「友人の奥さんから電話があり、旦那の鳩はもう帰っているとの事でやはり地元で長年培われた鳩は速いと思い、それを飛ばしている友人の友達の腕も、昨日や今日ここで始めた人間とは違うんだろうなと思えた。名も無き何とかと言われる事が有るが系統名が無くとも速いものは速く、そうした鳩達に何も自分の名前の系統名を付ければいいじゃないかと思ってしまう。離れた所に住む知り合いの友人の鳩も系統名が無くバルセロナを飛んでいる。ある知り合いにお前は鳩の何処を見るのだと言われた事もある。彼らは良い鳩の見分け方を知っていて、煩わしい書類など必要無いのだ。そんなもの無いと言われれば正直と言えばそうも思えるし、そんな事に日本人の様に拘りなど無く、全く無頓着な人々も居るのが日本人の自分には理解しかねてしまい、それらに拘り何々系だと自慢げに語る方が逆におかしいのかと思えてしまう。彼らのステータスは自分の鳩そのもので血統書では無いので、その人自身が血統書の代わりと言えるが、それ故に本当は優秀な鳩達でも商業ベースには乗らないのである。成績が良くとも血統書が無い鳩は日本なら誰も買わないと思うし、それにごまかされてしまう事も無きにしも非ずで、その鳩の両親の写真位は血統書に乗せて欲しいと思ってしまう。稀に親と仔が同じ年に記載される事があるが、若鳩で小雛抱きでレースに出された仔がそのまま育てられたり、別な事情で若鳩がその年に仔を育ててしまう事は有り、脚環が足りなく成り前の年のものが着けられてしまう事も有り、親と同じ年の脚環に成った為に血統書にクレームが付き、偽りの歳を記載しなければ成らなく成る場合も有り、本当は親と仔が同じ年生まれに成る場合も有るので間違いでは無いのである。電話での話が終わった頃に漸く一羽二羽と続けて姿を現した。やっと来たと思いこの前よりは速い様に思えたので幾らかは安心し、後の鳩達を皆帰ってくれと南西の空を眺め待った。」






