自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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2015中国一人旅 扶蘇、蒙恬墓を訪ねて その7-2(楡林)

2015-06-19 13:24:49 | 旅行記

5月25日(月):楡林と言う街。

5,6年前の写真?楡林城の輪郭が解るかと、南門の通りが過っての中軸線?3分の2ほど北に鼓楼。

南(下辺)広場に面した十字路、北西がバスセンター、ホテルは通りの南向。鎮北台は上辺外れ。

鎮北台からのバスを中行(行きで乗換えた中国銀行前)で下車、近くの鼓楼へ。

 

鼓楼からまず残ってる城壁を見ようと坂道を上がっていきます。旧市街の様子、道は3m少し煉瓦敷き、時として過っての家屋玄関後?共産党時代に入ってこういった屋敷には4,5世帯が入って、過っての面影はなくなります。

   

城内側城壁です、一般民家と一体?になって、おそらく城壁はヤオトンになってるでしょう。

 

東門にあたる城門かと、焼煉瓦(磚)で出来ています。

   

そして甕城も残っています。それなりに整備もしてるようですが、不便さを我慢して残してるなら、もう少しましな残しよう・・・(ついつい・・)。城壁の上へのアプローチは見当たりません。。

        

城外側は植樹や遊歩道も整備しています。城外側は煉瓦で覆っています、どこまで保護するのか難しい所です。

     

と、往くては、民家で遮られ、バス道路へ出ます。

  

バス道路、陸橋様の所から。路地の奥の城壁、なんだか登れそう・・・。こんな所で怪我したのでは、帰れなくなりそうで、諦めます。

    

城壁と一体の家屋。。と、煉瓦で覆われていない所の城壁に通路があります!(塀の中に古い通路?過っての抜け道?)、煉瓦は周りの家になった?・・・。

   

また城内に入ります。道は煉瓦敷き、3輪トラックも現役。。

 

お寺もあります、境内はそれなりに整備され、事務所的なものもあります。人々の生活のある方向性かと。。

   

街へと下って行きます。

 

旧市街のメインストリート、鼓楼と鐘楼の間に降りてきました。あまりにも暑くてアイス1元を買ったのですが、中国アイス?グミ的な物を凍らせた?

   

鐘楼?民国時代?それにしてもここ中で鐘を撞いたのでしょうか?発案者に訊いてみたいところです。

  

星明楼。

 

万佛楼。

  

通りの様子と文昌閣。そこに物語がないのでは写真撮って、見上げて、終わりです。

   

南門です。

 

と脇でのこの屋台、豚の切れ端?頭や足や内臓やらの部位を醤油でことこと煮詰めた?。

部位を指し示し、1斤、2斤と量を言ったり、これは何斤だとか親父がいいます。商談成立で、おやじが例の中華包丁でコマ切れにし、生ニンニクつぶして、キュウリ、なんだか薬味、なんだかタレを加えてボールで混ぜ馴染ませ、袋に入れてハイお待ちどうです。カーさんとの絶妙な掛け合い!脂身そのものですが。。

 

肉系少し不足?で、少し肉がついていそうな部位を、このくらいで・・・。はい4元!お買い上げ、意外にあります。。

途中で食べるわけにもいかず、まして食堂に持ち込めもできません。超市で冷えた青島卑酒4元買ってホテルで!ホテルの小姐に断って。。

ベットにシミつけたんでは、いくら罰金取られるか!洗面所で乾杯!です。オット、箸が・・(脂身そのもので手がギトギト)、歯ブラシの利用で。うまいうまいで完食!5時近くでは、本日の夕食はパスでした。

少しお腹にもたれてる?早々就寝!

今日使ったお金:6+30+66+7+1+115+20+1+1+15+1+1+4+4=272元

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2015中国一人旅 扶蘇、蒙恬墓を訪ねて その7-1(楡林)

2015-06-19 11:40:57 | 旅行記

5月25日(月)内陸は暑い!そして今日も快晴!

6:30起床、体調よし 7:20退房、すぐ近く(翌日移動起点近くで宿を取ります)のバスセンターへ、必ず早くから食べ物屋さんが待っています。この逞しさ、豊か?な日本の人達も・・・、止めよ!。

今朝は水餃子、バスセンターの向かい、そして入れ物は次の人もすぐ使えるように?汚れないように?。6元、120円そんなに安くはありません(円安のおかげ?)。

   

 

窓口で楡林まで、と、没有!ヱ、どうなってるの?こんな時は老人に!周りの人?が集まります。なんだ?どうした?的に。

ここ保徳は黄河を境に山西省、黄河の向こうは陝西省府谷、省を挟むとこういう傾向があります。楡林へは府谷から出ていると。バスは・・・、いやタクシー・・・、なんとなくかまってくれた人に付いて、「いくら?」「30元」いいところか(どのくらいの距離なのかさっぱり・・)、もちろん白タク。。

街中を・・・、他のお客はいないみたい、で、府谷へ。

黄河を渡ります、運ちゃんスピードを緩めて。黄河はここでは山西、陝西の省境を南へ向かって、西安近くまで。やはり揚子江に比べると水量はずっと少ない、南水北調の成否は中国の死活問題?

