僕は大森健司先生の元、森俳句会で俳句をかれこれ四半世紀習っています。
中学の時から健司先生は学年の中心的存在の人気者、頭の回転が早い上にスポーツ万能で僕とは全く違う世界の雲上人だと、遠い目で見る存在でした。
その頃の僕は幼少期大病をして小学校時代のほとんどを病院で過ごしたせいなのか、対人が苦手で、部活でも鈍い奴扱いのいわゆるいじめられっ子、なんでこんな派手な学校に入ったのか後悔する毎日でした。
大学で同じクラスになり、ひょんなことで帰りに車で一緒に帰るようになって、家が俳句教室をやっていることを聞かされました。
キラキラしたイメージの健司さんがまさか地味な俳句をしているとはかなりの衝撃で、文学や映画の話を交わし合う延長線で、誘われるように家に着いていって、内弟子を志願しそのまま今に至ります。
健司さんの家は祖父母の代からの俳句一家で6歳より角川書店創業者である角川源義会長の右腕の、吉田鴻司先生から指導を受けていたとのこと。
俳句をなされない方からすると、どちらもピンとこない方でしょうが、俳句の季語の例句を載せた歳時記を刊行しているのが角川書店です。
吉田鴻司先生はサントリー、ぴあ、リクルートといった大企業の会長の指導の他、全国を回りながら、草の根を掻き分けて当時無名の俳人を発掘し続けた偉大な師であります。
その頃ですら俳句一本で食べていくのは困難であり、鴻司先生は健司さんを有名企業に就職させ、趣味で俳句をさせるスタンスを取っていらっしゃりました。
進路に迷ってはる健司さんの横で、出来ればこの道一本で行って欲しいというのが句会の弟子一同の願いであり、そこで現れたのが、源義会長のご子息、知る人ぞ知る角川春樹社長です。
角川春樹といえば映画のイメージが強く、文庫の帯にある、
ー読んでから観るか、観てから読むかー
のキャッチコピーを一度は目にされた方はたくさんいらっしゃると思います。
実は春樹社長こそが一番の俳句信奉者であり、角川映画の鮮烈なキャッチコピーの数々は、俳句をしているからこそ生まれた、言葉の瞬発力の賜物と言えます。
当時の春樹社長はその興行収入を充てて、まさに俳句部門を設立しようとしているところでした。
春樹社長と健司さんの魂は一瞬で共鳴し合い、第一回俳句現代賞を健司さんが満場一致で受賞されたのを機に、健司さんの椅子が東京に用意され、雑誌『月刊 俳句現代』が創刊されました。
春樹社長の周りは実に豪華で華麗なる顔ぶれで、コミュ症の僕からするともはや恐怖でしかない世界でしたが、健司さんはどんな偉い方を前にしても媚びることなく毅然とした態度で接し、怖気付いている僕を一緒に連れ出しては、「絵画や音楽もそうだが、芸術も人物も一流のものに触れることが感性を養い、自己意識を高める」と教えてくださったのを今でも心に留めています。
僕は当時着いて行くのがやっとで、吸収出来たのかは今でもわかりません。
ただ、それまで否定し続けた自分、そして正面から受け止めることに逃げていた毎日から、口下手な自分でも、俳句なら表現出来るというたった一つの希望を胸に、どんなに困難な状況でも最後まで諦めないで続ける強さだけは身につけられた自信があります。
俳句を始めて今年で26年、季語を一つ一つ勉強しながら、季節の移り変わりを肌で感じ、心豊かに、思いやりを持って、これからも生きて行きたいです。
最後に内気で受け身な僕を見下ろさずに引き上げ、俳句の世界の奥深さを教えてくださった大森健司先生に心から感謝いたします。
写真 俳句の師である大森健司さんです。