老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

枯れ蓮の池

2016-11-14 15:22:36 | 俳句
     ☆    蓮枯れて龍の眠れるところかな    長谷川櫂


     


師が最も大切にしている、俳句での「虚と実」の世界。
龍は想像の生き者。
それが蓮の池で 時節がくるまで寝ていようか?
スケールが大きい句である。


ドライブをしていると、蓮の池がところどころにある。
夏は蓮の花が美しく咲いているけれど、これらの池は手を入れないので去年より今年と根がはって、池が美しいと云うか、窮屈そうと云うかそんな目で見ている。
盆花として出荷もしないし、蓮根は掘らぬし、枯蓮になれば寂しさが増してくる。

      

     ☆    ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる    秋元不死男

     ☆    湖の枯蓮風に賑やかに    高野素十

車を止めてそんな、手入れのされていない枯れ始めた池の蓮を撮ろうとした。
近くにいたのであろう、姿は見えぬ犬に吠えられてびっくりした。
鳴き声が止むと、今度は水鳥の鳴く声が聞こえてきた。
目には止まらなかった鴨がカメラのレンズを通して見える。水脈を引いて泳いでいる。

     📷    枯蓮しずかに雨のあがりゆく

     📷    鳴き交わす水鳥雨の気配あり

     📷    枯蓮のすき間すき間を水揺るる

     📷    敗蓮犬に吠えらる不運かな

     📷    枯蓮を打ちて狐の嫁入ぞ

     📷    水郷や枯蓮田よりほか見えず

見たままだと報告俳句だ。
一晩眠ると、今日見えなかったものが見えてくるかしら。そりゃあ無い。頭も涸れている。

独りで吟行、句会無し、ジレンマがある。
けれど、こてふった砂を噛むような言葉の羅列の句会には出ようと思わない。
私に実力があれば、我が選にも耳をかたむけてくれるであろうが、それは無理。唯我独尊、我が道を行く私は変に妥協はしないし、弁の立つ理路整然と意見を述べる人に反論するのは苦手ときている。

どなたかが私のブログを読んでくれているみたいである。
有り難うございます。
愚痴と、嘆きと時に人さまを自分の事を棚にあげて批判をする、世間知らずの徒然の呟きを。


昨日のしりとり
     🍒    ひとつとやお手玉唄はとをで終ゆ   (お手玉)

     🍒    錦木や野次馬多き庭手入れ    (庭)

     🍒    紅葉山はづれの宮の濃紅葉    (紅葉)

     🍒    うつむく人胸を張る人黄落期    (黄)
コメント
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