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青空文庫 高見順 より  庭で~失われたタヌキ

2017年11月12日 13時58分26秒 | 文学・詩・短歌・五七五

青空文庫 高見順 より

 

 

 

草の実

 

小さな祈りが葉のかげで実っている


 

祈り

 

それは宝石のように小さな函(はこ)にしまえる 小さな心にもしまえる


 

カエデの赤い芽

 

空をめざす小さな赤い手の群(むれ) 祈りと知らない祈りの姿は美しい
 
 
 
手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残りすくない大事な時間が

そのかわり私の前にいくら君が立ちはだかっても
死の世界にしては明るすぎる向うの景色が丸見えだ
そのかわり君が敵か味方か私にはわからないが
なぜ君は君の見ている景色を私に見せまいとするのか

たしかに死の世界ではないのだ
しかしそこに人はひとりも存在しない
かつては客が大勢いたらしいのに今は去って
そのかわりたくさんの盃(さかずき)がにぎやかに残されている

飲み残しの酒を今なおたたえた盃
その周囲にからの盃が倒れている
杯盤(はいばん)狼藉(ろうぜき)のわびしい華やかさ
ころがっている盃のほうが多いのだ

私にははっきりわかるのだが
からの盃は盃が倒れたので酒がからになったのではない
人がぞんぶんに飲みほしたのち盃を投げたのだ
乾盃のあと床にたたきつけられた盃もある

なぜあと片づけをしないのだろう
宴のはじめはさぞかし楽しかったにちがいない
楽しさがまだ消えやらず揺曳(ようえい)しているのを
その場に残すためそのままにしてあるのか

その楽しさはすでに過去のものだ
しかし時間が人とともに消え去っても
過去が今なお空間として存在している
私という存在のほかに私の人生が存在するように

楽しそうでほんとは惨憺たる過去の景色を
君は私の味方として私に見せまいとするのか
それとも私の敵として過去の楽しさすら拒みたいのか
君は私の過去とは別に存在する私の作品なのか

景色は次第に夕闇に包まれて行く
砂上に書かれた文字が崩れるように
すべての盃も姿を消して行き
時間の洩れる音だけがいそがしく聞えてくる
 
 
旗行列の小学生が手に手に振っている日の丸の赤インキが雨ににじみ よそゆきのハカマのうしろに泥がいっぱいはねあがっていた



少女の髪は火薬のにおいがして わがテロリストの手のスミレがしおれていた



姐(ねえ)さんはこう言ってました 芸は売っても 身は売らぬ あたしはオヒゲのお客に言いました 身は売っても 芸は売りません
 
 
あなたの頭上に飾られた讃歌がいまタンポポの種子のように飛び散って行く
春が来たからである
 
 
 
人工食道が私の胸の上を
地下鉄が地上を走るみたいに
あるいは都会の快適な高速道路のように
人工的な乾いた光りを放ちながら
のどから胃に架橋されている
夜はこれをはずして寝る
そうなると水を飲んでももはや胃へは行かない
だから時には胃袋に睡眠薬を直接入れる
口のほかに腹にもうひとつ口があるのだ
シュールリアリズムのごとくだがこれが私の現実である

私にまだ食道があった頃
東パキスタンのダッカからB・O・A・C機で
インドのカルカッタへ飛んだ
機上から見たガンジス河のデルタ地帯は
超現実派の画のように美しかった
太古から流れてやまない大河の
河口のさまざまな支流が地上に描く
怪奇でモダンな線
現実の存在とは思えぬさまざまな微妙な色
自然はひと知れずその内部にシュールリアリズムを蔵しているのだ

カルカッタから私はブッダガヤへ行った
釈迦がその木かげで悟りを開いた
菩提樹が今なおうっそうと繁っていた
その葉を一枚私はみやげにつんだ
チベットから歩いて来たという巡礼団がいた
暑いインドなのに黒衣をきつく身にまとっていた
黄色い衣(ころも)を着たビルマの僧侶もいた
私にはなつかしいヒナヤーナ僧の姿だ
私は戦争中ビルマに一年いた
しばしば私はラングーンのシュウェ・ダゴン・パゴダに詣でた

