孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

映画でうさ晴らしとは・・・

2018年12月02日 | 英語関連
大英帝国が世界中に進出して、悪事の限りを尽くして植民地を獲得し、「太陽の沈まない国」と呼ばれたことはよく知られているが、その英国と戦争ばかりやっていたおフランスも、英国に負けじと地球のあちこちを、むさぼるように植民地としてきた歴史がある。

今でも仏領ギアナとか、仏領ポリネシアなどと聞く事があるが、仏領とは文字通り、フランスの領土という意味である。天国に一番近い島と呼ばれて、物好きな男女は新婚旅行先に選んだりする、ニューカレドニアの正式国名は、フランス領ニューカレドニアである。

画家ゴーギャンが晩年移り住んだ島としても有名なタヒチは、南太平洋フランス領ポリネシアに属する島の一つである。

戦前の東南アジアは、現在のインドネシアはオランダの植民地、マレー半島半分は英領マラヤと呼ばれる英国の植民地、そしてベトナム・ラオス・カンボジアは、仏印と呼ばれた、おフランスの植民地であった。

どの欧米列強も、圧倒的な武力を背景に、現地人を牛馬のごとく使役して、搾取の限りを尽くして、自国に莫大な利益をもたらしていたのであった。

フランス本国がナチスドイツに攻撃され、その影響もあって日本軍は1940年に北部仏印へ、翌年南部仏印に進攻していき、結果的にフランスの植民地からの解放となったわけである。

 原住民は人間に非ず


当時、フランス人のピエール・ブールは、1936年から1939年まで英領マラヤにあるゴム園の監督者として働いていた。

1939年に第二次世界大戦は始まるとフランス領インドシナ(仏印)でフランス軍に徴兵されたようだが、その後の経歴はあやふやで、どうも脱走兵となってベトナムで投獄されたようである。

そのとき、牢屋で聞きかじった話を後に小説とし、それを題材にした映画が、クワイ川マーチのメロディーがお馴染みの「戦場にかける橋」(The Bridge on The River Kwai)である。

 実物のクワイ川鉄橋

ピエール・ブールの日本憎しの小説は、当時のハリウッドにとっても絶好の題材であり、
1957年に英・米合作映画として公開され、予定通り、第30回アカデミー賞作品賞を受賞したのだった。


 基本的に日本軍を悪者にしている

アカデミー賞は、よく政治的に利用される事があり、必ずしも映画の出来栄えによって選出されるとは限らないので、その点は承知しておいた方がいい。「アラビアのロレンス」などは、その典型である。ノーベル平和賞と同類の賞だと思えば良い。


調子に乗ったピエール・ブールは、日本憎しがまだおさまらず、1963年に新たな小説を書いた。それは、日本人(他有色人種)を猿に見立て、やがて猿が人間(白人)を支配するようになる未来小説仕立てであった。

この映画が日本で封切られた当時は、私は中学生だったが、猿のメーキャップが斬新であったのが大当たりして、大ヒットした記憶がある。

そこが自分たちが何年も前に飛び立った地球であることに気がついた、白人宇宙飛行士が砂浜にくずれ落ちるラストシーンが強烈だった。


  初回作品


この後、続編が何作も作られ、一体全部で何作あるのか分からないが、当時この初回作品が日本で大当たりしたことを知った、アメリカ人映画関係者は、「日本人は怒らないのか?」と驚いたとか・・・。

日本人は、とっても「ナイーブ」だ(幼稚だ)と言われる所以である。

ゴーン逮捕の経過を見るうえで、こういうフランス人もいるのだということを心得ていることも、ちょっと必要かもね。


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