あめんぼの力抜くとき流さるる 堀籠政彦
あめんぼが、水に流されるのは、力を抜いたからではなく、流されるのは、あめんぼの習性であり、自然の摂理である。しかし、こう詠まれて、納得してしまうのは、「力抜くとき」という措辞が、実は自己投影された思いが重なっているからではないだろうか。身につまされる一句である。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)
あめんぼが、水に流されるのは、力を抜いたからではなく、流されるのは、あめんぼの習性であり、自然の摂理である。しかし、こう詠まれて、納得してしまうのは、「力抜くとき」という措辞が、実は自己投影された思いが重なっているからではないだろうか。身につまされる一句である。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)
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