   

運ちゃん、あの塔が・・・、で付き合い撮り。写ってるアパート、これが普通でしょう!が少し行くとこの高層住宅?バブルの後?がここにも。。

 

タクシーで移動、当たり前?府谷の街でも、外れた所ですバスセンター。バスセンター手前の橋で運ちゃん車止めて、「あすこがバスセンター、・・・・」、書き物出せと、で、筆談。どこから?日本!。4歳の子がいるそうで、降りるときに持って来た白い恋人を。

運ちゃん車を降りてきて、またまた筆談、ここで切符を買いな と、買い終えるまで付き合ってくれます。別れ際に写真を撮らせて、と、気持ちよく応じて。これこそ、私の旅です。横のおじさんの笑顔、彼が私のこと教えたんだと・・・。

   

ここ府谷、バスセンターの整備が間に合わなかった?それとも他に大きなセンターが?どうでもいいか!楡林行きバス、出庫ゲート。

出庫ゲート横に掲示しています、6つの不として。定員オーバ、整備不良、出庫証、態度悪い者、・・・。。

    

合格したので出庫?、出発です。で出た途端、すごい悪路を・・・、国道まで。戻って黄河沿いを高速道路に向かって、ここ開発区にも例の・・・。看板には「黄米(アワ?)の里、海紅果(姫リンゴ)の里」とあります。食べていた希飯で黄色はアワ粥でした。

 

神木に向かって。

    

神木です、この近辺では広大な炭層が存在、この十年での大規模開発により、中国でも名の知れた街。医療保険でも住民の無料化をしたりと。

その一方で翻訳小説「神木 ある炭鉱のできごと」という本が、そんなこんなで、ここの空気も味わいたいと。

でも目に入るのはこんなところまで押し寄せてるバブル。

  

先日のインターネットで、この地区に大規模な石炭を基にした化学工業を国家プロジェクトとして立ち上げると、まだまだ、走り続けなければいけない中国!変われない共産党を頂いて、共産党の、共産党による、共産党の為の中国。

 

と、前方に万里長城?そう、長城に沿って進んでいます。長城の外は、騎馬民族匈奴の地。。

  

 左手の中の烽火台を撮ってるんですが・・・。

  

次々と現れる炭鉱、ガスの事業所。

  

朔北の地を見ながら、今日の目的地、楡林へ

  

大きな貯水池、雨の無いこの地にこの大きな貯水池、人間のあくなきエネルギーに脱帽!そしてその結果の一端?

     

楡林の街へのインター、古城灘。街郊外の開発区?既に幼稚園もできてる?この現実を知らせるのも今回旅の目的、なにを読み取るのかは任せます。建設中の場合、中国ではこの手の囲いを施しています、ですから建設中。

   

 

小説「滄桑 中国共産党外伝」、陝北健児の物語(共産党の一面を描く?)の舞台。楡林、南の米脂、その大地、今の中国共産党を理解する為にも訪れようと思った所。そしてこの地にも万里長城が横たわっています、過って秦の時代からここが中華と朔北境界の地。滄桑とは海変じて桑畑となる、天変動地。

 

楡林の街、バスは北バスセンターに到着10:40、高速道路2時間半でした。

   

 

想定のバスセンターは街の南、明日はそちらのバスセンターから。現在地を確認すべく市内地図を購入、で、おやじに現在地を訊きます(ただ訊くと、皆わからないと言います)。バス路線も載っていますのでバス停で確認できます。

ところが、うっかりして逆方向のバスに乗って(右走行!)すぐ終点、バスを降ろされます。運転手君に訊くと例によって、指さしです。

感を頼りに通りに出て、思しき所で待ってると、少し離れた所に人だかり、第6感で移動、とさっそく1路(大体中心街を走ります)が1元(料金箱に表示している)、車内の路線図を見ると北バスセンターを通って(南)バスセンターに行きます。

 

バスから見た小学校の下校風景、お迎えの親たちで前の道路はラッシュ並みに混雑します。

 

 

旧市街南門近くの十字路口、バス下りてセンターを・・・、請問!です。写真左正面のビル?(ついでに左の土手壁記憶してください)、で、明日の綏徳行確認(いつでもOK)。

   

次はザックの置き場所もあるので、宿探し。その点中国ではチェックインは3時からとか煩いことは言いません、所によっては夜行で着いたその朝でもその日のチェックインを受け付けます。

少し安そうな・・・、で、この建物、フロントの小姐何故だか裏へと、裏へ回っても入口が見当たりません、出ていた厨房?の連中が怪訝な顔で・・・、諦めてバスセンター向かい、ケンタッキーのビルの喜洋洋商務快捷酒店へ。

 

少し貴い?単人間115元、ケンタッキー朝食券10元相当付。

  

次は腹ごしらえ、羊雑砕、羊の臓物とミーフン?ビールも飲んで15元くらい?。

 

 今回旅の目的地、鎮北台へ、1路乗換3路で、道路の維持はどういった体制でやるのか?維持という行為は・・・、日本が異常なのかも。。

  

2元で鎮北台到着、バス停から10分がとこ。

   

しっかり入場料、ここは老人票を、そんなの用意していないのか学生票渡されます15元。

 

ここは長城の監視所?出入口をも兼ねて、まさに境界と言った位置、整備終わって公園化されています。

   

 施設内部へ。

       

台上からは足もとの長城構造(復元?テーマパーク?)、でも過っての様子は充分想像できます。鎮北台以外、長城そのものは版築(土の突き固め)、一部その様子が残っています。

      

そして匈奴の地を望みます。

東、長城痕跡と烽火台?が・・・、西はどこまでも・・・、そして長城内側の緑あふれる地から、楡林の街が望めます。

   

施設内の博物館?資料から。

          

 

見学終わって街に戻ります。

楡林の旧市街東側(山側)には、今も過っての城壁が残ってるようですし、鐘楼、鼓楼もあります。滄桑の物語の中でもこの地区の中心都市として描かれています。

鼓楼です。

この後街の様子は”その7-2”で。。

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