はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(314)    GS時代(5)  横須賀「EMクラブ」(2)

2014-03-23 10:21:29 | 日記



EMクラブの続編であります


(ネットで見つけたその当時のEMクラブの写真)








現在のEMクラブの後に建てられた横須賀芸術劇場








JR横須賀駅に下車してEMクラブがあった京急汐入方面に
向かって歩いて行くと、すぐ古い昭和の食堂「旭野食堂」さんがある
調べてみたら昭和28年(1953年)に撮影した写真に
そのままの姿が確認できる

4年ぐらい前にこのあたりを歩いた時はまだ営業していたが
写真を見ても分かるようにビル屋上の看板が
一部欠損している
現在では廃業してしまったようである






このはげまるブログで横須賀駅を書いた時には
まだビル上に設置されている「旭野食堂」の看板が残っていた







あ~ 今度来たら一度店に入ってみるか~
なんて思っていたのに残念無念である

おね~さん関係と同様
思い立ったが吉日、
即、行動に移さなくてはダメなのである
おね~さん関係の場合は特にであり
失敗したり、いろいろ後でゴタゴタしても
いいのではないかいの

行動しなくて後悔するよりははるかにいい

これからの残りの人生を
 
   ダメもと

をはげまるの金科玉条として生きることにする





食べ物のレプリカがなんか哀愁をおびて
もの悲しいなぁ







はい
ど~んとそびえ立つ横須賀芸術劇場







前に散策した時に気になっていた戦前からあると思われる
渋い商店と土蔵が歩道橋からはっきりと見える






ネットからの写真
多分戦前の頃の写真と思われる







これもネットで見つけた写真
日の丸の旗が振られているので戦前の日本の兵隊さんが
行進している写真みたいである
写真の上のあたりがギザギザになっているが
これは軍港の基地の中を見せない為にしたと推測される



ここでEMクラブのまとめを書いてみる事にする


EMクラブの建物は
日本軍下士官クラブとして1938年に完成
1945年敗戦で米軍に接収された
1983年EMクラブ立ち入り禁止
1990年8月解体工事始まる


川崎 洋さん著書「EMクラブ物語」には
日本軍下士官クラブの頃からの詳しい事も書いてあり
ホント素晴らしいの一言である


川崎 洋さんは米海軍横須賀基地に9年間勤務していて
EMクラブにはよく出入りしていたそうである





ここからは前回に軽く書いた記事の続編であります

みなはん
驚かないでちょうだいね
実は、はげまるが10代の後半にこの
のディスコでベースと歌で2度ほど演奏している
まだベトナム戦争が激しい時代の話しである

一度なんかは
舞台の下の左側は黒人の兵隊さんばかり
右側は白人の兵隊さんばかりが両側に陣取り
ホールの真ん中はガラ空き状態
誰ひとりとして踊らないのである

今考えてみると女性達の姿が全然見あたらない
日本人女性を調達出来なかった兵隊さんばかりが
ディスコに大集合している感じであった

皆さん戦争中のひとときの休暇に
男同士でディスコダンス踊るか~
バラード曲を男同士で抱き合って踊るか~
みなさん血走った顔をしていた感じであった

したがって白人系の曲を演奏すると
右側の白人の兵隊さん達から大喝采
黒人系の曲を演奏すると
左側の黒人の兵隊さん達から大喝采

たまに真ん中あたりまで出てきて相手側に向かって
喧嘩腰で大きな声で怒鳴ったりしていた
もちろん英語でね

はげまるはこの当時、
ジェームスブラウンの曲を何曲が歌っていたので
黒人の兵隊さんに大受けした記憶が
鮮明に記憶に残っている

演奏中に黒人の兵隊さんが、
はげまるのステージの
周りに集まってきて囲まれながら
ジェイムスブラウンのメンズメンズワールドなんかを
を歌った時なんか、涙していた兵隊さんもいた
カタカナ英語で歌っているのになぁ

その時はげまるは黒人の兵隊さんから
マルボロとかチョコレートをもらったり
コーヒーなんかをタダで飲ませてくれた

コーヒーが薄めで飲みやすくて
とにかくうまかった思い出がある
まだアメリカンコーヒーなんて無かった時代である


次回のEMクラブは横須賀のカメラ仲間が撮った
EMクラブの中のお宝写真並びにドブ板付近の
貴重な写真を見せますね


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