羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2010年5月場所前(真石博之)

2010年04月30日 | 相撲評論、真石博之
5月場所の資料をお送りいたします



○朝青龍の抜けた穴が心配された春場所。穴を埋めたのは把瑠都。そして、それよりもさらに大きな役割を果たしたのが一人横綱の白鵬でした。残念ながら、日本人力士の存在感はまったく無く、『青白時代』の次に来るのは『白都時代』でしょうか。








○初場所まで陽気な笑顔をふりまいていた把瑠都が、別人のように、まなじりを決して挑んだ春場所。鶴竜と安美錦には窮地に追い込まれたものの、よく踏ん張り、最後は体力でねじ伏せての9連勝。注目されたのはそのあとの、かたや203㎝、こなた198㎝の4メートル対決。もろ手突きで琴欧洲の体を起こして先に左上手を引き、がっぷり四つになったあとは、幕内最重量の188㎏と、ほぼ幕内平均の155㎏の筋肉量の違い。二の腕、胸囲、腹囲、ふと腿のどれをとっても歴然とした差を見せつけて十分に引きつけ、難なく寄り切って10連勝。この4メートル対決、身長では5㎝上回るものの、琴欧洲はもう把瑠都に勝てないのではないかという強烈な印象を残しました。そして、把瑠都が迎えたのは横綱との全勝対決。『土俵に上っても、立合いをどうするのか決められなかった』と本人が語ったように、何も出来ずの完敗。初場所での豊ノ島戦に続いて、ここ一番での精神力の弱さを露呈してしまいました。








○しかし、おっつけと巻き替えを身につけた初場所に続いて、春場所では突っ張りを体得しました。どうやら、鬼が金棒を手に入れたようです。先輩大関陣はと言えば、黄昏れの魁皇と琴光喜、足踏みの続く琴欧洲と日馬富士ですから、新大関把瑠都が一気に横綱候補の筆頭に躍り出たようです。気になる点をあげれば、これまでに57日も休場していることです。年6場所になってから昇進した初代若乃花から白鵬までの25人の横綱のうち、横綱に昇進するまでの休場が一番多かったのは三代若乃花の67日、二番目が琴櫻の57日で、この二人が群を抜いています。(別紙『25横綱の昇進前の戦績』) 把瑠都の休場日数も、これと並びます。虫垂炎での休場は別として、左膝を繰り返し3回も負傷して休場しています。この負傷は、出世が速すぎ、足の運びが身につかないうちに、いかにも危ない倒れ方をしてのものでした。最後の休場からすでに3年近くが経ち、最近では専門のトレーナーについてもらって、負荷をかけてのランニングなどで下半身を強化しているようですが、まだ左膝の大きなサポーターはとれていません。








○朝青龍の引退に涙し、一人横綱として緊張して場所に臨んだ白鵬の語録。初日は『一日一日集中するだけ』、4日目は『横綱は一人でも頑張るもの』、中日に呼び戻し気味に玉鷲を寄り切り『自分から攻めるもの』、全勝対決の把瑠都戦を制して『気合いが入った。自分を信じていった』、13連勝後には『こわいくらい安定している』と豪語。そして、全勝優勝の土俵下でのインタヴューでは『勝つ相撲はとらない』と禅問答のようなことを言い、その意味をアナウンサーから訊かれた北の富士の答は『勝つと思うな、思えば負けよ、でしょう。大した横綱だね』。確かに大した横綱ですが、北の富士の当意即妙ぶりも大したものです。



その夜のサンデースポーツで、白鵬は『把瑠都は朝青龍の穴をうめることになる』と予言しました。








○白鵬の全勝がかかった千秋楽の相手は苦手の日馬富士でした。突っ張り合いから、日馬富士が左の上手を取って頭をつけて食い下がり、白鵬は右下手だけの苦しい体勢。互いに投げで揺さぶり合った後、白鵬がやっと上手を取って前に出るのを日馬富士が凌いでガップリ右四つ。数呼吸後、白鵬が引きつけて上手投げ。傾きながらも膝を払って防戦する相手の頭を押さえつけ、日馬富士は頭と背中から土俵に落ちました。1分を越える見応え十分な良い相撲でした。これまでの白鵬は相手を抱えてそっと土俵の外に出す優しい勝ち方が持ち味でしたが、春場所では相手をねじ伏せる荒々しさが加わりました。    <つづく>



