待望の森みわ氏の講演が始まった。
この右下の建物は、彼女が日本に帰ってきて最初に建てた鎌倉の住宅。高断熱高気密の大御所と呼ばれる教授達が軒並み見学に訪れたらしい。
こんな事、言って良いかな。森さん可愛い。
誰かさんが、講演後に森さんを独り占めしてた。
さて本題。森さんは、横浜国立大学工学部を卒業後、ドイツへ国費留学する。彼女の曾祖父は、台湾総督府を設計したように、権力側の人間だった。それに反発して独自に建築を目指す。
留学先のドイツで、ウォルフガング博士と出会い、パッシブハウスに取り組む。パッシブハウスは、エコハウスや高断熱高気密住宅の先を行く工法である。日本の省エネ住宅は、ヨーロッパより30年遅れていると言われて久しい。
日本の建築家は、この高断熱高気密住宅がそもそも嫌いだ。吉田兼好の徒然草の「家の作りは夏を旨とすべし」の言葉にあるように、自然と協合した住宅が根本にある。そして魔法瓶のような住宅を毛嫌いする。実は、一見相反するこれらを融合したのが、パッシブハウスである。
日本の住宅業界の不完全な高断熱高気密工法で、躯体そのものが内部で腐ってしまう事も加算した。
日本には四季があり、夏の暑さも冬の寒さも厳しく、また湿度が高いことも鹹味して、住む人間に我慢を強いるのが当たり前と思われてきた。
さて、ドイツと日本の民族的な差を見てみよう。ドイツ人もきまじめな人が多いのだろうと思っていたら、どうやらそうでもないらしい。日本でも遅ればせながら2018年に省エネ法が施行される。これに先立ち、もうドイツでは当たり前になっていて、どうしてもこの法律から逃れることは出来ない。法があるから仕方なくその工法にするのではなく、逆手に取って計画から住みやすい建物を造る方向に変わってきた。
建物の省エネは,魔法瓶のような家を建てることではない。風や日光が大きく関係してくる。省エネの為に窓を小さくするのでは無く、大きな開口部を条件の良い方向に向けて計画する。日光による温度変化を気にするならば、その方向にカーポートの屋根を利用した日よけも考えられる。
さて、右側の玄関の写真だが、ここにイタリア製のペレットストーブが設置してある。
そのストーブを利用して、エネルギーの80%を温水に、残りの20%で暖房を行う。30坪ほどの住宅でも、6畳用のエアコンで家全体をカバーできると言う。
ドイツで計画された団地。青と赤はパッシブの集合住宅。小さな緑は完成してから国に貸し出す高齢者用の住宅で、少しだけパッシブを省略し工事費を浮かせたもの。このような団地を造る時には、高齢者に格安で貸し出す住宅を建てることが決まりになっているようだ。
右側の細長いS字の建物は医療施設をもつ複合施設。
これは3人の強面の建築家達のデザインによる。
その中のトランソラー氏は、妹島和代達のSANAAでもコンサルを務めたらしい。
S字の建物。最も苦労したのはやはり開口部のサッシだった。
日本の建築家の口癖は、高断熱高気密で問題になるのは、サッシ部分である。サッシが弱いから建物に負荷がかかると、サッシメーカーに責任を負わせるようなことを、随分前から言っていた。
ところで、このプロジェクトはYKKとタイアップして、3名の建築家で富山で行われている。
あの槇さんも関わっている。
森さんも関わっているのだが、前の2名が新築なのに対して、彼女の受け持ちは既存のアパートを改造してパッシブハウスにする事だそうだ。
これはRC造のアパートのバルコニーが躯体に及ぼす様子。彼女はバルコニーを外すことに決めた。
高断熱サッシに取り替える。壁は外断熱にした。壁が厚くなったので、サッシの水切りの寸法が足りなくなった。そういった部材は、YKKから新たに作って貰う。日本のサッシメーカーが、そんなに簡単に協力してくれるとは思っていなかったが、YKKにしても実験とデータが得られる。そして次世代に向かっての新商品を作るきっかけにもなる。
このプロジェクトはYKKに頼むと、現場見学出来るらしい。でも富山は遠い。
内部の断熱の様子。
リノベーション計画は、メゾネット型の若者向け住戸を作り出した。
彼女の話で面白かったのは、卒業後に入った坂茂事務所で、坂茂氏と喧嘩して事務所を飛び出したこと。ええ~っ、あの坂茂と喧嘩したのかと、驚きの目で彼女を見た。大御所と言えどもウカウカしていられない時代に入ったと思う。想像するに、パッシブの考え方が相違を起こしたのではと思う。彼女は現在、日本で唯一の「独パッシブハウス研究所のパッシブハウスデザイナー認定の資格を有する。この研究所では、従来のエクセルを利用したパッシブハウスの計算プログラムで、世界中のデータを入力すると結果が出せるのを、安価で行える。近々仙台でも、このプログラムを利用した研修会が開かれるようだ。参加費がちと高い。