十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

笹鳴

2013-02-01 | Weblog
笹鳴やどこに置いても淋しい手     坂本あかり

「手」は本来、あたたかいもの、やさしいものであるはずなのに、
「どこに置いても淋しい手」とは、あまりにも淋しい。
手だけが、淋しい訳ではないとしたら、やはり心が淋しいからだと、
思わずにはいられない。「どこに置いても」に強調される淋しさ、
「淋しい手」のどこか客観的な捉え方に、詩としての寂寥感が、
見事に詠まれていると感じた。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
笹鳴 (歩九里)
2013-02-02 09:00:40
鶯はあの伸びやかな声で鳴くときも、その姿を見つけるのはきわめて困難ですが、笹鳴きの頃はなおさら。藪の中を黒い影となって渡り歩くので、余程目の効く人でないと探せないでしょうね。掲句は手だけでなく身の置きどころも無い寂しさでしょうね。
返信する
淋しさ (みどり)
2013-02-02 09:51:41
人懐っこい、ヒタキでしたらよく見えるのですが、
小さな鳥の姿を見つけるのは至難の業ですね。
今月の巻頭句なので、作者の自句自解がありますが、
生きとし生けるもの、誰もが感じる寂寥感であるようです。
心の深い所で感じる感覚でしょうか。
返信する

コメントを投稿