M馬日記(元、日曜レーサー)

塩噴きじいさんの独り言
※2011年11月をもって一時停止
 (再開未定)

2017/11/19・日:逡巡

2017年11月19日 | Weblog
 南向きのベランダの窓から差し込む陽射しは青空から真っ直ぐに
光の筋をみせながらリビングに進入し、テーブルに反射してテレビ
画面に写る司会者の顔を白くしていた。テレビの正面にあるソファー
に座ってはいるが別にこの情報番組を見たいというわけでもない。
起きて過ぐに今日の新聞は右からと左からの2回見てしまった。

この白い筋を消すにはどうしたらいいのか? どちらのカーテンを
閉めるといいんだろう?全部閉めると真っ暗になってしまうから最低限
の長さにしたいがそれは引っ越してきた日から吊るされている白いレース
のほうで事足りるのだろうか。それとも買い換えた分厚い遮光カーテン
のほうがいいのだろうか。いや、両方とも閉めたほうがいいのか。

頭の中でシミュレーションしてみるけど脳内モニタには何も画像が
浮かばない。やっぱり動かないと結果はわからないということなのだろう。

白いレースのカーテン。
光の道を逆にたどりながらゆっくりと左側を引っ張るが全部引っ張り
出しても光の筋には届かない。右側を引っ張ってみる。光の筋が薄く
なったのは左側とくっついた長さだった。だから左を開いてみる。
するとテレビ画面にわずかながら白い筋が現れた。テレビなんて実は
どうでもいいのだが仕方ないから白いレースを全部閉めた。

画面はずいぶんましになった。
だから番組をながめてみる。横綱の暴力事件。紅白出場歌手の発表。
どうでもいい話だけど、これが商売になる人たちが世の中にはいるし、
それはもちろん興味がある人たちがたくさんいるからニュースになる。

でもそれがどうしたというのだろうか。

空間を切って畳んでそれをまた切って畳んで小さく折りたたんで手の
ひらにのるくらいにするにはあと何回繰り返せばいいのだろうか。
もう白い筋はこの部屋には存在しないようで試しにカーテンを開けて
みても見えるのは真っ青な空だけだった。


 そういえばコーヒー豆がなくなっていた。

「そういえば」ではなく、無い、ことは昨日の朝わかっていたから今日
あらためて「そういえば」という言葉を使うのは正解ではない、ではなく、
正確ではない。画面をみながらそのことを考えていたのだけど自分の中で
整理して表層に『文字として』「そういえばコーヒー豆がなくなっていた」
と浮かびあがらせなければそれはそのままの『状況』としてのみ再認識
されてそこで固まる前にその軽さで霧散してしまうだろう。

だから『文章』にしてテレビ画面に目視できるようにしないといけない。
1回目はダメだった。こんな簡単なことすらも難しいのだ。でも本当に
簡単なのだろうか・・。

3回目でやっと、

 そういえばコーヒー豆がなくなっていた。

ということが理解できた。


クラフトのアンダーにつなぎのジャージを着てビンディングシューズを
履いてちゃんとヘルメットをつける。

隣町の焙煎屋まで15分。


茶髪のショートボブ。
クリッとした目が笑顔で三日月になるのがとてもかわいい20代前半くらい
の初めてみる女の子が「私もロードにのっているんですよ。」と豆を用意
しながら話しかけてきた。「どこに止めているんですか?」「私はアンカー
なんですよね。でも、ラファのジャージってやっぱりいいですね。」

「アンカーなんだ。じゃあ、ちゃんとのっている人なんだね。」

そう言うと、三日月が更に細くなった。

「ありがとうございました。」



ビニール袋に入った豆を手首に通して走り始める。

そういえばクランクは 167.5 なんだろうか?
それでも長すぎるだろうな。 

いい先輩か、おじさんがいればいいんだけどな。






コメント
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