笹鳴やどこに置いても淋しい手 坂本あかり
「手」は本来、あたたかいもの、やさしいものであるはずなのに、
「どこに置いても淋しい手」とは、あまりにも淋しい。
手だけが、淋しい訳ではないとしたら、やはり心が淋しいからだと、
思わずにはいられない。「どこに置いても」に強調される淋しさ、
「淋しい手」のどこか客観的な捉え方に、詩としての寂寥感が、
見事に詠まれていると感じた。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)
「手」は本来、あたたかいもの、やさしいものであるはずなのに、
「どこに置いても淋しい手」とは、あまりにも淋しい。
手だけが、淋しい訳ではないとしたら、やはり心が淋しいからだと、
思わずにはいられない。「どこに置いても」に強調される淋しさ、
「淋しい手」のどこか客観的な捉え方に、詩としての寂寥感が、
見事に詠まれていると感じた。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)
小さな鳥の姿を見つけるのは至難の業ですね。
今月の巻頭句なので、作者の自句自解がありますが、
生きとし生けるもの、誰もが感じる寂寥感であるようです。
心の深い所で感じる感覚でしょうか。