金色にかがやく仏塔の下で
大理石の仏像に合掌して眼をとじていると
暑さのためもうろうとなった頭が
日かげの風で眠けをもよおし
ノックアウトされたボクサーの昏睡に似た
一種の恍惚状態に陥ったものだ
暑熱がすごい破壊力を発揮しているそこの自然は
眼に見える現実としての諸行無常を私に示し
悟りとは違うあきらめが私の心に来た
蓮の花の美しさに同じ私の心が打たれたのもこの時だ

仏に捧げるその花はこの世のものと信じられぬ美しさだった
人工的な造花とは違う生命の美
しかも超現実の美を持っている
まさに極楽の花であり仏とともにあるべき花だ
それが地上に存在するのだ
涅槃(ねはん)がこの地上に実現したように
おおいま私は見る
涅槃を目ざして
私の人工食道の上をとぼとぼと渡って行く巡礼を
現実とも超現実ともわかちがたいその姿を私は私の胸に見る
 
 

この埋立地

この埋立地はいつまでも土が固まらない
いつまでもじくじくしていて
草も生えない
生き埋めにされた海の執念を
そこにみるおもいがする
たとえ泥んこのきたなさ醜さでも
しつこい執念は見事だ
雨あがりの一段とひどい泥濘の
今朝の埋立地に足跡がついている
危険な埋立地を歩いたやつがいる
その勇ましさも見事だ
なんの執念だろうか
がぼっと穴になって残っている足跡は
まっすぐ海に向っている
それはそのまま海のなかに消えている

 

心の部屋


一生の間
一度も開(ひら)かれなかった
とざされたままの部屋が
おれの心のなかにある
今こそそれを開くときが来た
いや やはりそのままにしておこう
その部屋におれはおれを隠してきたのだ

 

近くの円覚寺に本堂ができた
杖をついて見に行った
大正十二年の大地震で
旧本堂がこわれて以来
ずっと空地のままだった
終戦の年の冬 ひとげのないそこへ
ある朝散歩に行ったら
礎石の間の砂地から
チチチと小さな声が聞えてきた
かすかな声なのに だからかえって私の耳をとらえた
地面に白くおりた霜が朝日にとけて
砂が虫のように鳴いていたのだ
砂のささやきのようであり
つぶやかれた砂上の文字のようであった
再建された本堂の前でいま私は
異様で可憐なその音を思い出した
砂の空地だった方がよかったとも思う
同時に最近のある思い出がよみがえった
私がガンになる前のこと
安房鴨川の春のことだ
ある午後 浜辺を行くと
小鳥が砂の上をつんつんと飛びながら歩いていた
モミジのような足あとを
文字のように砂上に書きつらねた
たしかにそれは何事かを伝えんとする文字に相違ない
波音に消されて小鳥の声は聞えなかったが
円覚寺の砂の声が
小鳥の声として連想された
それほどこの小鳥にふさわしい声はない
二つは不思議に調和していた
 
 
まだでしょうかと そいつがうしろから
猫撫で声で おれにささやく
まだ? まだとはなんだ
おれは何も共同便所で小便をしているのではない
まだ達者で歩いているおれのあとを
足音を忍ばせてこそこそつけてくるのはよせ

なまぐさいそいつは何物だろう
そいつはどんな面をしているか
そいつの正体を見とどけてやりたいが
振り向いたおれに
眼鼻のないずんべら棒の顔を
そいつは見るにちがいない
そしてそいつは一向に驚かないで
すぐですねと言うかもしれぬ
そいつにそんなことを言わせたくないから
おれは振り向かないで我慢しているのか

そいつはそいつ自身のことを
おれに聞いているのかもしれないのだ
まだなまぐさいそいつは
おれのことを何かカンちがいしている
そう思うことがおれの口をとじさせている
おれをすたすたと脇目もふらず足早やに歩かせている
 
 
 

