武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

055. グアダルーペへの旅 -Guadalupe/Trujillo-

2018-11-17 | 旅日記

 今年の日本での個展は例年より遅い時期だ。
 帰国まで少し隙間ができたので旅をすることにした。
 ロンドンかマドリッドなど、どこか美術館にでも行ってみたいところだが、どこもここもテロが頻発しているし、治安も悪化していて、なかなか腰が上らない。

 ポルトガルの国境からも近い、スペインのグアダルーペにエル・グレコがあるというのでそれを観に行く事にした。ゴヤとスルバランそれにミケランジェロもあるらしい。グアダルーペならクルマで簡単に行ける。ポルトガルは良い季節、往き帰りで野草の花盛りも楽しめるだろう。

 ということで、3泊分の着替えを詰めて、我が家を朝9時に出発した。
 アライオロスのあたりでアンタ(古墳)の標識を見つけたので休憩代わりに寄っていくことにしたが、あいにく見つからなかった。でも田舎道の牧場脇には珍しい野草がいろいろ咲いていて、一つ一つ見ているとなかなか前へ進まない。
 ボルバでアレンテージョの煮込み料理のセルフサービスで簡単に昼食。
 花を見ている時間が長かったので、予定より1時間遅れで国境を通過。国境といっても [ESPAÑA] という看板が一つあるだけで何もないが…。

 スペインに入って早速ガソリンを満タンに…。ガソリンに関してはスペインはポルトガルよりかなり安い。
 バダホスでうっかり道を間違えて街中に入ってしまう。
 丁度シエスタ(昼寝)前のラッシュ時で、本来は外環の高速道路を通れば、もっと早くバダホスを抜けることができた筈だ。スペインのこのあたりの高速道路は無料だから出入りが自由で助かる。

 メリダも過ぎて、きょうの目的地トルヒーリョに到着したのが、まだ15時にはなっていなかった。ポルトガル時間なら14時。1時間の時差がある。
 宿を決めツーリスモで地図を貰う。

 
 部屋はマヨール広場に面していて、この街の象徴である、紋章のある建物が真正面にある。

1.部屋から見るマヨール広場

 屋根にはコウノトリが巣を架けている。ピサロの騎馬像も左手に見える。

2.フランシスコ・ピサロの騎馬像

 フランシスコ・ピサロ (1471/78-1541.6.26) は南米・ペルーを征服したスペインの英雄だ。
 宿の背後には重厚なムーアの城が聳えている。そのムーア人をレコンキスタ(国土奪還戦争)で追い払った勢いを駆って南米大陸に財宝を求めたのがフランシスコ・ピサロだ。その財宝によりトルヒーリョのマヨール広場には豪勢な邸宅が作られた。

3.モーロ城から望むマヨール広場

 僕たちが泊ったのも15世紀に建てられたラ・カデーナ邸という貴族の邸宅で遺産建造物に指定されている。内部は使い易く現代風にリメイクされていて、部屋は小さく区切られているのだろうと思うが、天井は高い。

 ピサロはスペインに富をもたらした英雄でも、南米のインカ文明を破壊し、キリスト教に改宗させた人物なので、僕の個人的な感情としては、同じモンゴロイドとしてあまり面白くはないし、それ程見たくはないのだが、一応、向学のため 『ピサロ博物館』 を観ることにした。ピサロの父、ゴンサーロ・ピサロの館だった建物で、その頃の生活の様子と2階には南米に趣く変遷と殺害されるまでが時代順に展示されている。

 当時のインカ帝国には既に高度な文明が営まれていた。
 彼らの言い伝えには不幸にも「天上から白い神が現れる」というものがあったのだ。白人であるスペインからの侵略者を神だと讃えたのだ。インカ帝国の人々にとってキリスト教への改宗はいとも簡単に行なわれたのは言うまでもない。フランシスコ・ピサロには運も味方したのだろう。南米大陸には豊富な金鉱脈と銀鉱山そして宝石の原石が眠っていた。その金、銀、宝石は本国のスペインへ、そしてフランスへヨーロッパ各国へと流れて行った。16~18世紀のヨーロッパの華麗な宮廷文化は南米の財宝によって花開いたのだ。
 モーロの城壁の上には何とも可愛いピンクの花がびっしりと咲いている。

