一句鑑賞

俳句をとおして、いろいろなものとのふれあい。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

湯婆(ゆたんぽ)

2017年12月03日 | 一句鑑賞
湯婆と書けば書いたで笑われる 宇多喜代子

 「ゆたんぽ」は湯婆と書く。初めてこの漢字を見た時は、「はて、湯婆(ゆば)とはなんだろう」と思うだろう。「ゆたんぽ」と読むと分かっても、ゆたんぽを湯婆と書くことが笑いを誘うのである。そういう微笑ましい雰囲気が伝わる俳句である。
 ゆたんぽを「湯婆」と書くのは、どうしてなのか、不思議である。
コメント

障子

2017年11月30日 | 一句鑑賞
障子しむる妻の眼最後までのこる 山口誓子

 妻を見ているのではないが、障子を閉めて出ていく妻の視線を感じている。
 こういう経験は、多くの人が持っていることだろう。
 掲句の場合、その妻の視線が射るような、ある鋭さ、何か疑いを持った感情が残っているように感じたのではないだろうか。「最後まで残る」というところに、そういう不安感が思われるのである。
 「妻の眼」というところに、たんなる視線ではなく、はっきりとした意思が感じられる。
 非常にリアルで、人間の持つ情念の深さを捉えた句といってよいのではないだろうか。

白足袋のまず現るる白障子 じゅん

 じゅんの句は、ある寺の書院を出る足袋の光景を思い出して詠んだ。よい句ではないかもしれないが、白と白が重なり、冬のきりりとした冷気が感じられるのではないだろうか。それだけの句であり、山口誓子の句に遠く及ばないことが分かる。
コメント

背高泡立草

2017年10月19日 | 一句鑑賞
世の末の花かも背高泡立草 矢野絢

 我が家の裏の土手に「背高泡立草」が生えだした。
 これはどこから来たものだろうか。
 種子で増えるというが、飛んでくることもあるのだろうか。
 繁殖力が強く、群生する。
 あまり増え過ぎても困るのだが。

 掲句は、背高泡立草の繁殖力に占領される様子が、世の末を連想させるということだろうか。 何か自分自身の末路を見るようでもある。
 晩秋の風情と併せ、もの悲しい季節である。

裏庭に背高泡立草いつの間に じゅん
17/10/19(木)
コメント

秋深し

2017年10月17日 | 一句鑑賞
秋深し鉄瓶に足す山の水 桑原立生

 この頃は、「秋深し」というよりか、もう冬まじかである。季語でいえば「冬隣」である。
 この句は、杣人(そまびと)の暮しを詠んだものだろうか。
 私の近く、少し山に入ったところに、「長寿の名水」がある。
 わざわざ県外からも水を汲みにくる。
 お茶を立てる時に使うというので、この水を鉄瓶で沸かすこともある。
 そんなことを思いながら・・・。
 「秋深し」という感慨の中に、水を大切にする心が伝わる一句である。

秋深し野をゆったりと頬かむり じゅん
コメント

去年今年

2017年01月02日 | 一句鑑賞
命継ぐ深息しては去年今年  石田波郷

 石田波郷は闘病生活の中で俳句を作った。この句は、私が心臓の病を得てから身に染みるように感じている。深息をして呼吸を整えないと、息苦しくなるときがある。体験しないと分からないこともある。
コメント

鰰(はたはた)

2016年12月19日 | 一句鑑賞
鰰の大粒卵嚙むさびしさ 林翔

 香ばしい味噌田楽の香を楽しみながら、鰰の大粒の卵にかぶりつく。少し粘りのある卵の半分ほどが口の中におさまる。しかし、「大粒卵嚙むさびしさ」という、さびしさには到達しない。私の感受性の無さと思いつつ、頭から、卵から身へ、感激しながら食べる。
 そして、次の一尾へ・・・。

 画像は、鰰の田楽。
コメント

海鼠(なまこ)

2016年12月10日 | 一句鑑賞
心萎えしとき箸逃ぐる海鼠かな 石田波郷

 病気療養中のときの俳句であろうか。海鼠は病院食ではないだろうが、健康なときには深海の味のする海鼠がこりこりとしておいしいと思う。体調が思わしくないときには、食事に対する喜びも変わる。その変化を海鼠を箸で取り逃がしたことに思いを寄せている。
 海鼠は酒の肴としても好まれるが、酒も肴も体調によっては味も食欲も満たされない。

 画像はネットから拝借した。本物は調理済みのものしか見たことがない。
コメント

2016年12月09日 | 一句鑑賞
みちのくの青菜はもう雪の下  じゅん

畑の青菜は、12月7日に降った雪の中になりました。
きびしい寒さの中、甘さを増したのではと思われます。おいしそうですね。

一句鑑賞です。

初雪の足らぬことばのやうに止み 向田貴子

 初雪を足らぬことばというように、言葉に譬えるのは、やはり初雪であるからだろう。つまり、雪に対しての繊細な感覚がある。雪を見慣れるとこうは言えなくなると思う。降り始めの雪はどれくらい降るのか、たいして降らないのだろう。言われてみるとそうである。ことばの譬えは人の内面にまで入ってくるので、なかなか深さのある句になった。
コメント

陽炎

2016年03月29日 | 一句鑑賞
陽炎より手が出て握り飯掴む 高野ムツオ

 陽炎という季語からは、多くの場合、春らしい陽気な情景を思い起こす。
 しかし、この句は、2011年の東日本大震災の被災地を詠んだ句である。
 私もこの大震災の句を詠む機会を与えられたが、なかなか作れない。
 「手が出て握り飯掴む」には、震災にあってもいのちへの強い必死さが感じられる。
 また、この場合の「陽炎」は、この世に起きたことなのに、いまだ信じがたいような出来事を象徴している。
※画像はgoogle検索より借用
コメント

寒し(寒冷)

2016年01月16日 | 一句鑑賞
茂吉産みし出羽の寒さに驚きぬ 肥田埜勝美

 平成28年の1月も半ばの15日、本家の主人が亡くなったという知らせがあった。命日の15日はその奥さんの命日と同じである。朝から冷える日であった。夜、帰宅するとき、道路の温度計はマイナス9度だった。この冬いちばんの寒さである。
 掲句は、想像以上の出羽地方の寒さに驚いたという。茂吉の郷里である出羽の風土に触れることによって、茂吉を見直すことになったのではないだろうか。人物の名を自然に結び付け、深まりのある俳句になっている。
 作者の肥田埜勝美氏は、俳句結社「阿吽」の主宰であり、2006年4月2日亡くなられた。

寒冷や人の生き死に容赦なく じゅん
コメント