一週間ほど前の話である。
ある学年の担任が、学級で作った俳句をもってきた。
深川発祥俳句コンクールへの参加作品である。
「どうもいい俳句ができないんです」
見てみると、悪くはないのだが、俳句っぽくない。
普段はこれでも十分なのだが、コンクールに出す俳句という観点で考えると難しいものがある。
一計を案じた。
俳句っぽく作らせるために型紙を用意してみよう。俳句の型紙だ。
季語は、適当なものを入れてみる。
夏の日や(これは季語である)○○○○隅田川
夏の隅田川のイメージを考え、この○○○○に七音を入れてみるということだ。
例えて言えば、
夏の日や魚の泳ぐ隅田川
夏の日や水面光る隅田川
こんな感じである。十二音でなく、七音である。ほとんどの子どもがノートに書く事ができた。
しかし、これだけでは皆同じようで、おもしろくない。
これが出来たら、次の作業は季語を変えてみることである。
「みんな同じ『夏の日や』じゃあおもしろくないよね。」
季語を変えてみる。
例えば、こんな具合だ。
夕やけやくらげがふわふわ隅田川
花火の夜キラキラ光る隅田川
夏の朝たいようあがる隅田川
むぎ茶のむ花火見ながら隅田川
すると、「隅田川」も変える子が出てくる。
夏の夜キラキラ光るにじの川
全くのオリジナルが出来上がるという寸法だ。
この作句法について、表題で書いたように「簡易的俳句創作法」と自嘲的な名前を付けたが、子どもの発想を少しずつ広げていく方法として有効かも知れないと思い始めた。
しかし、最初に考えることを中七に限ることによって、発想の幅が狭まることも否めない。
読者の皆さんはどう考えますか。