醜い生


あなたは私から去って行く
闇のかなたにやがてあなたは消える
闇のなかにあなたが溶解するとき
私はここでこのまま溶解する
まぶしいぎらぎらする光のなかで
私はすべてを失うのだ
それは決してあなたのせいではない
美しいあなたが私のなかから出て行って
私に残されたものが何もないからではない
ひとえにこのすばらしい光のせいだ
醜い生にも惜しみなく注がれるこの光のなかで
生きられるだけは生きたいのだ

 


初夏の
夕暮の
どこかの

オルガンがやむと
遠くの犬が
吠え出した

オルガンがやむと
それまで外をのぞいていた
おれのたましいが
窓から立って
病んで寝ているおれの所へ戻ってきた

 

ラムネの玉


忘れた頃に出てきた可憐な失(う)せ物のように
おとなには無意味でも
子供には貴重ながらくたのように
みんなに親切にしたい気持がおれの胸にもどってきた
ところがそいつが古風なラムネのガラス玉のように
おれののどにひっかかって息ができぬ
誰か親切な人よ おれを叩き割ってくれ
ぶざまなラムネのびんを割るように

 

おれの幼い頃には
タヌキが徳利をさげて
大ギンタマをぶらさげて
町の酒屋へ酒を買いに来たものだ
しょっちゅう会っているうちに友だちになったのだが
おれがおとなになったら
タヌキはどこかへ消えてしまった

 

そのタヌキは酔払うと
カッポレを踊ったり
キレイな娘に化けたりして
幼いおれを喜ばせたものだ
うまいうまいとおれは手をたたいた
これなら人間のおとなもころりとだませる
人をだますのは面白いだろうな

 

ふとタヌキはまじめな顔をして
幼いおれを相手にこう言ったものだ
坊や それは違うよ
人間さまをだますために化けるんじゃない
だまそうとしてだませるもんじゃない
これはおいらの楽しみなのさ
おいらひとりのケチな楽しみさ

 

坊や あのサクラをごらん
あれだってひとさまのために咲いてるんじゃない
普段ずいぶんとつらいおもいをしているのに
苦労を花に出してないのもえらいもんだ
あんなきたない枝から
あんなキレイな花を咲かせている
上手に化けたもんじゃないか

 

タヌキの言うことが幼いおれには分らなかった
今は分る
あのタヌキもやっぱりずいぶんさびしい気持だったのだ
今のおれにはそれが分るが
分ると告げたいタヌキが今はいない
すでにおれから失われてしまったタヌキは
もはやふたたびおれに戻ってはこないのだ
 
 



底本:「死の淵より」講談社文芸文庫、講談社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「詩集 死の淵より」講談社文庫、講談社
   1971(昭和46)年7月刊
初出:死の淵より「群像」
   1964(昭和39)年8月号
   老いたヒトデ「風景」
   1963(昭和38)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
 

 


青空文庫 高見順 より  汽車は二度と来ない~陽気な鬼

2017年11月12日 13時28分15秒 | 文学・詩・短歌・五七五

私の小学校時代の友達が 高見順を好きだったけれど

わたしは その名を 綺麗に忘れ去っていた


 

#526;残り少ない時間

2017-11-09 10:00:28 | 読み書きの~と
 残り少ない時間

私にとり心の詩集でもある
高見順『死の淵より』講談社 文芸文庫 の94頁に
「過去の空間」がある。

『死の淵より』に邂逅したのは 32歳のときだった


「過去の空間」の最初の連に

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残り少ない大事な時間が


7連に

その楽しさはすでに過去のものだ
しかし時間が人とともに消え去っても
過去が今なお空間として存在している
私という存在のほかに私の人生が存在するように


護施介護施設で働いていたとき
よくスタッフは「時間がない」と口癖のように発していた。
高見順は食道癌になり、52歳の若さで私の誕生日に永眠された。

時間がないのは、介護施設職員ではななく
老人たちであることに気づかずにいる。

老人は死の隣り合わせに生きており
いつ死神が迎えにきても不思議ではない
指のすきまから時間という砂が洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる

