2006/11/09(木)晴れ/Fontainebleau - Paris - Pontoise – Paris
フォンテーヌブローに3泊もしていながら、宮殿内部を観ないのもなんなので朝1番、開館を待って観ることにした。オフシーズンのせいか開館と同時に入場したのは4人だけ。その内3人は僕たちを含めて日本人だ。駆け足で観た。やたら係員ばかりだ。
配置につかないでコーヒーの自動販売機の部屋に寄り集まってコーヒーを飲みながらだべっている。ここでもお役人が遊んでいる。
パリのいつものホテルは今回は予約が遅かったのか、2週間も前に既に満室。
インターネットで見つけた初めてのホテルに予約を取っておいた。同じルクサンブール地区で、佐伯祐三が定宿にしていた3星ホテル「グラン・ゾンム」の丁度裏手くらいの位置だ。
荷物だけ預けてポントワーズに行くつもりが、部屋に通してくれた。部屋の窓から教会のドーム屋根が見える。一瞬パンテオンかなと思ったが方角が違う。パリにはドーム屋根の建物が意外と多い。
荷物を降ろしてポントワーズに向かう。
以前ならサン・ラザール駅からしか行けなかったが、その後、北駅からも行ける様になったし、今ではRERでも行くことができるから便利になった。でも時間はたっぷり1時間かかった。
目ざすはピサロ美術館だがあてずっぽうに歩く。途中地元の婦人に道を尋ねたがわからなかった。カフェに入って親爺に尋ねたら教えてくれたが、別の美術館だった。その美術館の受付で「ピサロ美術館」への道を教えてもらう。
地図を描いてくれた上にわざわざ外まで出て「あの駐車場を横切ってどうのこうの……」と親切だ。ヒステリックで神経質なフランス人もパリから一歩離れると暖かくて親切な国民なのだ。
駅に着く時に電車の窓から仰ぎ見て丘の上の一番めだつ建物が目ざす「ピサロ美術館」であった。
24.ピサロ美術館
2階が展示場でピサロの他、ドービニーの古い珍しい絵なども飾られていた。
25.ピサロ美術館展示室
カタログが30ユーロと高かったし、フランス語とドイツ語対訳のものしかなかったが珍しい作品が多く載っていたので思い切って買う。
係りの人も高いと思っているのか、ウインクと共にピサロの絵葉書を1枚おまけしてくれた。
26.ポントワーズのセーヌ川風景
さきほど道を教えてくれた美術館に戻り入場する。
世界中から集められた1950年代から1970年代の抽象画で、定規で引いた直線やコンパスの円を使った目の錯覚を楽しむ様な、何というジャンルか知らないが、そればかりを集めた展覧会であった。モンドリアンの流れと言えるのだろうか、その時代日本ではオノサトトシノブがそのスタイルをやっていた。
古い重厚な城館の美術館でモダンさと重厚さがマッチして良い展覧会であった。
帰りもRERに乗り、アンヴァリッドで降り、アレクサンドル3世橋を歩きグラン・パレに入る。
27.アレクサンドル3世橋の欄干とグラン・パレの夜景
久しぶり、約10年ぶりくらいか、ル・サロンがグラン・パレでの開催になる。永い修復工事であった。
28.ル・サロン2006の僕の作品「ボカージュ広場」100号。
2006/11/10(金)晴れ/Paris - Mantes la Jolie
荷物を半分ホテルに預かってもらって、一晩だけの荷物を持ってマント・ラ・ジョリに向かう。佐伯祐三が描いたノートル・ダムを見るのだ。
先ずはサン・ラザール駅。ルクサンブールのホテルの前からサン・ラザール駅行きのバスがあるのでそれに乗る。乗換えがないのでパリもバスを使いこなすと便利だ。でも時間はかかる。
昨年はルーアンに行くのに最初の停車駅がマント・ラ・ジョリであったから30分程であったのに、きょうは各駅停車なので1時間もかかった。
列車の中からノートル・ダムが見えたので降りてからそちらの方角に歩き出す。今回の旅ではいつもにも増して良く歩く。普段の運動不足解消に歩くのは良い事だが、先日から足の裏にマメができて少々痛い。
駅前にも1軒ホテルがあったが、街の中心のほうが良い。それに営業しているかどうかも怪しい佇まいだ。