○これで、白鵬の優勝は13回。そのうち全勝優勝が5回で、8回の双葉山と大鵬、7回の北の湖と千代の富士に続き、朝青龍に並ぶ史上5位になりました。そして、年齢は幕内で7番目に若く25歳になったばかり。順調すぎる足取りです。落とし穴があるとすれば、それは、おごりでしょう。触れ太鼓が部屋にやってくる初日前日、家族とホテルにいて朝稽古の土俵に顔を出さず、熊ケ谷親方から小言を食いました。これは初めてのことではなく、巡業中に朝青龍らと深酒をして、翌日の土俵をサボったこともあります。熊ケ谷親方が朝青龍に対する高砂親方のように何も言えなくなってしまわないかも大きな鍵でしょうか。








○さて、力士の薬物使用や朝青龍の暴行事件など、度重なる不祥事に世の批判を浴び続けてきた大相撲界ですが、相撲雑誌や新聞によれば、こんな明るい話題も出てきました。



 ①相撲教習所長に就任した貴乃花新理事の提案で、教習所生徒(新弟子)に土俵祭(初日前の神事)を見学させることが理事会で決まり、5月場所前から実施される予定です。関取にこそ見せて欲しいものです。



 ②横綱と大関は、ファンの目に触れずに車で場所入りする特権がありましたが、春場所では他の力士同様にファンの前を通っての場所入りとなりました。「見ぬ恋はしない」のですから、大いに見せるべきです。



 ③春場所の5日目、友綱審判部長が「立ち合いに相手に合わせようとする姿勢が見られなかった」として、琴光喜、琴欧洲両大関に師匠を通じて注意をしました。琴光喜の立ち合いは自分本位の見本でした。



 ④同じく7日目の豊ノ島戦で、勝負がついたあとに駄目押しをした日馬富士を、打ち出し後に呼び出して、友綱審判部長が注意を与えました。朝青龍が残した悪弊は追放されるべきです。



⑤上記の四つとは内容が全然違いますが、春場所で白鵬が獲得した懸賞賞金が2000万円を越えました。優勝賞金1000万円の2倍以上で、史上初めてのことです。史上最高の相撲人気に沸いた若貴時代の優勝力士の獲得賞金は一場所で500万円程度でした。1本6万円にしては、広告効果が高いとのこと。








<朝青龍の戦績>



「見たくない」と顔をしかめる方がいらっしゃるでしょうが、横綱・朝青龍の足跡を振り返ってみます。



年6場所になってから横綱に昇進し、そして引退していった初代若乃花から朝青龍までの24人の、横綱としての戦績が別紙『24横綱の横綱昇進後の戦績』です。



優勝20回以上の、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍を戦後の五大横綱と呼べるでしょう。



朝青龍の優勝回数は史上3位の25回です。それぞれ、相手が違うのですから、優勝回数を単純に比較するのは意味がないでしょう。ライバルとの関係では、大鵬には柏戸、佐田の山、北の湖には輪島、二代若乃花、千代の富士には隆の里、旭富士、貴乃花には曙、武蔵丸、三代若乃花らの強敵がいたのに対し、朝青龍の場合、白鵬が初優勝するまでの強敵は、敢えて挙げれば8歳年上の魁皇で、ライバル不在の中で16回目までの優勝を重ねました。優勝の値打ちでは、他の四大横綱より明らかに劣ると私は見ます。



通常の勝率である勝率①でも北の湖と貴乃花を上回り、休場を負けとして計算した勝率②では、横綱在位10場所で急死した玉の海に次ぐ2位で、大鵬をも凌いでいます。横綱は、引退が近づくにつれて休場が目立って増えていき、勝率②は急速に下がっていくものです。朝青龍の場合、30歳前での強制的な引退であったため、高い勝率が残せたといえます。








○別紙の番付などにある体重と身長は昨27日の測定値です。注目点をご紹介します。幕内最重量は把瑠都の187㎏。198㎝の長身とバランスがとれているのですから手に負えません。体重増加が課題の日馬富士は129㎏のまま。まだ禁煙できないのでしょうか。初場所前から7㎏も減った琴光喜は、しぼったのか減ってしまったのか、注目です。山本山は1㎏増の265㎏、これに次ぐのは臥牙丸の202㎏です。



平成22年4月28日  真石 博之

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