私は老人の残り少ない大事な時間を奪わってはいないか、と
高見順の詩に気づかされた。設で働いていたとき
よくスタッフは「時間がない」と口癖のように発していた。
高見順は食道癌になり、52歳の若さで私の誕生日に永眠された。

時間がないのは、介護施設職員ではななく
老人たちであることに気づかずにいる。

後略・・・・・


 


わずかばかりの黙りこくった客を
ぬぐい去るように全部乗せて
暗い汽車は出て行った
すでに売店は片づけられ
ツバメの巣さえからっぽの
がらんとした夜のプラットホーム
電灯が消え
駅員ものこらず姿を消した
なぜか私ひとりがそこにいる
乾いた風が吹いてきて
まっくらなホームのほこりが舞いあがる
汽車はもう二度と来ないのだ
いくら待ってもむだなのだ
永久に来ないのだ
それを私は知っている
知っていて立ち去れない
死を知っておく必要があるのだ
死よりもいやな空虚のなかに私は立っている
レールが刃物のように光っている
しかし汽車はもはや来ないのであるから
レールに身を投げて死ぬことはできない

 

水のない河床へ降りて行こう
水で洗ってもよごれの落ちない
この悲しみを捨てに行こう
水が涸れて乾ききった石の間に
何か赤いものが見える
花ではない もっと激烈なものだが
すごく澄んで清らかな色だ
手あかのついた悲しみを
あすこに捨ててこよう

 

魂よ

この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人手に渡した
魂よ
生は爆発する火山の熔岩のごとくであれ
おまえはかねて私にそう言っていた
感動した私はおまえのその言葉にしたがった
おまえの言葉を今でも私は間違いだとは思わないが
あるときほんとの熔岩の噴出にぶつかったら
おまえはすでに冷たく凝固した熔岩の
安全なすきまにその身を隠して
私がいくら呼んでも出てこなかった
私はひどい火傷(やけど)を負った
おまえは私を助けに来てはくれなかった
幾度かそうした眼に私は会ったものだ
魂よ
わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
私の言うことに黙ってしたがってきた
おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ
それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
言うことがすなわち行為なのであって
矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
そう言うおまえは食道がガンになっても
ガンからも元来まぬかれている
魂とは全く結構な身分だ
食道は私を忠実に養ってくれたが
おまえは口さきで生命を云々するだけだった
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう
 
 
生と死の境には
なにがあるのだろう
たとえば国と国の境は
戦争中にタイとビルマの国境の
ジャングルを越した時に見たけれど
そこには別になにもなかった
境界線などひいてなかった
赤道直下の海を通った時も
標識のごとき特別なものは見られなかった
否 そこには美しい濃紺の海があった
泰緬(たいめん)国境には美しい空があった
スコールのあとその空には美しい虹がかかった
生死の境にも美しい虹のごときものがかかっているのではないか
たとえ私の周囲が
そして私自身が
荒(あ)れはてたジャングルだとしても
 
 

みつめる

犬が飼い主をみつめる
ひたむきな眼を思う
思うだけで
僕の眼に涙が浮ぶ
深夜の病室で
僕も眼をすえて
何かをみつめる

 

小石


蹴らないでくれ
眠らせてほしい
もうここで
ただひたすら
眠らせてくれ

 


たえず何かを
望んでばかりいた私だが
もう何も望まない

望むのが私の生きがいだった
このごろは若い時分とちがって
望めないものを望むのはやめて
望めそうなものを望んでいた

だが今はその望みもすてた
もう何も望まない
すなわち死も望まない

 


夢に舟あり
純白の帆なり
美しいかな
涙あふれる

風吹き来り波立ちて
そが美しき舟
波間に傾き没すると見えつつ
夢の外へと去りゆくをいかんせん

 


病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って

 

巻貝の奥深く


巻貝の白い螺旋(らせん)形の内部の 

つやつや光ったすべすべしたひやっこい奥深くに 

ヤドカリのようにもぐりこんで 

じっと寝ていたい 

誰が訪ねてきても

蓋(ふた)をあけないで眠りつづけ 

こっそり真珠を抱いて 

できたらそのままちぢこまって死にたい 

蓋をきつくしめて 

奥に真珠が隠されていることを誰にも知らせないで

 

