老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

秋のまつり

2015-10-11 11:44:01 | 俳句

       パコダ耀る眉山粧ひゆるやかに   葉

       八朔の窯場のお神酒徳利かな   葉




昨今はいずこも、何かの行事は、土曜日、日曜日を利用して行われる。
我が町も、昨日から秋祭りである。
こじんまりとした、特徴の無い町だから、お祭りの規模もそれなりだと思う。
一つ、私が好きなのは、夜がきて、提灯の灯が屋台に点り、屋台のかき手が町を静かに練りながら進む時に唄われる、伊勢音頭である。
この町に来て初めての秋祭りに、この伊勢音頭を聞き、感激した。
哀調をおびた唄を、屋台の前を行く人が唄いながら進む。かき手の人が、調子をとり、あいの手を入れているようである。
身にしむ、しずかに流れる唄を聴きながら、ああこの町に来て良かったと思った。

氏神さまにお参りに行く。
気にはいっていても、木綿の割烹着まがいの服でお宮に行って誰に逢うやもしれない。
縫って一度も袖をとうしたことの無い、大島紬をリメイクした服を着た。オオバーに言うほどの服では無い。普段着なのだけれど、常に着て炊事をしたり掃除りするのは、後の汚れた時の洗濯のことを考えると、不便なのだ。



NHkの俳句番組に出ていた 大石悦子 さんがお召しになっていた、大島紬のデザインの服が、このように柄を配置していた。
真似て、作った。うまく、仕上がったと思う。今の季節にぴったりである。


       今も犬の死を諾へぬ花野かな   むめこ

       泣くことは生きてる証し鵙の贄   魁仙

(い)で終わった句に (今も)でつないだ。(な)で終わった。 
すると (な)で始まる (泣く)の句になった。
ちなみに、僧をなさっている方と思われる。いつも静かで淡々としている方である。
禅問答のようなしりとり俳句になった。
 


       
コメント
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