ハイナンネットのメンバーは、アポたちに会いにちょくちょく海南島へ行っています。
私が行ったのは、もう3年も前のこと。
銀塩カメラで人物を撮るのが好きだった私は、深く考えることなく行く先々でアポを撮影していました。
しかし、何人目かのアポの家を訪れたあと、誰ともなく「むやみに撮るのはやめない?」という話になりました。
二重通訳で会話するにも一苦労。スキンシップなどでコミュニケーションをしていくなかで、目的もなく写真をバシャバシャ撮る行為があまりに一方的で、なんと言えばいいのでしょう……無配慮な研究者の記録撮影のように思えたからかもしれません。
(自分たちはそのようなことをしたくないし、そうアポが感じたら嫌だ、というのもあったでしょうか)
以降、わたしはむやみな撮影をやめました。
話は現在にもどりますが、先日、新宿ニコンサロンで元「イアンフ」の女性たちを撮影した写真展が中止になりました。
「イアンフ」問題が政治的なトピックになって久しいですが、この問題に限らず、話の枠組みばかりが大きくなっていって、被害者の存在感が薄れていってしまうことは、とても残酷なことだと思います。
国対国の話になっても、ひとりの人の傷はそのまま、その人の人生は進んでいきます。
どのような事件や問題にしても、「ひとりの人が傷ついたこと」という視点を忘れてしまってはいけないと、私は思います。
このような視点を忘れず、どのような事件や問題に関しても人の体温を感じるために、写真や映像はとても有効だと最近改めて感じています。
つまるところ、写真展の中止、残念です。
(T)
私が行ったのは、もう3年も前のこと。
銀塩カメラで人物を撮るのが好きだった私は、深く考えることなく行く先々でアポを撮影していました。
しかし、何人目かのアポの家を訪れたあと、誰ともなく「むやみに撮るのはやめない?」という話になりました。
二重通訳で会話するにも一苦労。スキンシップなどでコミュニケーションをしていくなかで、目的もなく写真をバシャバシャ撮る行為があまりに一方的で、なんと言えばいいのでしょう……無配慮な研究者の記録撮影のように思えたからかもしれません。
(自分たちはそのようなことをしたくないし、そうアポが感じたら嫌だ、というのもあったでしょうか)
以降、わたしはむやみな撮影をやめました。
話は現在にもどりますが、先日、新宿ニコンサロンで元「イアンフ」の女性たちを撮影した写真展が中止になりました。
「イアンフ」問題が政治的なトピックになって久しいですが、この問題に限らず、話の枠組みばかりが大きくなっていって、被害者の存在感が薄れていってしまうことは、とても残酷なことだと思います。
国対国の話になっても、ひとりの人の傷はそのまま、その人の人生は進んでいきます。
どのような事件や問題にしても、「ひとりの人が傷ついたこと」という視点を忘れてしまってはいけないと、私は思います。
このような視点を忘れず、どのような事件や問題に関しても人の体温を感じるために、写真や映像はとても有効だと最近改めて感じています。
つまるところ、写真展の中止、残念です。
(T)