案の定、街の中心にもホテルがあった。値段表をみるとパリの半額だ。あまり安すぎるので他も見てみるほうが良さそうだと思い、ノートル・ダムまで歩く。
29.佐伯祐三が描いたマント・ラ・ジョリのノートル・ダム
ノートル・ダムは思ったより立派で壮大だ。仰ぎ見るような角度になり、佐伯祐三がどこから描いたのか検討がつかない。80年前にはノートル・ダムの前の建物はなかったのであろうか。今ではあの絵の様には描く事が出来ないように思われる。
30.ノートル・ダムのバラ窓のステンドグラス
ノートル・ダムの近くにピザ屋の上がホテルになっている看板を見つけたので聞いてみたがホテルはやっていないという。
もう少し街の中心で下がバーになっていて、上がホテルで外観は割合立派な建物なので聞いてみると、女将は「ハイ、シャワートイレテレビ付き、ハイこれが部屋の鍵、これが外の鍵、ハイ40ユーロ、ハイこれが領収書、階段を上って16号室ハイハイハイ」てな感じで40ユーロを前金でふんだくられる。
店がちょうど男たちで込み合っていて、バーが忙しいのだ。でもホテル代はパリに比べると半額だ。部屋に上がってみると確かにシャワーもトイレも付いているが、トイレにドアがなく、カーテンで仕切ってあるだけだ。でももう料金も払ってしまったし、今夜は辛抱するしかない。まあ部屋は清潔だし、広いし、センスもそれほど悪くはないし、広場に面して眺めもまあまあ、暖房も効いている。
31.マント・ラ・ジョリで泊ったホテル
セーヌ川まで歩きノートル・ダムを横から後ろから見る。ノートル・ダムの隣、セーヌ河畔のところに明るいガラス張りのテラスのある一見しゃれたレストランがある。入口のところに黒板にチョークのなぐり書きで本日のメニュが張られている。今までもパリでより、むしろ田舎町で洒落たフランス料理を楽しめることが多かった。ここでは時間もたっぷりあるし、期待して入ったのだが、入ってみると、一見に反してぐっと大衆的なブラッセリであった。
前菜はゆで卵のツナ和え、メインは豚のノルマンディ・ソース煮こみ、芋も3種類からチョイス。盛り付けはフランス料理というより、むしろポルトガル的で大雑把でダイナミックだ。
32.豚のノルマンディ・ソース煮こみとポンフリ
デザートは栗の季節だから「モンブラン」。これが変。これでもモンブラン?という感じ。でもヴァン・メゾン(ハウスワイン)も含めて味はなかなかのものだった。
33.セーヌの流れとマント・ラ・ジョリのノートル・ダム。
ノートル・ダムの内部では大掛りな舞台が設置され、PAの準備で男たちが忙しそうにしていた。丁度今夜9時からブルースのコンサートがあるというのだ。黒人の女性シンガーで<Lea Gilmore>という。
ノートル・ダムでのブルースコンサートなどめったにお目にかかれないことなので絶対に見てみたかったが、前売り券を買おうとインフォメーションを探したが見あたらず、もちろん、開演時間に直接入場券を買って入ることもできたが、それに少し疲れているし、夜9時からは無理かなと思い諦める。
最近は早寝早起きで夜がめっぽう駄目になっている。
隣の美術館を観る。
1階は発掘品などの展示、2階では <Sabine Weiss> という写真家の展覧会。
ストラビンスキィやレナード・バーンスタインなど一流の音楽家の写真をたくさん撮っていて、カタログやレコードジャケットにも使われている有名な写真家なのだろう。
その中にアマリア・ロドリゲスも混ざっていた。
一流の音楽家とは対照的に無名のストリートミュージシャンを捉えた面白い写真も多く撮っていて、この展覧会はそれらが主体をなしていた。
3階では <Maximilien Luce> という、ナビ派からフォーヴィズムのスタイルで、20世紀初頭の地元出身画家の展覧会。
2006/11/11(土)雨のち曇り時々晴れ/Mantes la Jorie – Paris
夜中、ホテルの前の広場で物音がして早くから目が醒める。
駐車場にクルマが1台もなくなっている、と思っていたら、案の定、朝市が出る。 でも雨模様。市の準備をするのに雨に濡れて大変そう。出かける頃には雨もあがる。
34.マント・ラ・ジョリ駅。
35.MANTES LA JOLIE は工事中?
