経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

知的財産は尊重しなければならないのか?

2007-09-06 | 知財一般
「他人の知的財産は尊重しなければならない。」

 これは、もちろん否定のしようもない社会のルールです。というわけで、子供や学生にも早い段階からこのルールを身につけさせよう、ということから、先日の記事でも少しとりあげた「子供や学生に知的財産権を教えよう」というということになって「知財教育」が低年齢化していくのでしょうが、果たしてそれでよいものなのでしょうか。
 人間が成長する上で、「模倣」というのは重要な役割を果たしています。小学校の書き方では、見本を写すことから始めます。子供の頃は、本に載っているキャラクターの写し絵から、絵の書き方を覚えます。運動部に入れば、まずは上手い先輩のフォームを真似て、強いチームの練習方法からよいものを採り入れようとします。「模倣」そのものは、決してけしからんという性質のものではありません。
 では、「知的財産権を侵害してはいけない」とどこが違うのか。
 これは、ことが経済活動に及び、「先行投資」という概念が生まれてくると、その分をある程度公平に負担していかないと、経済活動を支えるルールがおかしなものになってしまう(純粋に「文化的な」著作物は少し話が別ですが)。そこで、損得勘定のバランスがとれそうなルールとして、「知的財産権」という決まりを設けたということになるのだと思います。バランスのとり方には、これで絶対というものはないから、「知的財産権」というルール自体も可変であり、何が最適なのか試行錯誤が繰返されているわけです。
 要するに、「模倣はけしからん」というのは自然法とか根本原理とかそういった類の話ではなく、利害調整のために知的財産権というルールを作ったのだから、「ルールは守らんとダメよ」というのが事の本質であるように思います。
 例えば、「割り込んではいけない」というのは絶対的なルールかというと、それは順番待ちという前提の下ではそのとおりですが、これが世界陸上で中長距離走とか見てると割り込み合いながら走っているわけであり、前提が異なると話は違ってくるわけです。要するにこれも、「割り込みはダメ」ではなく「ルールは守らんとダメ」が事の本質です。
 そうやって考えるてみと、子供や学生に「他人の知的財産は尊重しなければならない。」ということを教えるのは、とても難しい話だと思います。「お手本を見て学べ」という教えと混乱してしまうかもしれません。そもそもそんな風に「知的財産」と気取って教えなくても、「ルールを守る」という事の本質を教えることが肝心であって、「知的財産」云々の話は経済社会の仕組みを知ってからで十分なのではないでしょうか。教育は何でもかんでも低年齢化すればよいというものではないと思いますが。