羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2015年01月31日 | 相撲協会への提案
雲龍型・不知火型という誤用をやめ、新しい呼称を提案(羽黒蛇)






横浜図書館の相撲文庫で一番古い新聞の文献は、大正4年万朝報。

春場所は、横綱太刀山全休で。大関鳳が全勝優勝、場所後横綱に昇進。

夏場所は、太刀山全勝優勝、鳳は栃木山と大錦に負けて途中休場、小結大錦は太刀山に負けただけの9勝1敗。






万朝報より:鳳土俵入りの型

鳳の横綱免許は両三日中吉田司家より藩主細川侯に奉呈し同侯より鳳に授与さるる由なるが、土俵入りの型につき種々協議せる所、故不知火は丈六尺二寸程の大男なりしも色白く肉付き豊かにて鳳に酷似せる由にて、同力士の型に倣うてはとの説出てほぼそれに決したりと。






大正4年の新聞記事は、鳳の土俵入りは不知火型。

現在では、鳳の土俵入りは雲龍型。

大正4年の現役横綱太刀山の土俵入りは、現在は不知火型。

これは、羽黒山が土俵入りを、太刀山と同じ型にした時、彦山光三が不知火型と誤って表したからというのが定説。






相撲協会は、雲龍型・不知火型の呼称を使うのをやめて、梅ケ谷型・太刀山型に変更すべき。誤りの呼称を使い続けるのは、歴史を軽視することだから。

現在の不知火型を完成させたのは太刀山と明確だが、現在の雲龍型を完成させたのはどの横綱か明確ではないとされる。

そこで、代案として、双葉山型・羽黒山型という呼称を提案する。土俵入りの型を完成させた横綱ではないが、いずれも大横綱で同時期に活躍し、二つの土俵入りを見せたのだから。






羽黒蛇

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2015年01月31日 | 相撲協会への提案
相撲ルールの変更案(羽黒蛇)










一つ前のブログ記事「相撲をとっている力士が、みんな白鵬のように感じているのだとしたら、勝負のルールを変えた方がよいのではと私は感じた。白鵬以外の力士の本音をききたい。」に補足します。










例えば、白鵬と稀勢の里の一番。



ただ今の協議について説明します。行司軍配は白鵬に上がりましたが、稀勢の里の足が出る前に、白鵬の足の甲が土俵についているのではないかと物言いがつきました。ビデオ室に確認のところ、白鵬の足の甲が先についておりました。しかし、相撲は白鵬が一方的に攻めており、協議の結果白鵬の勝ちとします。










例えば、戸田と大鵬の一番。



ただ今の協議について説明します。行司軍配は大鵬に上がりましたが、大鵬の足が出る前に、戸田の足が土俵を出ていないのではないかと物言いがつきました。戸田の足が先に出ていることは確認できましたが、相撲は戸田が一方的に攻めており、協議の結果軍配差し違えで戸田の勝ちとします。










私は足が先に出ていた戸田の勝ちにすべきであると主張しているわけではない。白鵬が稀勢の里との一番で感じた「圧倒的に自分が有利」を無理やりルールに反映すると、このような協議結果になるという仮説である。



このルールを採用すると、審判の主観が入り、分かりにくく、明文化が難しい。










近世日本相撲史(第一巻)によると、昔の相撲は、勇み足は負けにならなかった。現本が手元にないので、正確な引用はおって。



彦山光三著「相撲読本」134頁より引用。



「昔は勇み足は負けにならなかったのであるが、今日はこれも負けとされている。したがって、せっかく相撲に勝っても勝負には負けたということになる。」この本は、昭和27年の本。










白鵬の審判発言を聞いて、私がまず思い出したのは、これらの文献。白鵬が、「相撲に勝った力士を、勝負も勝ちにすべき」と主張したのだと理解した。もしルールが「相撲の勝ちが、勝負の勝ち。足が出た、手がついた、足の甲がついたは攻めていれば負けにしない。」であるなら、白鵬の言う通り、「子供が見ても」稀勢の里の負けで、物言いのつく相撲ではない。










一力士の主張するルールに変えるのがよいとは主張しないが、新しいルールを作るのではなく、昔のルールに戻るのだとしたら一考に値する。



相撲ファンの立場からは、面白い相撲が増えるルール変更なら賛成。










羽黒蛇