帰りの列車はノルマンディから来たのだろう。各駅停車ではなくて30分でサン・ラザール駅に到着。
36.モネも描いたサン・ラザール駅構内
ホテルに荷物を降ろし、オルセー美術館まで歩く。
これはメトロかバスに乗るべきであった。どうやら足の裏のマメが潰れてしまっているようだ。
本来はスニーカーで旅をするつもりだったのだが、直前になって、出発当日からヨーロッパの空港のセキュリティー検査が厳しくなるとのニュースがあったので、スニーカーは止めて革靴にしたのだ。以前にも検査の時にスニーカーの人だけは脱がされていたのを見ていたからだ。スニーカーならマメは出来ていなかった筈だ。
機内誌の情報ではオルセーの特別展でセザンヌを催っているとあって楽しみにしていたのだが、着いてみるとセザンヌ展の文字などどこにもなく「モーリス・ドニ展」を催っていた。
これも甲乙つけがたく観たかった貴重な展覧会だ。
元々、オルセーに所蔵している作品に加えて、エルミタージュやプーシキン、ウェラー・ミューラー美術館、さらにはフランスやアメリカから個人所蔵の作品などたくさん集められている。
ドニもこうして全体を観るとモティーフにこだわりがあり、色も凝っていてなかなか良い。すっかり見直してしまったし、好きになってしまった。
今回の旅ではバルビゾン派、印象派、さらには黒田清輝、佐伯祐三などを中心に歩いたが、ドニを観て一昨年のサン・ジェルマン・アン・レーのプリウレ美術館と、それ以前のポンタヴァン派、ナビ派、アールヌーボーの旅にプレイバックして興味が倍増した思いがある。
もちろん常設展ではピサロ、シスレーさらにはミレー、ドービニー、コロー、ディアズ、テオドール・ルソーなどを観ないわけにはいかない。でもやはりオルセーの展示は来るたびに違う。
いつも入れ替えがあり、今回ではバルビゾン派の作品が少なかったように思う。
ミレーの「グレヴィルの教会」がない。
いつもあるところにアンリ・ルソーもないし、セザンヌの「トランプをする人々」もない。
だいいちオルセーの代表作品アングルの「泉」もなかった。
もしかしたらエルミタージュあたりと「モーリス・ドニ」の交換で貸し出されている作品が多いのかもしれない。
お蔭で僕としては、普段は倉庫に仕舞われている、珍しい作品を観る事ができる。今回はゴーガンとポンタヴァン派の絵が多かった。
37.ゴッホの「オーベールの教会」を携帯で撮影する人。
38.オルセーのモネの部屋は観覧者でいっぱい。そのベンチで寝る少女。
クールベの「女陰」の絵が展示されていて驚いた。まさに写実派の極致で、観覧者はまともに観ることができないで目を背けている。この絵の存在は以前から画集で観て、知ってはいたが、実物を観るのは初めてだ。個人コレクションの筈であったから、この程、オルセーの所蔵に加わったのかも知れない。クールベはやはり変わった人物だ。
以前にファーブル美術館で観た「ボンジュール、ムッシュ、クールベ」のタイトルにしろ、このオルセーにある巨大すぎる「オルナンの埋葬」や「画家のアトリエ」を目の当たりにして、クールベを理解するに一筋縄ではいかない様な気がする。
39.オルセーのクールベ「画家のアトリエ」
2006/11/12(日)晴れ/Paris - Lisboa – Setubal
ポルトガルに戻る日だが、飛行機は夜の8時発なのでまる1日有効に使える。
ルクサンブール宮殿美術館で「テイッチアーノ展」を催っていたが、それはあきらめて予定通りルーブルに行く事にする。
40.ルクサンブール宮殿美術館の「ティッチアーノ展」入口。
ホテルをチェック・アウトした後、荷物を預かってもらい、ホテルから歩いて5分、ムフタール通りの朝市を見学。
セップが49ユーロする。
そう言えばフォンテーヌブローのマルシェではゴボウが売られていたので驚いたし、買って帰りたかったが、考えてみるとフラマン派の絵でゴボウらしき物が描かれているのを観たことがあるので、ヨーロッパにもあることはあるのだろう。
41.ムフタール通りの朝市。
ムフタール通り近くのメトロ<Censier-Daubenton>から乗ればルーブルに乗換えなしで行ける。
ルーブルでも常設展とは別料金で「レンブラントのデッサン展」を催っていたので、そのチケットも一緒に買い、先ずは「レンブラント」から観ることにする。
日曜日のせいか見学者が多い。
油彩とは違い、デッサンはむしろ東洋的な墨絵の雰囲気も感じる。
特に風景画は水墨画の趣だ。
僕も鉛筆だけではなく、墨でスケッチをしてみたいと思って、数年前、墨と硯を日本から持ってきているのだが、まだ一度も使っていない。
それに「ウイリアム・ホガース(1667-1764)」の展覧会がドッキングされている。
少々エロティックな部分があったり、風刺的なモティーフが描かれているのであろう。観覧者たちはフランス語で書かれたその解説を熱心に読んでいた。
常設展では先日訪れたバルビゾン派とフォンテーヌブロー派それにシャルダンなどのフランス絵画を中心に観る。
42.16世紀後期。
43.フォンテーヌブロー派。
44.ルーブル美術館展示作品。
ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」はまだルーブルに戻ってきていなかった。ストラスブールから更に別の都市を巡回しているのかも知れない。
それにジェリコーの「メデュース号の筏」も今回はなかった。どこかに貸し出されているのであろうか?
とにかくルーブルにしろオルセーにしろ展示品はいつも目まぐるしく入れ替わっている。
きょうはゆっくり1日かけてルーブルを堪能することが出来た。
ホテルに荷物を取りに戻り、RERでド・ゴール空港へ。
今回の旅はパリ周辺だけなのでゆっくりだろう。と思っていたが、結構慌しくやはり強行軍になってしまった。
当初、懸念されていた、パリ郊外の暴動もなかったし、かなり寒かったとは言え、傘を一度も開く事もなかった。
お蔭で充実して良い絵をたくさん観ることが出来た収穫の多い旅であった。
45.今回の旅で買った絵葉書とカタログ、左上は絵葉書類、上中「ピサロ美術館」「レンブラント・デッサン展」「ル・サロン・カタログ」「モーリス・ドニ展」右下「ウイリアム・ホガース展」
VIT
(この文は2006年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)