4.城壁の上に咲く可憐な野草

 スペイン人の団体観光客が多い。殆どが女性だ。おばさんばかり、何をこの城壁の上、大声でお喋りをすることがあるのだろうか?ことのほか騒々しい。

5.野生のラベンダー(Rosmaninho)が花盛り

 マヨール広場でビールを飲む。セトゥーバルのボカージュ広場で飲む2倍程の値段だ。昼に食べたポルトガルの煮込み料理が案外腹持ちが良くお腹が空かないので、ホテルのバーでワインと3種類(ムール貝のサラダ、芋サラダ、アンチョビの酢漬け)のタパス(つまみ)だけで夕食にする。バーに続々と人が集まってきて、まるで集会所の様な騒ぎだ。ワインも1本空けたし、部屋に退散しようとしたら、その階段のところでプロのカメラマンが撮影をしていた。作家だろうか?そんな雰囲気の人が難しい顔をしてポーズをとらされていた。

 由緒のある建物を改装した宿で経済的な価格にも拘わらず、その夜の宿泊客は僕たち2人だけであった。部屋の窓の上にはラス・カデナス家のものだろう。石の紋章が施されている。



6.部屋の窓の上の紋章

 次の日は朝1番にサンタ・マリア・マヨール教会の祭壇画を見る。

7.サンタ・マリア・マヨール教会の祭壇画

 10時の筈の開場を待ったが、ようやく開いたのは10時15分。スペイン時間なのかも知れない。切符売りの女性が「この券で鐘楼まで登れます。」と言うのでついつい登ってしまったが、鳩の糞がいっぱいで、鳥インフルの心配をした程だ。お蔭で普段運動不足の足がガクガクになった。

8.サンタ・マリア・マヨール教会鐘楼から望むムーア城

 マヨール広場に面したサン・マルタン教会にも入った。トルヒーリョはどこもかしこも少しづつだが、入場料がいる。
 昨日はアマゾン川を探検したホアン・ピサロ・デ・オレリャナの屋敷を見学しようと出かけた。
 入口のところで2人の子供が手芸小物を売っている。初めはジプシーの子供かなと思っていた。その子供たちが「そこのベルを押せば中に入れますよ」と言うのでベルを押した。中から老修道女が出てきて「どうぞ中に入ってご覧下さい」と言う。ここでは入場料はいらない。でも見るものはパティオ(中庭)だけで他には何もない。
 今、この場所は学校として使われていて、2階では授業が行なわれている。老修道女はトルヒーリョのガイドブックを持ってきて「7ユーロですが、できたら買って下さい」と言う。別に欲しくはなかったが、入場料代わりに何となく買わされてしまった格好だ。入口の子供が売っている小物はアフリカの子供たち支援の手作り小物だ。ジプシーではなく敬虔なカトリック教徒の子供たちだったのだ。

9.サンタ・マリア・マヨール教会のステンドグラス

 狭い路地に駐車していた僕たちのクルマにコウノトリだろうか?大きな糞がべっとりとついている。
 いよいよ今日は山道を抜けてグアダルーペへ向かう。と覚悟していたら、案外真っ直ぐで立派な道であった。途中、野生のラベンダーが見事に群生していた。
 グアダルーペの少し手前の村でサンドイッチとノンアルコールビールで遅い昼食。そのサンドイッチがボリューム満点。

 グアダルーペでは修道院の中にあるグレコ、ゴヤ、スルバランそしてミケランジェロを観るのだ。
 その修道院の宿坊をホテルにしたという宿に泊まった。
 着いたのが2時半。3時半からガイドつきの見学が始まる。
 少し町を散策して、部屋に戻り休憩してから見学に臨んだ。

10.修道院宿坊入口の看板

11.修道院回廊中庭のムハデル・ゴシック様式の聖堂

12.修道院の宿坊


 部屋は広く昨夜よりも更に天井が高く豪華であったが、何となくアンバランスなところが可笑しい。壁に架かった額縁はどれも印刷物だが、それもアンバランスだ。でも1枚は何とシスレーの油彩複製画で、昨年訪れた、モレ・シュル・ロアンの風景だ。

 

13.額にはシスレーのモレ・シュル・ロアン

 

14.宿泊した修道院の部屋入口

 

