週刊金曜日な日々

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「紀元節」に天皇陛下がご入院

2011-02-11 13:26:03 | 週刊金曜日
天皇陛下、心臓検査のため東大病院入院(朝日新聞) - goo ニュース

以下、記事転載
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天皇陛下、心臓検査のため東大病院入院
2011年2月11日(金)10:10
 天皇陛下は11日午前9時すぎ、心臓の周りにある冠動脈の精密検査のため、東京大学医学部付属病院に入った。皇后さまも付き添った。陛下は同日は検査後の経過観察のために1泊する。

 宮内庁によると、陛下は1月に定期健康診断を受けた際、激しい運動をして心臓に負荷をかけると血流に異常が生じて心臓に十分な酸素が行き渡らない「心虚血状態」になることが判明したため、精密検査が必要になった。細いカテーテルを通して冠動脈に造影剤を注入し、血管の状態や血流を調べるという。今後、検査の結果を踏まえて治療方針を決める。

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よく考えたら、今日は建国記念日
建国記念日って、いわゆる「紀元節」

以下はウィキペディアからの転載

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「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節であった。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定された[1]。この祝祭日は、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。

紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、今後学問的検討を待って決定すべきではないか」「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相待って、日本の進路を誤まらせたものではないか」[4]と批判して反対し、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。

その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めた。当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出された。同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行した。

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おだいにになさってください。

皇太子も50歳。
昭和天皇の晩年にも思ったのですが
「生涯現役」でなくても良いのではないかと思います。

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