磯輪日記

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甦る Carrollファミリー

2020年06月15日 19時51分54秒 | オフ・ビジネス

 

ビジネスを離れたところでも、私の父の親友だったKoppers社のManaging Director だったMr.Carroll。

私が、高校2年の夏休みに初めて渡米した時はホームステイさせてもらい、大学4年後に

1年間、Koppers社で勤務した時は、アメリカでのビジネスの師として接してくれたMr.Carroll。

 

冒頭の写真は、我々が結婚した翌1984年に彼が来日した際、私の両親が自宅に招いた時に

撮影したものです。

 

大の日本びいきで、日本の文化を理解し、日本の、そしてISOWAの技術を高く評価してくれ、

Koppers社を退任してからは、アメリカに進出しようとする日本企業のコンサルティングを

引き受けていて、度々、顧問先として京都のT社という会社の話を聞いたことがありました。

 

Carroll夫妻には息子が3人いて、3人の子どもの中で最も親しくしたのがこの写真の中央 長男

のJayでした。 私がアメリカで働いていた1978年のクリスマスにキャロル家の居間で撮影した

ものです。

自宅の至るところに、我々や他の日本の方からのプレゼントされた日本の品々がとても上品に

飾ってあるし、地下室はビリヤード室になっていました。

私にとって、アメリカが最も輝いていた時代でした。

 

さて話は現代に。 

少し前から、わが社の技術のメンバーから、そのT社さんのことを耳にするようになりました。

そんな中、先日、

 「T社の社長さんが、

   『磯輪社長が昔お付き合いのあったMr.Carrollのことも

    お話しできれば』

  と、英之さんとの面談を希望しています」

という話がありました。

 

Mr.Carrollが数年前に亡くなって、その後、Jayとも連絡が取れなくなっていたので、

 「ひょっとしたら何かご存じかも」

と、先週、ISOWAでお目に掛かりました。

 

初めてお会いしたT社さんのK社長もお父様の時代にアメリカ進出する際、Mr.Carrollが

顧問や販売レップとしてお付き合いが始まり、その後、K社長もアメリカでのビジネスの

イロハの手ほどきを受けたこと。 JayもT社さんの営業マンとして活動していたことなどを

伺うことができました。

つまり、私とK社長は 同じ師からアメリカでのビジネスを学んだ間柄でした。

 

Mr.Carrollは5年前に亡くなりましたが、Mr.Carrollの教えはT社長と私の中で海を越えた

日本でも生きています。

, Mr.Carroll!

 

 


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