15.修道院宿坊の部屋。グアダルーペのマリア像がベッドの上に


 3時半に入口に行くと大勢の見学者でごった返していた。

 入場券を買ってからも長いこと待たされた。やがてガイドが現れて入場したのが4時。
 羊皮紙に描かれた聖歌の楽譜。豪華絢爛な聖職者が纏う真珠や宝石をちりばめたマント。部屋部屋の天井には絵や模様が施され、壁や床も色とりどりの大理石で敷かれている。

 グレコは思っていたよりも意外と小さくて20号くらいだったろうか?一見してすぐにわかるいかにもグレコらしいキリスト図と、20号Mくらいの縦絵の聖人図が2点、これは珍しい絵で写真を撮りたかったが撮影禁止。せめて帰りに絵葉書でもと思ったのだがあいにく売り切れ。
 ゴヤは例の黒シリーズの6号くらいの小さな習作が1点だけ。ミケランジェロの作とされるキリスト磔刑の像も小さなものであったが、さすがミケランジェロならではの躍動感溢れた彫刻であった。スルバランは大作のシリーズで見事なものであったが、ガイド付きなのであまりゆっくりは観る事ができない。それに修道院内の教会の仰ぎ見るところに架けられていて少し光って観づらい。元々この宗教画はこの場所に設置されるために描かれたものであろうから、美術館で目の高さで観るよりもこれが本来の観かたなのかも知れない。

16.グアダルーペの下町には植木鉢がいっぱい

17.グアダルーペ修道院正面

18.サンタ・マリア・デ・グアダルーペ広場


 最後に背広姿のガイドは僧服の神父さんに交代して、お説教の様なものが始まった。そして神父の言葉に続いて皆でなにやら唱えるのだ。それも「待ってました!」と言わんばかりに…。
 このガイド付き見学に参加している5~60人のうち、我々も含めてドイツやイギリスなど、外国からの観光客も少しは居るが、大半はスペインの巡礼者だったのだ。観光と巡礼を兼ねてスペイン各地から訪れているのであろう。神父は厳かに扉を開けた。そしてスポットライトのスイッチを入れた。そこにはグアダルーペの聖母像が祀られていた。

 巡礼者は順番に聖母像のマントに付いた銀盆の様なものに接吻をするのだ。我々はその儀式は遠慮した。

19.宿坊中庭の壁にグアダルーペ聖母像を模したセラミック

 グアダルーペの聖母像は1300年の頃、一人の羊飼いがグアダルーペの川のほとりで木彫りの聖母像を見つけた。1340年、この聖母像に加護を祈願した直後にモーロ人を破ることができたアフォンソ11世はここに壮大な修道院を築いた。その後、この修道院は聖母マリア崇拝の中心地となり、コロンブスが新大陸からインディオたちをここに連れてきて、最初のキリスト教徒に改宗させたという。

20.修道院レストラン内部

 夕食は開店の9時まで待って修道院ホテルのレストランで定食を食べた。前菜、パン、ワイン、スープ、主菜、デザートとたっぷりだ。毎夜の9時からこんな夕食を取っていたら僕ならすぐに病気になってしまう。

21.Sopa Castellana(ニンニク、卵、パンのスープ)

22.Codorinices Estofada(ウズラの煮込み)

23.Conejo al Romero(ウサギの煮込み)

 修道院レストランの定食(この他にワイン1本とパン前菜(生チーズ)も付く)

24.Helado(アイスクリーム)

25.Flan(プリン)

 帰りもポルトガルの国境の手前でガソリンを満タンにする。
 国境を越える時、猛烈な雨がクルマに叩きつけた。
 ポルトガルでクルマを買って7年になるが、こんな激しい雨は初めてである。ワイパーが外れそうになって、2度、路肩にクルマを停車させた。この猛烈な雨のお蔭でフロントガラスに付いた虫の痕や屋根のコウノトリの糞が綺麗に落ち、まるで洗車機を通した様なピカピカのクルマになって帰ることができた。
 ポルトガルはスペインに比べるとガソリンもかなり高いし、高速道路も有料になる。高速から下りて、一般の田舎道に入った。やはりポルトガルに入ったというだけでなぜかほっとする。5分も走ると、道路は全く濡れていない。
 あの時の国境地点での集中豪雨。あれはいったい何だったのだろう?
 なくなってしまった国境地点を再確認させる雨の様でもあった。
VIT

 

 

(この文は2007年5月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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