陽気な鬼

茶碗のふちを箸でたたくな
餓鬼(がき)がやってくる
大事なごはんを餓鬼に食われる
幼児の私に祖母が言った

食後静かに横たわった
今は年老いた私のところへ
奇妙な鬼どもがやってきた
なんの物音も立てはしなかったのに

外には雪が降っている
雪に足跡を残さず
足も濡らさずに庭から
私の部屋にはいってきた

小肥りした鬼どもは
顔の色艶もよく餓えてなどいない
きっと私なんかよりずっといい暮らしをしているのだ
病み衰えた私のほうが餓鬼のようだ

何をしに来たのだろう
私を慰めに来たのか
こんな陽気な鬼のほうが
骨と皮の餓鬼よりむしろ気味が悪い

私のベッドのまわりでツイストをはじめた
箸で私の肋骨をシロホンがわりにたたいて
音が悪いと
食道のない私の胸に耳を当てたりした

するうちなににおびえたのか
鬼どもは一斉にキャーッと叫んで
部屋からあたふたと飛び出した
否 私から一目散に逃げ出した

 

青空文庫 高見順 より

 

春夏秋冬 / 老い楽の詩 「認定調査の項目」

2017年11月12日 11時33分36秒 | 介護・病気・認知症

今年はなぜか要介護認定調査の お知らせが来ない

有効期限はまだ一年ありそうだけれど

今までは毎年秋ごろに いろんなお姉さんが調査に来て下さっていたのだけれど

今年通知が来ないのは 母が 介護に何もお世話になっていないからなのかも知れない

 

足が動かなくなって入院したのをきっかけに

入院している間は お貸ししている介護用品は一切使ってはいけませんと言われ

シルバーカーと車椅子を 急きょ自前で買ってきました

デイサービスも ショートも 一切利用していません

 

・・・・・・

 

いまのケアマネさんは どうも気があわないくて嫌いですから

積極的に こちらからお話したくはありませんから

放置状態です

 

と 言いながらも

どうしても手を借りなければいけなくなれば

相談にも乗っていただかなければいけないでしょうし

その時は ケアマネさん 交代していただこうかとも思っています

 

などなど

ときどき うつうつとしていましたら

良いブログに巡り合えました

 


 

 

春夏秋冬 / 老い楽の詩

老い始め、老い逝くまで、楽よりも苦の方が多く待ち受けている。

束の間だけでも喜びや感動、笑いあえる「楽」があれば幸せ。

 

後ろ姿の女性は、毎日、深夜「散歩」が続き、家族は疲労困憊。
デイサービスを変え、週6回のデイサービス利用、利用開始3日目で夜間「散歩」は消失。


「認定調査の項目」のブログは、内容が硬く、
似たような文章が続き、興味を引くようなところがないのでは、と思っています。
現在、要介護認定を受けておられ在宅で過ごされている人や在宅介護者に、
今後の認定調査のときに、少しでも役に立てれば幸いです。
認定調査を受けても、実際にどのような基準評価で調査が行われているのか、
わかりにくいのが実情です。
要介護認定調査の結果や主治医意見書の情報(写し)は
利用者本人が申請すれば、その情報を得ることができます。
詳しくは市町村介護保険に電話で相談されるとよいでしょう。
私が要介護認定の調査を受けたときは、その結果がどうなったか、
自分のことなので知りたいと思います。


 上手な介護サービスの活用処方 第39話「認定調査の項目」 〔37
                4-4 昼夜逆転

ここでいう「昼夜の逆転がある行動」とは、夜間に何度も目覚めることがあり
そのために疲労や眠気があり日中に活動ができない、もしくは昼と夜の生活が
逆転し、通常、日中行われる行為を夜間行っているなどの状況をいう。


