何十年か前の捜索願のようなこの写真の広畑君からある報告を受けました。
彼のストーリーが私にはどうしてもしっくり来ません。
「どうもピンと来ないんだよな~」
それでも広畑君、ひるむことなく、自説を主張します。
「でもどうしてもやっぱり納得できないな~。
ただ勘違いしないでくれよ。私も確証があって言ってる訳じゃない
からね」
こんなことを繰り返しているうちに、何となく考えが少しまとまったような
気がして、そんなことを彼に話したら、彼も同じように感じていたようだった。
広畑君と話をする中で、お互いの言葉に触発され合いながら、考えが進んで
いった。 一緒に答えを見つけようというプロセス、つまりこれが本当の
「対話」なのかもしれない。
そしてさらに気付いた。
一緒に答えを見つける対話は、間違っていたり、確信が持てないことでも、
遠慮なく言い合い、なあなあで終わらせないという強い決心がなければ、
成り立たないんですね。
広畑君との話し合いで、方針の見通しが少し進んだだけじゃなく、いろんな
ことを気付かせてくれました。
一緒に答えを見つける対話・・・忙しい時ほどなかなかできないことだと思います。
「僕も時間がないっ!!」って時でも報告を受けるときはなるべく顔にでないように努力しているつもですがついつい・・・・・・。
自分が答えを持っている時は、我慢できないことが
多いのは、私も同じです。
でも答えが分からない時は、一緒に考えてもらわ
ないとこちらが困ってしまいます。
そう考えると、ひょっとすると、答えがわかっている
と思っている時も、本当は分かっていないのかも・・・
怖いですね~