから低迷続き。今回参院選にても 地方組織がまだ強い事もあって、全有効投票数の 2%確保の政党要件をクリアしたとかで 公党としての体裁は守ったが、我国の総人口は今後相当に減少する。次回選挙でこの条件が守れるかは疑問だ。
既に現状での 望ましい野党共闘は望めない。しかも与党側に勝る少子高齢化対応策も打ち出せないとあっては、日共も社民の後を追って党勢が傾く可能性も十分にあろう。日共の高邁な政見を聞く限りでは 同党関係者は皆危機感を持って臨んでいる様な印象だが、実態はどうか。先日の横浜市にて、同市が市役所内に 安倍元総理追悼の記帳台設置の折、日共市議団が「理由が曖昧」として妨害の挙に出たらしい記事は、拙者も目にした。記帳台は無事設置された様だが、同党幹部は 安倍元総理の告別式には国会傍らで弔意を表しているのだ。
本当に「本部との意思疎通はどうなっている?」と糾したくなる様な事象であろう。この一事を見ても、日共党組織が疲弊し始めているらしい様がみて取れる。党会派間の連携より先に、自党内組織の点検整備でも先行させた方が良い様な気もするが。この辺りは社民もどの途同様だろうし、一部では勢いが感じられるとされる れいわ新撰組にしても、いずれ直面する事となるかも知れない。
とまれ現状のままでは、西欧各国でそうだった様に 共産勢力は徐々に瓦解し、消滅への道を辿るという事だろう。勿論 保守側の我々としてはその方が好都合だし、遠巻きに静観・・というか傍観しておれば良いという事かも知れないが。今回画像も 振り返り恐縮。先年 三重・桑名市内にての、近畿日本鉄道先代特急「スナック・カー」の雄姿の記憶を。これも末筆で恐縮だが、安倍元総理に改めての弔意を。
中国やロシアとは違うと言いつつ、防衛面だけ考えても自衛隊解体して、その国から攻められたら命が大事と降参するしかないでしょう。
ロシアのウクライナしかり、中国のチベット・ウイグルと同じになります。
これを理解出来ない日本人がいることが不思議です。スパイなのか洗脳されているのか早く解体すべき党でしょう。
水害から街を守るためのスーパー堤防建設予定地でも東京土建の組合員だけが立ち退き反対をして強制代執行で建物は解体されました。立ち退きと言っても区画整理のような制度で地盤をかさ上げしたら元の住民が家を再建して戻って来るのに土建組合員だけはその地域から出て行きましたよ。
組合員は党に利用されただけです。
反日左翼の退潮は、国民の審判であり民意です。過激なマルクス主義は、日本の風土に馴染みません。
社会に対立の種を撒き、気に入らなければ活動家と称する人間が、徒党を組んで押し寄せ威嚇するのですから、よくもこのような政党が長く生き延びたものと、一方では感心します。
自分の国を愛せない政党、というところから間違っています。日本共産党だけがこんないびつな姿をしています。
他国の共産党は、自分の国を愛しています。日本共産党は、根なしの浮き草政党であると、多くの国民がやっと気がついたのでしょうね。
「近畿日本鉄道先代特急・スナック・カー」の映像は、何度見てもいいですね。鉄錆色の軌道、何本も走る線路の曲がり、沿線の民家・・どれも日本を切り取った映像です。
見慣れた街の風景、私たちの日本です。これからも頑張ってください。
仰る様に、最近は皇統や自衛隊の立場に関し ブレた
様な向き合いを晒している日共ですが、大元は変わっ
ていないと拙者もみています。
護憲志向にしても名ばかりで、他のコメントさんの
様に、いざとなると掌を返した様になるのが、信用
できない所です。これが理解できる日本人が、一人
でも増えて頂きたいものです。まずは お礼まで。
日共シンパの勢力は、各地でも問題を起こしている様
ですね。貴地元のスーパー堤防な絡む件も、その大き
な一つと心得ます。
報道記事を見たり ネットを含めた話を聞いたりして
いると、やはり代々木党本部の意向が入っている様に
思います。上意下達なんですが、体の良い「民主的
中央集権主義」の反映かも知れませんね。
それでいて最近は、横浜市にての 安倍元総理追悼
の記帳台設置に地元党議員らが反対とか、党本部と
の意思疎通を疑う事象も見られる様に。
ご指摘の、東京土建組合員の方々が党に利用された
様なのと共に、やはり組織の劣化が疑われる様な事
象ではと思いますが。まずは お礼まで。
仰る様に「科学的社会主義」とか「自由と民主主義の
宣言」などの言葉を弄しても、過分なマルクス主義は
オブラートに包んだ劇薬の様なもの。日本及び日本人
に馴染む思考ではありません。
自国を愛せず、社会に対立の種を撒き、時に活動家
が危険な出方をする様な政治勢力が長続きしている事も
、思えば異常な事です。似た立場の社民党が遠くない
日に消滅となりそうですが、日共がこれに続くのか
、注目位はするかなという所です。
画像の方も一礼。近畿日本鉄道往年の特急主戦だった
スナック・カー。つい先日まで一線にあり、主力の
座は後輩に譲るも、団体向けや観光便などで、一部
はまだまだ元気にやっている様です。
初めから走行性能が秀逸であった事が、長寿に繋が
った様です。岐阜県下へと向かう 左端の三岐鉄道
線を含め、住宅街を横目に線路が並行する様も、思
えば日本の風景です。まずは お礼まで。