孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

「砂の器」と、ぜんざい・・・

2018年12月30日 | 英語関連
旅先が決まると、下調べが始り、次第に具体的な訪問先や見たいもの、調べたいもの、食べたい名物、買いたい土産物などが決まってくる。

日程は天気にも拠る所が大きいため、ザックリと決めて、現地に着いたら臨機応変に対応することにしている。現地について入手した情報で大きく変更する事が多々ある。従って、私は団体旅行に向かない。

今週の金曜日に出発する「出雲:松江」の旅も、「やることリスト」をザックリと決めただけで、昨日あたりから細かな情報収集を始めたところだ。



出雲地方といわず、私はこれまで日本海側に行ったのは、10年ほど前の萩市が一度だけあるだけで、あの時も日本海は見たのだろうけど、記憶にはまったく無い。

今回、近くの空港と出雲空港の定期便が就航したのを好機に、一度出雲大社を訪れてみようと思い立ったのだった。



ありきたりだろうが、出雲大社を参拝して、出雲そばを食べて、松江で松江城を見て、堀川めぐりをして、のどくろや宍道湖の蜆を堪能してこようと思っていたのだが、ネットで下調べをしていると、「ぜんざい」も出雲名物なのだとわかった。

私は、甘いのも辛いのも大好きなので、是非とも本場のぜんざいをリストに加えたのだが、その由来が、中々奥が深くて、芋づる式にいろいろ知る事が出来て興味深かった。


 出雲ぜんざいは外せない


出雲ぜんざいは、本来「神在餅」(じんざいもち)といって、お供えの餅と小豆を煮た物を再びお供えしたものが発祥だそうである。

「神在」というと、すぐ連想するのは「神在月/神無月」で、旧暦の10月の別名をそれぞれ「神無月」(かんなづき)と「神在月」(かみありづき)と読む。全国の神様が出雲に集まるの月なので、出雲地方だけは、「神在月」と呼ぶのだそうだ。

ただ、少し驚いたが、これはあくまで俗説のようで、700年前にあの吉田兼好も「徒然草」(第202段)の中で、「根拠となる文献など無い・・」と話題にしているから面白い。「神無月」とは、神が無いという意味ではなく(かみのつき)という読みらしい。


「ぜんざい」の方は、「神在もち」の(じんざい)が由来で間違いないようで、この言葉が出雲独特のズーズー弁の影響で、(じんざい→ずんざい→ぜんざい)と変化して京都に伝わったということだ。

ただ、これも一つの通説で、他にも「善哉」(ぜんざい/よきかな)が語源だという説もあるとのこと。夫婦善哉のぜんざいのことである。

引っ掛かるのが、出雲地方のズーズー弁みたいなアクセントで、これから連想するのが、私が学生時代に初めて観た「砂の器」という映画の中のプロットである。

被害者の三木謙一が鎌田駅操車場で死体で発見される前に、駅近くのバーで若い男と飲んでいたことがわかった。店員は、話し言葉は東北弁のようで、何度も「カメダ」と言っていた、と証言した。

東北地方で「カメダ」という地名を当たったが、手がかりは無かったところ、刑事は方言の専門家から、山陰の出雲地方に東北弁とよく似た方言を話す地区があることを聞いた。地図を調べると島根県の中央部に「亀嵩」(かめだけ)という駅がある事が分る。

  かめだけという駅

  本浦千代吉親子の旅

ここから話は展開していって、壮大な親子の悲しい過去が暴かれていくのだが、ここまで分ると、今度出雲に出向いたら、是非その出雲弁という方言を聞いてみたくなったのだった。難しいことだろうが、地元の高齢者が集まりそうな居酒屋を捜してみよう。


いやあ、旅行の下調べをするだけで、すでに時空を飛び越えて、もう何度か出雲に行ってきたような気になってきたから可笑しなものだ。

ところで、みなさん。

「ぜんざい」と「おしるこ」の違いってお分かりですか?


  どちらも旨そうですが

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