遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

こまちゃん

2016-04-23 23:03:31 | 日記
久しく更新していませんでした。
熊本大分地震で九州は大変なんですが、私の実家も大分県の熊本県境近くで、大きな揺れが何日も収まらず大変です。

しかし、今回は自身の話ではなく、事務所の話です。

奈良弁護士会にはマスコットのこまちゃんというのがいるのですが、最近ぬいぐるみを入手しました。

コマドリをイメージしたもので、漫画家の森下裕美さんの制作によるものです。
かわいい外見で、さえないおっさんである私には似つかわしくありません。。。

まぁ、いいや。

事務所に訪問された方に、少しでも和んで頂けたらありがたいです。

赤土山古墳(天理市)

2016-01-30 18:04:35 | 日記
今回は、再度天理市に戻りまして赤土山古墳です。

赤土山古墳は、全長約106.5メートルの前方後円墳で4世紀後半の築造とみられています。
この古墳の特徴は、後円部の側面に家形埴輪を配した祭祀遺構が発見されたことです。


後円部の先にある造出の上から見ますとこんな感じです。
なかなかに壮観です。


これが後円部で、

これが後円部先端にある造出です。
ちょうど櫛山古墳と似た感じで、前方部と対称となるように作り付けられています。

祭祀遺構の配置です。


これは発掘時の写真。


これは埴輪の写真

右上の写真は、囲形埴輪という家形の廻りを塀で囲った埴輪です。
宗教的権威が秘技を行った場所ではないかと考えられます。ネットで見ると、浄水祭祀の場とみるか、産屋と見るか考えが別れているようです。

もともとこの古墳は前方後方墳と考えられていたようでしたが、発掘の結果前方後円墳と判明しました。
その状況を示すのがくびれ部の図面です。

下が前方部ですが、埴輪列が前方部から斜め左に開いていますし、墳丘の形状も直線から円形に切り替わっています。

前方部には地山と切断した後である堀割遺構があります。

左側に段築に沿った葺石があり、その右側に溝が通っていますがこれが堀割でしょうか。


前方部の先に赤土山2号墳があります。
墳丘は既に失われておりますが、直径約20メートルの円墳が存在し、周囲を円筒埴輪が巡っていたようです。
石釧の破片が出土しています。
赤土山古墳と同様の時期に築造されたものと考えられています。

別所城山1号、2号墳(奈良県香芝市)

2016-01-24 23:04:57 | 日記
大変寒いですね~~
ここ大和高田市は現在-2℃です。
外の様子を見ると雪は積もりそうにはありませんから、明日の業務には影響はないかな。

天理市から香芝市に移り、別所城山古墳です。
冒頭の写真は、1号墳です。
帆立貝形の前方後円墳で、全長約42メートル、後円部径約40メートル、前方部幅約18メートル、高さ約3.5メートルの二段築成です。

小規模な古墳ですが、管玉が発見されているとのことです。
多分盗掘されているのでしょう。


前方部から後円部を撮ったところ。


後円部頂です。若干墳頂がへこんでおり、もしかすると盗掘によるものかもしれません。


下から前方部を撮影しました。左側の見切れている部分が後円部です。


引き続き2号墳です。
東西約19メートル、南北約21メートルで現状では若干楕円形となっている円墳です。
高さ約4.5メートルです。

発掘調査が行われており、長さ約4.6メートル幅60~65センチメートルの割竹形木棺をくるんでいた粘土槨から札甲(さねよろい。小札という短冊形の小さな鉄板を綴った鎧。)、鉄剣、鉄刀、鉄鏃、鉄槍、筒型銅器などの武器・武具の副葬品が出土しました。


これは墳頂です。
へこんだところは粘土槨の跡でしょうか?

札甲は、列島内で類例がなく、中国北朝系のものと推定されています。

両古墳とも4世紀末ころの築造と考えられ、香芝市内で最古の古墳です。

これを撮影したときは暑かったけどな~。
明日、交通機関がマヒしなければ良いですがね・・・

星塚1号、2号(天理市)

2016-01-23 22:32:08 | 日記
何故かまたまた天理市です。

近鉄天理線に接した住宅街の中に星塚1号、2号墳があります。
鎌倉時代以前に削平されたようですでに墳丘は失われています。


こういう状況です。
右側が1号墳、左側が2号墳です。見てのとおり、1号墳にも2号墳にも周濠があります。
1号墳は全長約38メートル、後円部は南北約26メートル、東西約27メートルで若干楕円形をしているようです。周濠の幅は6~8メートルです。
前方部の一部が2号墳の周濠によって削り取られています。

周濠内から埴輪、須恵器、土師器が出土し、さらに筒型器台と笛状の木製品が出土しました。

この写真上部にあります。
須恵器の筒型器台は、受け部から脚部まで連続して作り上げられた、この列島では類例の少ないもので朝鮮半島南部で出土される物の陽です。
また、笛状木製品は、一部欠損がありますが、笛としての形状を良く表しており、多分音を出せたんだろうなと推測されます。

なんだか、出土した笛っていいですよね。正に当時の人の息づかいが聞こえてくるようで。
音が出ればもっといいですね。

1号墳は6世紀初頭の築造と考えられています。

2号墳は、ご覧のとおり後円部の南北約27メートル、東西約30メートルを残して消滅しています。
二重の周濠がありますが、この形状からすると前方後円墳であったと思われます。しかし、盾形ではなく馬蹄形なんですね。
墳丘の規模に比して大きな周濠という印象です。

後円部に横穴式石室の痕跡があり、玄室長約4.7メートル、幅約2.3メートル、羨道長約2.3メートルが残存しています。
凝灰岩製の組み合わせ式家形石棺の床部と屋根材の一部が残されていました。
副葬品としては、装飾品、利器、馬具であり、特に金製の垂下式耳飾りやガラス装飾品、鉄刀柄頭でこの柄頭の文様実測図が上の写真にあります。
金銀線の象嵌によって亀甲のつなぎ文を全面に配しており、亀甲の中に向かい合う鳥が描かれています。このような文様構成を持つ亀甲文は列島では類例が少ないようです。
確かに、よく見ると鳥がたくさん向かい合っていますね。
一見鶏に見えますが、鳳凰かな?

2号墳は6世紀前半の築造と考えられています。

・・・・・ということは、1号墳は築造後まもなくして、2号墳築造によって削られてしまったのですね。
意外におおざっぱな方々だったのかもしれません。

現在古墳の後は公園として整備されています。


御墓山古墳(天理市)

2016-01-17 18:28:55 | 日記
引き続き天理市の古墳をご紹介です。

天理市上総町に所在する小墓古墳は、道路のすぐ脇にあり、見学するのはそれほど難しくはありません。

後円部を南に向けた前方後円墳ですが、現状では前方後円形の平面図は残していますが、上面を大きく削られているように見えます。

後円部側から撮影しましたが、墳丘と言うより土壇のような雰囲気になっています。


段築の跡しょうか?


後円部から前方部を見ます。起伏がありません。


前方部から後円部です。

前方部上に密集した笹を切り残した一画があり、何だろうと覗きました。

石の祠みたいなものがありましたが、何しろ密集していて見えません。
ネット情報によると石塔があるそうです。

全長約74メートル、周濠を持っており、円筒埴輪や盾形木製品等の多数の木製品が出土しています。
ここでも木製の形象埴輪的な物があったようです。

5世紀末から6世紀前半に築造されたようです。