1.ない

2.ときどきある
3.ある

下記の場合は、昼夜逆転にはならない
・夜更かし(遅寝遅起き)など単なる生活習慣によるもの
・蒸し暑くて寝苦しい、周囲の騒音で眠られない等の生活環境のために眠られない
・夜間頻尿のため、夜中に2~3回ほど起きる場合


・夜中にタンス等をあけて預金通帳を探し始める(週2回)などの行動は、「ある」を選択する


認知症が進むと「昼夜逆転」があり、それに「徘徊」や「転倒」が重なると
家族介護者の負担は大きくなります。
夜間起き出し、外へ出て歩き回るなどの行動にでると更に大変であり、家族の負担ははかりしれないものがあります。
疲労困憊し、介護者の方が倒れてしまいます。


昼夜逆転があるとき
ケアマネジャーがまだ決まっていないときは
地域包括支援センターに電話でもよいから相談されるとよいでしょう。


ケアマネジャーがおり、介護サービスを利用してされている場合
1)まず認知症の専門医に受診されることです。
そのときにはケアマネジャーにも同席して頂くようお願いするとよいでしょう。

2)ケアマネジャーにも相談し、ケアプランの見直しをしていただくことです。
ケアマネジャーの対応が遅いときは、市町村の地域包括支援センターに相談されるとよいでしょう。
センターからケアマネジャーに連絡が入ります。


・デイサービスを利用されていない日は、夜間起き出し動き回るが
デイサービス利用日の日は、夜間起き出さずに寝ている。
そのデイサービスは、日中、リハビリや体を動かす活動をされているため、適度な疲労感により
夜眠れているのだと思います。


デイサービスを利用した日でも、夜間起き出している。
そのデイサービスはその方にとっては適切なサービスがされていないので、
活動的なデイサービスをケアマネジャーに探してもらい、デイサービスの事業所を変更してみる。
日中散歩もしてくれるようなデイサービスを探すとよいでしょう。
(夜間徘徊がある老人は「外へ出たい」という欲求が強いことから、その欲求をデイサービスで解消を図ることです)

要介護度に応じて週利用できる回数が決まります。
要介護1でもデイサービスだけのサービス利用なら、週4回は利用できます。
但し訪問介護や他のサービスを利用されている場合はデイサービスの利用回数は変わってきます
そのところはケアマネジャーは詳しいので、よく相談されるとよいでしょう


要支援2の認定を受けている方は、地域包括支援センターに相談し、要介護認定の区分変更を
お願いすることです。

区分変更の申請書を出された場合は、かかりつけ医の受診をされる際、昼夜逆転など困っている行動を話されることが
大切です。 受診のときに話されたことが、認定審査会に使われる主治医意見書に反映されます

【簡単脳トレ】記憶力を鍛えて認知症予防!ボケ防止の脳体操

2017年11月12日 11時15分47秒 | 介護・病気・認知症

【簡単脳トレ】記憶力を鍛えて認知症予防!ボケ防止の脳体操

 

 

2017/08/20 に公開

認知症予防、物忘れの予防には体操・脳トレが熱い!専門家監修の脳トレをYoutubeにて公開。前頭葉を使って注意力を鍛えることが、物忘れの予防には重要です。今回はあなたの前頭葉、そして記憶の機能を鍛えるための問題を用意しました。油断していると間違えてしまう記憶の問題、注意力の問題ばかりです。

あなたは一体この問題ちゃんと解けるのか?

ボケ防止の知識を学びたい方はこちら
http://xn--u9j5gna0lva2g6153ceu5c.net/

おすすめの脳トレ
コグニサイズ
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認知症のための指体操
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間違い探しで注意力アップ!
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認知症予防には!計算で脳トレ体操
https://www.youtube.com/watch?v=KYjdm...

認知症予防には!ストループで脳トレ体操
https://www.youtube.com/watch?v=UyMfG...

認知症予防に体操!注意力を鍛える脳トレ
https://www.youtube.com/watch?v=ZZeu6...


私にとっては 意外と簡単であった

常に学んでいる  ゲームのおかげだと思うのであります

 


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大切なので すぐ見つかるように😊🌟🌿

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